明日は、私の祖母の命日です。


今日は車で2時間の、祖母のお墓参りに行ってきました。

同じ墓地公園内に、

父のお墓もあるので、

そちらにも、お参りにいってきました。

 

私の父は、私が小学生の頃から、ちょくちょく家に戻らなくなり

中学生の時に完全にいなくなりました。

 

それまで、父と母は、夜中に常々

お金のことや、私のことで激しい喧嘩をしていたので、

 

父が長いこと家に戻らず

私は、飽きられて見捨てられたのだ、と気付いた時、

「よかった。もう怖い思いをしなくて済む」

と妙にホッとしました。

 

当時私は、中学生で、多感な時期だったので、

「もし、父が、母と私に復讐しにきたらどうしよう」と


ショボイお手製南京錠を、木工用ボンドで

市営住宅の重い玄関扉に設置し、

メンテナンスは欠かさず。


今思えば、訳の分らぬ幻想に怯えて、暮らしていました。

 

その後母は籍を抜き、

さらにその数年後、

私が23歳の時、

父はパチンコ屋で倒れて亡くなりました。

 

それまで父が居なくなったことに、淋しさやショックなど感じなかったはずなのに、

葬式で父の亡骸を見た時、

自分の知っている父の風貌と

年月が経ってずいぶん変わって痩せこけていたので、

少し動揺しました。


父の兄から、

「こいつなぁ、死ぬ間際まで、

『ぐりこ 大きくなったかなあ』

『ぐりこ に会いたいなあ』って言ってたぞ」

と聞き、


その時初めて、

 

私が素直な子供で無かったこと、

あの時両親の喧嘩を止めていたら、

事態が変わっていたかもしれない事、

私が父を引きとめておけなかったこと、

父を許せず、結婚式に父を呼ばなかったこと

父に逢いたいとも思わなかったこと

 

など、父に対して申しわけない気持ちと、罪悪感を持ったのでした。


 

父のお墓のある墓地公園に着いた時、

雨が上がって、暖かい風が吹いて

 

次女が無邪気に駆け回り、

長女が三女のベビーカーを

「みーちゃんが一人で押せる!

だってみーちゃんもうすぐ年中さんだもん!」

と張り切って押しているのを見て

 

ああ、幸せって、こういうものなのかもな、と。

 

 

「もう父との戦いは終わりにしよう」と決めました。

 

 

お父さん、お父さんの孫が3人になりました。

私、幸せになりました。

 

私、もう、お父さんを許します。

だから、どうか、おとうさんも、どうか私のことを許してください。