算命学の占技*「才能開花の学校選択*南天運」 | イケジイのおもしろ玉手箱

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算命学の占技

「才能開花の学校選択*南天運」

 

*どんな学校を選ぶべきか

現代人にとって教育という問題は、社会の機構上避けて通るわけにはいきません。

 

子供たちが進む学校という教育機関の選択は、本人の人生にとって大きな課題であり、与えられた運命や才能を最大限に燃焼させ、また引き上げるためには、「どのような教育環境を与えるべきか」に思考の焦点を当てており、ある種の「運命開発法」としての占技です。

 

人間にはもともと「習得本能」が備わっておりますから、特別に学校教育を受けなくても、人生を歩む中で諸々の知恵や知識を身につけることは可能なのです。

 

しかし国家が、学校制度を作り出した理由は、民族の存続と言うよりも、国家の存続を前提とした、秩序ある国家形成のために必要とするものなのです。

 

これは国家側からの理論であり、国民側からは国家形成に関係なく、人間個人が教育を受け、教養を高めるのが目的です。

 

もちろん人間個人における教養は大切な部分であり、できる限り高めておいた方が良いことは確かですが、同時に国家という大集団の中で生活しているわけですから、周囲と歩調を合わせる教養も必要です。

 

そこで個人の才能なり、エネルギーを完全に燃焼させるためには、「どのような領域を所有した学校を選ぶべきか」を、学校の分類から始めなければなりません。

 

*公立の一般学校

*公立の専門学校

*私立の一般学校

*私立の専門学校

 

上記の一般学校としての分類は、ある特定の職業を目的とした学校ではなく、大学で言えば総合大学になります。

専門学校とは特定の職業を目的としたものであり、商船大学や芸術大学などが相当します。

 

人間個人の領域は、才能により区分しました「北天運」、「西天運」、「東天運」、「南天運」の何れかを、そのまま利用することができます。

そこで「才能領域」と「学校領域」を連結させ、細かい原理原則を除き、才能の質が学校との領域連結となります。

 

*公立・一般学校=西天運・公立の一般教育

*公立・専門学校=東天運・公立の専門教育

*私立・一般学校=北天運・私立の一般教育

*私立・専門学校=南天運・私立の専門学校

 

上記は算命学思考を基にして学校選択を行いましたが、これは本人の才能に着目しているわけで、本来は先ず人生目的を定めて、後に学校を選択するのが順当です。

 

*「才能開発」における学校選択

ここで説明している占技は、学校を選ぶ場合の目的が「才能の開発」を、ベースとしていることを注視してください。

 

本来は学校を選択する場合、人間個人が自己の未来に対して、どのような目的を持っているかにより、自ずから異なってきます。

才能よりも安穏な生活や、就職を目的にする人もいるかも知れませんが、目的が異なれば才能を度外視した選択方法もあるのです。

 

上記の4つの才能領域を「個」と「集」の才能に区分すれば、北天運と南天運が個人的な範囲で才能を発揮しやすく、東天運と西天運が集団の中で才能発揮しやすくなります。

 

さらに学校の種類を公立と私立に分類すると、国家権力の内側に存在するものが「公立」であり、外側に位置するものが「私立」です。

国家権力の本質を求めると、個ではなく常に「集団」を基盤にして成り立っているのです。

 

ある意味では国家は、天才も要求しない代わりに、極端な無能者も要求していないのです。つまり「平均的」な人間教育に主眼を置いていると言えましょう。

 

国家権力を維持するためには、何事においても天才が現れると困る面も出てくるのです。秀才は歓迎されても、天才は必要ないのです。

 

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*星の特徴

龍高星・玉堂星=習得本能(精神)

鳳閣星・調舒星=伝達本能(精神)

貫索星・石門星=守備本能(行動)

禄存星・司禄星=魅力本能(行動)

車騎星・牽牛星=攻撃本能(行動)

 

*南天運の条件

①精神の星がなく、東・西・南・北・中央に行動の星のみの人

 

*「南天運」の教育

南天運の質は、才能の出方が波乱に富んだものとなり、実に不規則です。それは学問と言うものに対し、その価値を見出しきれない一面を持っており、勉学の途中において興味をそそられる部分があれば、その一点にのみ努力し、全体的な均衡が取れなくなるのです。

 

歴史を学んだとしても全般的な良好さがなく、例えば中世の部分のみに、極端な才能や思考を発揮する場合です。

 

体験的な積み重ねをもって、人生を切り開いていくエネルギーになりやすく、学校教育の場より、実社会へ出てから学ぶことが実に多く、実体験こそが本人にとっては、自然に学べる環境と言えましょう。

 

そこに体験的な知性が存在しており、自分の現実行動の中で真の才能を発揮していくのです。

 

この型の子供たちに物事を学ばせる場合は、学問を日常生活の中に置き換え、文字や数字だけではなく、諸々の物を使って指導しなければなりません。

 

例えば数学の幾何を教えようとすれば、実際に測量をさせたり、山へ出掛けて体験的に標高を測定させたりすると、実によく記憶し、一旦記憶したものは生涯忘れないものです。

 

このような習得性があるために、語学の勉強はできなくても、外国で短期の生活をするだけで、実に多くの言語を身につけるものです。

 

この型は物事を頭で憶えるものではなく、身体で記憶するのです。現代教育の中では、最も学問の才能が出にくい形と言えましょう。

 

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