9月26日の産経新聞に【尖閣、船長釈放「菅・仙谷氏が政治判断」松本前参与が証言】との記事が掲載されたが、疑問が残る内容であった。

そもそもなぜ今この時期に、このような証言をするのであろうか。

中国が再び、海洋調査船を尖閣周辺に送り込んできているからなのか、事件から1年という節目で、忘れ去られていた事件に少し注目が集まったからであろうか、それとも、菅直人氏が辞職したからだろうか。

記事の内容は、昨年9月8日に、テープを見た官邸側が「テープ自体が証拠にならないとの致命的なミスがあり、公判にたえられず、有罪にもならないと判断した」というものであるが、この話だけでは正確な内容が伝わらない。

官邸側とは誰のことを指すのであろうか、致命的なミスとは何か、これらのことが明らかにならない限りは、この話を鵜呑みにはできない。

これらのことを明らかにしないのはなぜか。

その問題は後に置いておくとして、この話が本当であるとして話を進めると、そもそも、行政府が司法の領域である公判の維持について判断すること自体が三権分立の精神をないがしろにしている。

他にも、この証言に、対しては

・あの映像を見る限り、中国漁船が巡視船に故意に体当たりしていることや外規法違反(日本の領海内での違法操業)は明らかである。

・当時の国土交通大臣は、映像を見て中国側の非を明言している。

・ビデオカメラは一台ではないので映像は一種類だけでない。またビデオだけでなく写真も撮っているはずである。

・世の中には様々な事件が起こっているが、発生の瞬間を映像に収めたものは非常に少ない。それでも公判が開かれ、有罪判決が下っている。

などの疑問点がある。

もしかすると、弁護士出身の人間が、知識のない人間を丸め込んだという可能性もあるが、そうであれば、当初から公判での証拠となりえないことを認識していたのに11月5日以降、映像が公判での証拠だと言い張っていたことを、どう説明するのであろうか。

また、那覇地検が釈放の理由を説明した時に、証拠が不十分であるとの説明がなされなかったのはなぜか。(当時は多くの人が映像を見ていなかったので、国民は納得したかもしれない。)

等々、疑問は尽きない。

このような中途半端な言い訳は、かえって疑念を強めるだけであり、何よりも、このような重大な話を肝心なことを明らかにせず中途半端に言い、さも日本側の捜査手法に落ち度があったかの印象を与えることは大問題である。

何れにしても瑕疵があったのであるならば、誰が判断したのか、何がそうだったのかをはっきりしなければ話の信憑性は薄いと言わざるを得ない。

一方で検察が自身の判断で釈放したと、この証言を否定していることに対しては辻褄が合う。

なぜならば、おそらく官邸が前検事総長に指揮権発動をちらつかせるなどして中国人船長を釈放するように要求し、それに折れた前検事総長が会議において「釈放すべし」という方向に意見を主導したと推測できるからである。

そうであれば、政治と検察のつながりは前検事総長1人なので、経緯を知らない前検事総長を除いた全ての検察の人間は検察の判断で釈放したと思っていても不思議ではない。

そして、前検事総長が口を割らなければ、その事実が明らかになることはなく、誰も責任をとらなくとも良いのである。

他にもなぜ、松本氏が盟友である仙石由人氏に一見不利なると思われる発言をしたのかも考えなければならない。

もしかすると仲間割れなのか、あるいは菅氏一人に責任をなすりつけようとしているのか、それとも国民に真実を明らかにしようと考えているのか、いずれにしても動機が不明である。

そもそも、あの釈放劇が検察独自の判断で行われたという事を信じている人は少ないのに、瑕疵の理由等の肝心なことを明らかにせず、半ば周知の事実を今更公表する理由はなぜなのか。

もしかすると瑕疵の理由だけではなく、何か大事なことを隠しているのではないだろうか。

例えが悪いかもしれないが、私には、嘘を一回吐いた人間が、その嘘を隠すためにまた嘘を吐いているというように感じられる。

もちろん、今回明らかになった事実を追求していくことも大事ではあるが、まだ隠されている真実も明らかにしなければならない。

小事にかまけて大事を見逃してはいけない。

当事者たちは、「捜査に関することは秘密である」と逃げを打つつもりなのだろうが、ならば7月21日に、強制起訴が決まった中国人船長に対する司法手続きを粛々と進めてもらおう。

何よりも松本氏に嘘を吐いたと言われている、菅氏と仙石氏は自身の名誉のために自ら弁明すべきだと思うが、それとも嘘吐き呼ばわりされても平気なのだろうか。

いずれにしても、当時の検事総長、官房長官、法務大臣、首相、松本氏を国会に呼んで一度に話を聞けば解決する問題である。

野党自民党、産経新聞に続くマスコミに期待したいところである。