静岡県の漁村に暮らす

心屋認定講師

いがぐりこ、こと、栗林あやです。

 

 

 

今日は成人式ですね。

 

 

 

・・・・って、

 

実は、これを書くのも辛かった。

 

 

 

今までテレビのニュースで

 

成人式の様子が流れるのも、

 

ヘドが出そうで嫌だった。

 

 

 

 

なぜかというと。

 

 

 

17年前。

 

わたしは、成人式をやっていない。

 

 

 

実家がこんなんだったからね。

 

 

 

とてもじゃないけど、

 

成人式だなんて、

 

そんなもの行ける環境じゃなかった。

 

 

(※成人式を「やる」という表現は、

もしかしたら私が生まれた土地特有のものかもしれない。

タイプミスではありません。)

 

 

 

 

20歳の時

 

私はそんな実家を出て

 

当時付き合っていた彼氏と、別の街で同棲していた。

 

 

 

成人式の案内通知は来た。

 

 

 

でも、

 

知らない土地の

 

成人式に出るつもりはなかったし、

 

 

転居しても、地元の成人式に出られる

 

という裏技もあるらしかったが、

 

 

後足で砂をかけるように捨てて逃げて来た地元に、

 

今さら戻る気は全くなかった。

 

 

 

そして何より、

 

着物だなんて高級なものを着せてくれるような親なんて

 

私には居ない。

 

 

私を愛してくれる家族なんて

 

そんなもの、私には無い。

 

 

 

 

「成人式」

 

 

その言葉を聞くと、

 

心臓がぎゅーーーーっと苦しくなって、

 

喉がキューーーーっと締め付けられる。

 

 

 

「成人式」

 

 

その言葉は、

 

私の惨めさと劣等感を、モロに刺激した。

 

 

 

簡単に言ってしまえば

 

 

ぬくぬくと裕福な家庭に育って

 

親に華やかな振袖を用意してもらっている奴らに

 

嫉妬していたってことなのかもしれないけど、

 

 

でも、なんだか

 

それだけでは簡単には済まされない、嫌悪感と憎悪があった。

 

 

 

私の中で「成人式」の存在は

 

見たく無いものとして、封印された。

 

 

 

その年の成人式当日。

 

 

 

テレビで各地の成人式の様子が流れると、

 

私は、それを見るのが嫌でチャンネルを替えた。

 

 

 

 

ほんのちょっと。

 

ほんのちょっとだけ、

 

実家の母からの「おめでとう」とか

 

何かの言葉が届くのを

 

わずかな可能性として期待したが、

 

 

案の定、母からの音沙汰は

 

一切、無かった。

 

 

 

「やっていない成人式」

 

 

この思い出は、

 

胸が締め付けられる過去のうちのひとつになった。

 

 

 

 

 

今日、コバマス卒のとんちゃんが、

 

こんなブログを投稿していた。

 


 

 

 

なるほどなぁ。

 

 

わたしも成人式行かなかったから、めちゃわかる。


晴れ着ほんとは着たかったんだなぁ。。

 

 

振袖、ほんとは着たかったな・・・・・・。

 

 

華やかな振袖、ほんとは着たかったな・・・。

 

 

 

 

・・・・・・・

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

 

と、思っていたら、

 

 

さっき。

 

 

 

テレビで着付け屋さんが夜逃げしたニュースをやっていて。

 

 

予約したはずの着付け屋さんが

 

経営難で今朝になって雲隠れして、

 

着物が着れなかった子がいるそうだった。

 

 

 

あーー。

 

せめて、式当日に着物が着れなかった子は、

 

後日、振袖着て

 

写真だけでも撮ってあげることができたらいいのになぁ・・・。

 

そう思った。

 

 

 

 

後日、振袖着て写真・・・・

 

 

 

後日、振袖着て写真・・・・

 

 

 

後日、振袖着て写真・・・・!!!!!!

 

 

 

突然、思い出した。

 

 

 

 

わたし、振袖、着てた!!!!

 

 

着てた!!!!

 

 

 

わたし、振袖、着てた!!!!

 

 

そういえば、着てたわ!!

 

 

どえええええええヽ((◎д◎ ))ゝ

 

 

 

そうなのだ。

 

わたし、着てたのだ。

 

振袖!!!!

 

 

 

慌てて、アルバムを引っ張り出す。

 

 

 

 

あった!!!

 

 

 

 

うわ!

 

マジで記憶は700%嘘。( ̄□ ̄;)!!

 

 


わたし成人式やってない。

やってないけど、やってた!

 



衝撃!!!

 

 


受け取ってなかったんだ。


自分の記憶に衝撃!!!!




どういうことかというと。

 

 


17年前の当時、

 

同棲していた彼氏のお母さんが

 

着物を着せてくれたのだ。

 

 

 

振袖は、

 

彼氏の妹さん(私より年上)が

 

成人式の時に着た、振袖。

 

 

 

 

彼のお母さんが

 

私のそんな事情を知って、

 

 

「もう、成人式は過ぎてしまって

 

式には出られなかったけども、

 

20歳のうちに、写真だけでも撮りましょうよ。」

 

 

そう言って、妹さんの着物を貸してくださったのだ。

 

 

 

彼のお母さんが

 

地元の美容室も、写真スタジオも予約してくれて

 

 

音沙汰のない実の母に代わって、

 

まるで本当の娘のように、

 

わたしのことを可愛がってくれたのだった。

 

 

 

 

 

当時の私は、それすらも、

 

複雑な思いで受け取った。

 

 

 

・・・妹さんの振袖か・・・なんだか、惨めだなぁ。

 

成人式なんて、とっくに過ぎているのに・・・・

 

 

 

 

あああ。

 

成人式の記憶で思い出した。

 


わたし、可愛がられる人なんだ。

 

 

受け取っていなかったんだ。

 

わたし可愛がってもらえる人なの。

 

 

 

ずーっとずっと、


「私は邪魔者」のセルフイメージを抱えてきた。

 

「惨めなわたし」を抱えてきた。

 

 

 

でも、わたし


可愛がってもらえる人だった!

 

思い出した・・・。

 

 

 

 

1月はとうに過ぎていたけれど、

 

ヘアセットをしてもらって

 

着物を着て、

 

 

田舎の料理屋さんに

 

私と、彼と、彼のお母さんと、彼のお父さんで

 

食事に連れて行ってもらった。

 

 



あああああああああ!!!


なんてことでしょう。


記憶は700%うそ。

 

 

 

私は、振袖を着ていた。

 

やっていないはずの成人式。

 

 

 

式には出ていないけれど、

 

1月は過ぎていたけれど、

 

わたしは確かに。

 

成人式をささやかに おこなってもらっていた。

 

 

 

17年前の写真。

 

 

 

 

彼の、お爺さんと、お婆さん。

 

 

 

左のお婆さんは、

 

今、自宅で介護している91歳の、お婆さん。

 

 

 

あの時、

 

まるで本当の娘のように

 

わたしのことを可愛がってくれた

 

彼のお母さんは、

 

 

今は、姑。

 

私の本当のお母さんになった。

 

 

 

記憶は700%ウソ。

 

 

忘れていた愛されていた記憶を

 

またひとつ、思い出した。

 

 

 

 

「わたし、可愛がられる人なんです」

 

もうそろそろ、

 

受け取らないと、バチが当たるなぁ。

 

 

 

17年後、貫禄と肉がついて、こうなりました(笑)

 

 

 

おわり。