いがぐりこです。

 

先に言っておくが、これは私の偏見に満ちた記事である。

 

ある人たちから見たら、超スーパー偏っているであろう。

 

それでもお付き合いいただける方は、見て欲しい。

 

 

 

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数年前に

 

レミちゃん(凰斗 麗巴ちゃん)から

 

エネルギーの等価交換の話を聞いて以降、

 

わたしは、この

 

エネルギーの等価交換の法則を、ずっと信じている。

 

 

 

 

そして、この数年間

 

日常の生活をさまざまな角度からウォッチして

 

「やっぱりエネルギーの等価交換の法則ってあるなぁ」

 

という確信を持っている。

 

 

 

世の中はすべて「バランス」をとりながら存在している。

 

たとえば。

 

 

 

等しい対価を得られず「何かを損した」と思う時、


無意識であっても、
 

どこかでその「何かを損した分」を取り戻そうとする力が働く。



エネルギーでもお金でもなんでもそう。
 

 

 

また元の重さにバランスを取り戻そうと、

 

失った分、自然と「何かを得る方」に力が動く。



逆に、

 

 

等しい対価以上の何かを得た場合、
 

無意識であっても
 

どこかでまたバランスを取ろうと
 

自然と「何かを失う」力が働く。

 

 

 

これは、以前「起業」を切り口に

 

ブログを書いたので、

 

興味のある方は読んでみて欲しい。

 

 

レミちゃんの紹介もここに載っている。

 

 

 

 

 

私が個人的に最近気付いた

 

おもしろい(興味深い)ことは、

 


実際に損したかどうかはあまり関係なくて、

 

そして


表面上、本人が損した or 得したと思っているかどうかも

 

あまり関係なくて、


実は


本人が無意識下で腹の底から


失ったものと得たものが等価であると、納得しているか?

 

が重要なポイントになっていることである。

 

 

 

お金で考えると、実にシンプルなことなのだ。

 

 

 

1000円分の労働をしたら、1000円もらえる。

 

1000円の価値の商品を渡したら、1000円もらえる。

 

 

 

500円の価値のものを1000円で売ったら、

 

商売は成立しても

 

500円分得してしまっているので、

 

得した500円分、別の場所で何かを損する。

 

 

同様に、500円のものを1000円で買ってしまった人は

 

500円損しているので、

 

500円分の、別の場所で何かを得する。

 

 

 

※ここでは便宜上わかりやすいように「損・得」という言葉を使っていますが

単純に「プラスとマイナス」「陰と陽」という意味です。

「損した残念・得したラッキー」というような価値観を含んだ話ではありません。

 

 

 

 

失ったものと得たものが等価であると、納得しているか?

 

というのは、

 

ここでいう「1000円の価値の商品」を

 

本人が腹の底から「これには1000円の価値がある」と

 

納得できているか?ということ。

 

 

 

 

与える方も、受け取る方も、

 

損する方も、得する方も。


世の中はすべて「バランス」をとりながら存在している。

 

 

 

そして、

そこに罪悪感やうしろめたさが無い

 

純粋な気持ちであることが鍵 だと思っている。

 

 

 

 

 

さてさて。

 

 

よく、ネット上で「お金をください」と言っている人がいるが、

 

対価もなしに「金くれ」と言っている多くの場合、

 

わたしはその行為にあまり賛同できない。

 

 

ていうか、仲良い友達が

 

対価もなしに「金くれ」をしたら、止めるだろう。

 

 

 

なぜかというと、

 

単に得をしたその分、どこかで「何かを失う」からだ。

 

 

 

なんの対価もなしに、ただ単にお金を得たら

 

当然だけど自然と何かを失う力が働く。

 

 

 

この「何か」というのがめちゃビミョーだ。

 

 

 

お金なのか、時間なのか、労働力なのか、モノなのか、

 

他人からの信用なのか、健康(!!)なのか、

 

愛する人なのか、友人なのか。

 

 

ほっといたら「何を失うか」は選べないのだ。

 

 

 

 

これを回避するには、やはり

 

意図的に自分が、腹の底から等価であると納得した形で

 

「何か」(上でいう1000円の労働とか、1000円の価値の商品)

 

を、自分でちゃんと選んで出すことである。

 

 

 

 

ネット上で「お金をください」と言っている人が

 

成功する方法があるとすれば、

 

 

 

自分が、腹の底から等価であると納得した形で

 

「何か」(上でいう1000円の労働とか、1000円の価値の商品)を

 

ちゃんと自分で選んで出すこと。

 

(クラウドファンディングが成立するのは、出す方も貰う方も、

腹の底からそれぞれの趣旨の価値を納得しているからだと思う。)

 

 

 

 

あとは、稀ではあるが

 

いわゆる「存在給」というものだ。

 

 

「わたしがいるだけ、存在しているだけで、あなたのことを幸せにしています。

与えています。だから金くれ。」

 

というやつだ。

 

 

(個人的には、この考え方は、

明らかに「存在給」の意味を都合よく履き違えているので、

やはり好きではない。

 

「存在給」は自己価値が今どのくらいだと自分自身で思っているか、の

単なるバロメーターなのだ。

現実を通して自分の思考を知るだけ。

それを口実にして、金をせびるために利用するものでは無いと思っている。)

 

 

 

これも、もし本当に、

 

もらった分だけ、自分が自分の価値

 

(わたしがいるだけ、存在しているだけで、あなたのことを幸せにしています。

与えています。)を

 

自分が腹の底から信じきれていれば、

 

うまく成立する場合もあるだろう。

 

 

 

そこに罪悪感やうしろめたさが無い、純粋な気持ちであること。

 

だと思う。

 

 

 

多くの場合、それを信じきれていないから、

 

得した分だけ、他で大きなものを失うことになる。

 

家族とか、仕事とか、信用とか、安定した収入とかね。

 

 

 

※なんども書くが、ここでは便宜上わかりやすいように「失う・得る」という言葉を使っていますが

単純に「プラスとマイナス」「陰と陽」という意味です。

「失った残念・得たラッキー」というような価値観を含んだ話ではありません。

 

 

 

 

 

これは、個人の好みの問題だけど、

 

わたしは、失うものが「お金」であることは、

 

他のもの(信用とか、健康とか、愛する人とか、安定した仕事)を失うことにくらべたら、

 

わかりやすくて、とてもラッキーなことだと思う。

 

 

 

もちろん、中には、

 

信用とか、健康とか、愛する人とか、安定した仕事を失ってでも

 

お金が得られたらラッキーという人もいるだろう。

 

 

それは、個人の好みである。

 

 

 

世の中はすべて「バランス」をとりながら存在している。

 

 

 

そして、何を失う(手放す)かは、

 

自分である程度、選べる。

 

 

 

心屋を知って、「損してもいい〜!」と叫びながら、

 

それまで、大事だと信じ込んできたものを

 

手放す覚悟ができた時から、

 

やっと自分自身の人生の舵を

 

自発的に切ることができるよになってきたのだと、

 

今になって思う。

 

 

 

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以上は私の偏見に満ちた記事である。

 

ある人たちから見たら、超スーパー偏っているであろう。

 

 

 

でも、やっぱり私は思う。

 

ネットで見かける「金くれ」というやつ。

 

 

その中で、対価もなしに「金くれ」というやつ。

 

 

それは、失う(手放す)ものを運任せにした、

 

ただのギャンブラーと変わらない行為だと思っている。

 

 

 

そんな人生もあるけど、わたしの好みじゃ無いなぁーーー。

 

と、あらためて思った。

 

 

 

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