大震災と健康リスクと「霞ヶ関・永田町および御用学者の文学表現」 | 医学ニュースの深層

大震災と健康リスクと「霞ヶ関・永田町および御用学者の文学表現」

「霞ヶ関・永田町」あるいは御用学者から発信される文学的表現について翻訳を試みる。

霞ヶ関で勤務経験を有したことがあり、現在、東京大学の先生の立場で。



 「ただちに、健康への被害はない。」→(前にも書いたが)急性期障害は無い。ただし、(外部あるいは内部被爆の)長期的なリスクについては「まだ、十分わからない。」というのが正しい。


 特に、(外部あるいは内部被爆の)長期的リスクについては、学術論文レベルで、まだ、決着はついていない。さらに、「医療被曝」についても、今まで考えられてきたよりも(かなり)低い放射線量でも発ガンリスクが看過できないことを示す論文が複数ある。ただ、だからといって、放射線診断・治療のベネフィットも考慮したら「ただちにやめろ」とも言い切れず・・・最適な条件設定は、まだ藪の中。



そもそも、どんな状態の人間か(現在の健康状態、病気を抱える患者か否か)によっても、違うし・・・。

「御用学者の専門家」が「安全」だと新聞紙上で「断言」しているが、前にも書いたように、それは言いすぎであろう。



「ただちに、健康への被害はないが、なるべく飲むな・食べるな。」→ ただちに、健康への被害はないが・・・将来的にどうなるかわからないし、もし、万一何か問題が起こったら「責任」をとれない(とりたくない)ので・・・なるべく飲むな・食べるな。・・・ということです。


風評被害がどうのこうのとまあ、社会心理学用語まで、出てくる昨今だが、

普通の健康人については、過度に心配しなくてもいいが、日本でこれからも生活していくなら、

「絶対安全」なものは無く、注意するに越したことはないという認識を確認することが大事かなと。