デビュー後は、阪急電車やホームにイラストが使われたりと、ブレービー人気も着実に上がっていきました。

島野さんも試合終了後に、自分のパフォーマンスをビデオでチェックし、常にどうしたらもっと観客に喜んでもらえるか真剣に取り組んでいきます。

それでも周りには栄光の巨人ドラ1で華々しく球界入りし、10年間プロとして在籍した元選手がやることじゃないと認めてもらえない。
それどころか、ブレービーの中が誰なのかは非公開にもかかわらず、デビュー後1年で「元巨人ドラフト1位島野、今はピエロ」と新聞に出てしまうんです。

ブレービーの中の人は自分だと誰も知らないから演技に集中出来ていたのに、
新聞掲載後は、「ドラフト1位が泣くぞ❗ 恥ずかしくないのかぁ」「しまのぉ~、そんな情けないことよくやってられるな❗」とヤジが飛ぶ様になってしまいます。

その当時は、現在の様にマスコットが重要な役割と認識されておらず、心ないヤジが島野さんの心を傷つけていきます。

そして島野さんは、マスコットになって2年目、今季限りでマスコットを辞めようと決意します。

辞める決心をしてから臨んだある日の試合終了後、西宮球場近くの居酒屋で落ち込む気持ちを抱え飲んでいた島野さんに、偶然にも子供の声が聞こえてきます。
「ブレービーめっちゃ面白かったな❗ また見に行こうな、お父ちゃん」

澤宮優さんの著作「ドラフト1位」のインタビューの中で島野さんは、

「ふつうは阪急の試合が面白かったと言うと思うんです。ところがブレービーが面白かったと言った。とても落ち込んでいたときだったので、一人でも俺を見に来てくれているお客さんがいるんだと、自分に言い聞かせた。そのとき目が覚めたように我に返ったんです」(澤宮優『ドラフト1位』より)

これがきっかけで、島野さんは様々な事から解放され、より一層ブレービーの中の人人生に磨きがかかって行きます。

参にくつづ