ニュースの前から離れられず何も手につかない毎日。


本当は今日、2年ぶりに日本に帰国するはずだった。


東京も混乱している中、生後4か月の娘を連れて

今帰るべきなのかどうか一睡もしないまま朝まで話し合い、


それでもどうしても大事なことがあって

帰国を決めたその時、

在日アメリカ大使館からの連絡。


負傷者・行方不明者のアメリカ人の援助を優先するため

私たちが予定していたビザの更新がしばらくできないとのことで


今回の日本帰国を見送ることになった。




徐々に宮城に住む友達と連絡がとれ始めたのだけれど


石巻に住む友達と

多賀城市に住む友達と

若林区に住む友達と連絡がとれない。


私が仙台に住んでいた時、

真夜中でも悩みを相談し合った友達。


辛い時一緒に泣いてくれた友達。


私が日本を離れてからも

毎年バースデーにはプレゼントを送ってくれる友達。


ただただ心配で仕方なくて泣けてくる。




番組のコーナー柄、

宮城の北から南までくまなく取材する機会に恵まれて


思い出のある土地が

壊滅状態になっているのを見ながら


取材でお世話になった人たちとの会話が思い出される。




今日の東北は寒くなるとニュースで見ました。


とにかく一刻も早くライフラインが復旧してほしい。



中学生のお友達が、

ようやく電気が通って

久しぶりに炊いて食べたご飯が美味しかった

とメールをくれた。



日が暮れて暗くなった部屋の電気をつける、

寒くなったら暖房を入れる、

お風呂に入る、

手を洗う、顔を洗う、

ご飯を炊く、料理をする、

熟睡する、、、


こんな“普通”だった生活を一瞬にして奪われて

毎日余震に怯えながら、

こんな生活がいつまで続くのだろうと

出口の見えない真っ暗なトンネルの中を

ただ必死に歩いていかなければいけない。


早くその先に光が見え始める日が来るのを願わずにはいられない。



まだ募金するくらいしかできていないけれど

遠くから私ができることをできるかぎりやっていきたいと思う。