今日は、親のこと。

私にとっては、
あまり触れたくないこと、
考えたくないこと、
できれば避けていたいこと。

そんな気持ちもあり、同じ県内ですぐに帰れる距離なのに、あまり帰りたくない。

でも、心屋の初級セミナーに行って、やっぱり根底には親とのことも関係してるのかな?
と思って、ずっと引っかかっていた。
特に深く考えていた訳でもなかった(正確には、考えるのをやめていた)のだけれど…

昨日の仁さんのブログから飛んだ、心屋の認定カウンセラーのひでこさんのブログで、両親との確執ってところが気になって読んだ。


そしたら、ふと、降ってきたんだよね。
「私、親の役に立ちたかったのかも…」
と。

そう感じた、1つのエピソードがある。
ずっと、子供を作らない宣言をしている上の弟。
所謂“内孫”が欲しくて、弟に子供を作って欲しいと思っているお父さん。
少し前に実家に帰った時、そのことで親、特にお父さんと弟がまたぶつかったという話をお父さんはじめ家族から聞かされた。
お父さんに、「(弟が子供を作らないことを)どう思う?常識では考えられないよな?」と話を振られた私は、「いい加減、お父さんも納得したらいいのに!」とか、「またお父さんは自分の常識を私たちに押し付けてきて!」とか、私もイライラして、お父さんとぶつかった。

その時私は、いつもの、“お父さんの常識”に反応したと思っていたのだけど、実は、その奥にある、「私にも子供がいるのに、それでお父さんを満足させてあげられない私は、役立たずなのかな」という悲しみからイライラしていたのかもしれない、とふと思った。

「役に立ちたかった私」と考えれば、これまでのこともつながるように思える。
役に立ちたかったから、言われた通り進んできた、
役に立ちたかったから、いい子でいた、
役に立ちたかったから、やりたくない勉強も頑張った…

でも、お父さんは、いつも家族の誰かを標的にして不満をこぼしていた(ように見えた)。
お母さんは、そんな不満をこぼすお父さんやばあちゃん(姑)の小言に、特に逆らわず耐えていた(ように見えた)。

だから私は、「頑張っても親の役に立てない、こんな私じゃダメだ」と、自分を否定するようになったのかな…
だから私は、「役に立てていないから褒めてもらえないのかな」と、褒めて欲しい気持ちを押し込めてきたのかな…
だから、先週の初級セミナーで、「どうせ頑張っても褒めてもらえないし」で、嗚咽が出るほど泣けたのかな…
だから、みんなのためにと思って、周りばかり気にするようになったのかな…
だから、「どうせ、帰っても役に立てないし。役に立てない悲しい気持ちになりたくないし。」って、実家を遠ざけていたのかな…

うん。
なんか、そんな気がする
また別の原因があるのかもしれないけれど、とりあえず、自分で納得できる。

まずは、それでいっか〜

 

親のこと、ちょっと踏み込めたー
親とのこと、少し気付けたー
親とのこと、ちょっとスッキリしたー

おわりつながるうさぎ