8月30日に、一緒に付き添ってあげるから個室に移ろうと、お袋も納得して個室に移りました。
30日は9時前に病院に着いた。
6人の大部屋にいたのは、お袋の気持ちを考えての決断であって、今になって考えれば、1日早く個室に移っていれば良かったかなとも思う。なぜなら前日の帰る時に、帰らないでと言われたから。でもそのときは、安心できる良い看護師だったので、お袋も納得して帰宅した。でも帰るべきではなかったかなとも思う。
この日は親父も朝から病院に来た。その後、妹のおばさんも来て、午後3時ころまでいてくれた。
昼間は辛そうながらも会話は断片的にできた。
お袋が個室に移ったのが夕方の四時ごろで、反対側の個室になったので、きれいな山が見えると一緒に喜んだ。
体調は落ち着くことはなく、ベッドを起こしたり倒したりして、気持ち悪くなるのを調節したり、口を濯いだりした。
でも、体調が数日前からジェットコースターのように、良いときと悪い時がハッキリするようになり、心配で仕方なかった。とくに夜になると数日間は体調が悪くなっていた。前日も朝方に病院の担当看護師から電話があり、焦ったけど体調は持ち直した。
この日も夜になると吐いてしまったり、体が重い、手が痛い、気持ち悪いなど、病気と懸命に戦うお袋だった。お昼ごろから親父にその後、おばさんが来て、話もしていた。ただし、話は長くは出来なくなっていたけど。
夜の10時近くになって、セブンイレブンに自分で食べるスープを買いに行ったら、少し吐いてしまったらしく、親父からティッシュを買ってきてメールが来たので、ティッシュも一緒に買って病院に戻った。
お袋は食べられなくなっていたけど、僕が食べているところを見せると、安心している感じがあった。
だから食べるときは、なるべくお袋の前で食べていた。
親父はいったん家に帰ったのが10時前ごろ。
お袋が体が重いとか痛いと言って、かなり辛そうだったので、体を起こしたり倒したり忙しかった。いつも通りに接しようとしていたら、大きな声を出さないでとお袋に言われた。
退院したらうなぎを食べに行こうと言ったら、うなずいていた。
夜中まで断片的に会話ができていた。しかし看護師がおむつを替えに2人来て、酸素マスクを鼻のやつから口全体に覆うものに変えに来た。ちょっと光景を見て心配だった。
その後、床擦れ対策で体を左右に動かしながら、おむつも一緒に替えていったら、容体が一気に悪くなったように見えた。
部屋に帰った背の高い看護師が再びきて、最悪の状態になっていたので、すぐに親父に連絡。
親父は間に合ったけど、妹のおばさんと弟のおじちゃんにも連絡。
おじちゃんは血圧が不安定で、すぐに来ることが出来なかったけど、おばさんは旦那と子供(従兄弟)とすぐに来てくれた。
でも残念ながら間に合わなかった。
お袋は午前3時7分ごろに天国に一足先に逝ってしまった。
その後、担当医が来て、3時24分に死亡確認をした。
あまり苦しまずに逝ってしまったお袋だけど、体の痛さやだるさから解放されたお袋の姿があった。
気持ちは複雑だった。
地元の葬儀社に連絡をして、五時前に迎えに来て、六時前にはお袋の希望だった家に戻った。
愛犬にも会えた。