久しぶりでいきなりですが、
月曜日、東中野bigriverにて、
歌とコラボしてまいりました。
佐々木遥さんという、同い年でかつ個性のあるシンガーさんで、
今回、彼女がつくった詩を曲に乗せて読みました。
ある漫画をモチーフに彼女がつくったものなのです。
自分で打ってて気付いたのですが、
よく考えると、これはマンガを原作にしたものでもありますが、
同時になおかつ、彼女がつくったものなのでした。
そこに気が付かなかった。
気付いていれば、もうすこしいい朗読が出来たかも知れない。
そう思っています。
まあ、反省はともかく、いい経験になりました!!
お客さんとして来てくださったある物知りのおじさんから、
北海道の熊の話を聞いたのが何故か妙に印象に残っています(笑)
――――――
さて。
去年から色々チャレンジしていましたが、
――もっとも、チャレンジといえる代物なのかどうか――
うまくいったり、うまくいかなかったり。
一度、毎日読みチャレンジもやって、
何か月か続いて、それなりに注目もしてもらえましたが、
途中で(色々あって)自分を見失ってしまって。
何も出来なくなっちゃった。
細々とオープンマイクめぐりなんかも続けてもいたけれど、
朗読というものに自分の軸を見出すことができず、
常に迷ってたし、
何が良くて何が悪いのか分からなくなっちゃってた。
ずっと前は好きでやっていたはずなのに。
そんな状況を、
やっとこさ冷静に見つめることができている状態かな、と思います。
一つ言えるのは、
・周りの反応を怖がりすぎていたこと
・見栄をはっていたこと
これはあるかなと思っている。
そして、
去年あたりから、
僕に対して優しい言葉も、厳しい言葉も、ただの罵詈雑言も、
突き放した言葉も、無関心な言葉も、
色んな人が出てきて色んな事を言ってくれた。
それらに対してはできるだけ答えていけたら、と思っていたけれど、
どうもそれは無理らしい。
他人の期待に応えることは(自己啓発とかで耳にはしていたけど)どうやら本当に無理らしい。
物理的に。
僕自身がどうやって他人に寄りかかっているか、
――例えば、一方的に嫌うという手段である人にかなり依存していたかもしれないし、
とにかく、無意識のうちに他人を気にし続けていたこと。
そういったことを今ひしと感じている。
少なくとも僕がこのある程度の時期の中から学べたことはそういったことだ。
そして、一方でそんな僕に対するヒントも、
経験やネットの記事、とかあらゆる形で転がっていたこと。
そういうヒントのおかげで、
自分が何を大事にし、
どう生きていくのか、
少しずつ分かってきた気がする。
こういってしまうと元も子もないのだけれど、
結局は
目の前のひとつを深く愛しぬくことなのだな、と。
今の僕には、
何で食べていき、
どこに住み、
何をして、
どういう道を進んでいくのか、
正直なところ何も興味がない。
どの道を悩んで選んだところで、成功はできても幸せになれるかなんて甚だ怪しいからだ。
金がなくて不幸せと言うことは、
金があっても幸せになれるかどうか甚だ怪しいものだ。
だいじなのは、
自分自身と、
それから自分自身の在り方、そしてやっていることを
徹底的に愛しぬくこと。
それがちゃんとできて初めて、
他人を愛することができる。
そうやって考えたときに、
僕は僕自身も、僕の記憶も、
僕の過去にあったいいことも悪いことも、
であったいい人々も悪い人々も、
すべて愛したいと思うのだ。
僕自身を徹底的に愛しぬくというそのたった一つ事によって、それだけによって。
そしてね、ぼくのやってきた朗読、そして「物語」。
これも愛していきたい。
もちろん、それ以外にやりたいこといっぱいある。
絵も描きたいし、音楽も何かの形でやりたいし。
でも、何を目指すかははっきり言ってどうでもいい。
朗読で有名になんかならなくていい。
――これはまあ、ある意味でならざるを得んだろうし。
誰に申し開きするかもどうでもいい。
やりたい、と思っているいろんなことから、
一つの大事なことを常に見据えられる、
そういう自分でありたい。
とにかく、「今」にある一つ一つを徹底的に愛しぬきたい。
それしかない。
すぐにすべてを変えることは難しいけれど、
出来る限り、そういうふうにして僕は生きたい。