ウトンアは兄たちに引き止められても
心は動かなかった
与那国島が肌に馴染んでいたし
兄たちのように器量も大きくはない
認めたくはないが
自分の分を知り
自分の手足で稼げる欲得で満足することが
うまく生きる術なのだ
そしてウトンアは思った
自分は与那国島で生きていくために生まれたのだと
それにしてもさっきから妹が
背中におぶさっているような感じがして
ウトンアは
妹が
自分の口を借りて喋り
自分の耳を借りて聞き
妹に
操られているような
異様な気分を味わった
ウトンアが福州からカナウンティ(サツマイモ)の種を 与那国島にもたらし 芋作が広まったことは既に述べた その時代背景について《与那国の歴史》の記述を見ると
その後、ウトンアは島の人々からアンアイザトシと尊称された。それは東里子と書く。(中略)アニシカ一族が福州へ移住したのは豊見親の時代であって、与那国島は1611年に行われた検地まで豊見親の支配下(宮古島の支配下)にあったことから、(後略)
つまり1611年以前に与那国島にも芋作が広まっていた と言うのだ
とにかくウトンアは
兄たちの強引な引止めにも応じず
与那国島へと戻ってきた
海上百余里も離れた福州の地で
ウトンアが見聞きしたことを
妹はことごとく言い当てた
まるでウトンアの体を借りて
自分も福州の地へ行って来たかのように
二人は
互いに絆の強さを感じていた
福州では
長兄が次兄に
『ウトンアを与那国島へ置いてはならぬ 人の道を踏み外す前に 簀巻きにしてでもここに連れて来い』
と 命じた
次兄が船を仕立てて
福州を出帆することを
事前に知ったウトンアは
アンダヌハマティ(比川浜東方)で 自刃して果てた (了)
第27話は アトサテです