古い楽器購入のトラブル事例 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

私は自分で弦楽器を製作しているので、自分の楽器を売るために言いたくないですが、残念ながら古いことが音に有利であると認めざるを得ない経験をよくします。

しかし古い楽器は何でもいいというわけではありません。

古い楽器を購入してよくあるトラブルを紹介します。







こんにちは、ヨーロッパの弦楽器工房で働いている職人のガリッポです。



職人として厳しい修行を経て高い技術を身に付け、一台一台の楽器を隅々まで入念に仕上げると大変満足感があり、喜び、やりがい、達成感を味わうことができます。

しかし、そこで勘違いしてしまうのは、作りの正確さ、仕上げの美しさが楽器にとってとても重要で、そのような楽器が音が良いと優秀な職人ほど思い込んでしまいます。

楽器にとっては「作りの良さ」が音の良し悪しを決める決定的なもので、新しい古いは関係なく、作りの良さがすべてで、逆に音が良い楽器は作りが良いものに決まっている。

そのように勘違いしてしまいがちです。


しかし実際には、どう考えても何も考えずに粗雑に作った楽器や急いで作った楽器、平凡な楽器でも安価な楽器でも50年、100年、150年前の楽器に音の良さを認めざるを得ないものがあります。時に癖が強かったり荒い音だったりしますが、少なくとも音の強さでは認めざるを得ません。


また楽器商の営業マンであれば、いかに真面目な人でも商慣行を先輩や社長に教わってしまうと作者の知名度や流派、値段が絶対的な指標だと思い込んでしまうでしょう。


弦楽器は大体の作り方は誰にでも知られていてそこに何らかの工夫を加えたところで一長一短であっちが良ければこっちがダメというくらいにしかならず、「画期的に音が良い」ものはできません。もしかしたらごくまれにあるかもしれませんが、購入するチャンスまずないでしょう。

それに対して楽器が古くなるというのは全面的に音が良くなる可能性を持っています。
また、音の強さと柔らかさ、低音と高音、そのような相反する性質を両立する可能性を高めることも起きます。


とはいえ、古い楽器のすべてが音が良く、何でも買って良いというわけではありません。これまで何度も紹介してきたように、著しい欠点があってはいけません。保存状態や修理の状態にも気を付ける必要があります。

そして何より重要なのは適正な値段で購入することです。


これらをすべて満たしていたとしても音のキャラクターは様々で、実際に試演奏して気に入ったものを選ばなければいけません。音が強くなるだけに癖も強くなりますから。


このように、なかなか気軽にポンッ!と買うことができないのが古い楽器です。新しい楽器でもインチキな職人や法外な値段で売られていることもしばしばですし、弦楽器店の店頭に決して並ばない楽器もあります。

どっちにしても信用できる人物から楽器を購入するのが鉄則ですが、どうやってそれを見分けることができるのでしょうね?私にもわかりません。

ただ古い楽器は金額も大きく、故障や過去のまずい修理などのトラブルが起きやすいだけでなく、売り手のさじ加減ひとつで数百万円も値段が変わってしまいますから大変リスクが伴います。

骨董品と同じです。
私のような比較的古い楽器に詳しい職人でも見分けるのは難しいのですから骨董品よりもっと難しいのかもしれません。素人が「自分は審美眼がある」とうぬぼれているとカモにされるだけです。というのは、値段と職人の技量や作品の素晴らしさとは関係ないからです。


今回決して珍しいわけではないよくある事例を紹介します。参考にしてみてください。

美しい希少なビオラ・・・・

これはビオラです。古いビオラは数も少なく体に合った大きさのものを探すとなると選択肢が限られてしまいます。



このビオラはある男性がイタリア製のビオラだと聞いて購入したそうです。

修理とともに「イタリアの楽器を買ったけども、本当か見て欲しい」と頼まれました。
私は楽器を見て「おそらくガブリエリかなんかとして売られたんだろう?」と即座に思いましたが、聞いてみるとやはり「ガブリエリだと聞いて買った」と言っていました。

なぜガブリエリとして売られたのが一瞬でわかったのか説明します。


この楽器は見るとヤコブ・シュタイナーをもとにした古いドイツの楽器の特徴があります。普通に考えれば18世紀ころの古いドイツの楽器です。イタリアのものに比べると知名度が低く私個人としては過小評価されていると考えている典型の楽器で、大変美しく音響的にも作りの良い楽器と思います。200年以上前のもので適度な大きさのビオラは珍しくとても貴重です。

大変美しい素晴らしい楽器です。

ところがニスの色が典型的なドイツの楽器の濃い茶色ではありません。それでもしかしたら?となるわけです。
ジョバンニ・バティスタ・ガブリエリ(1716~1771)はイタリア・フィレンツェの職人でドイツ風の楽器を作った人です。メディチ家などのコレクションに当時有名だったシュタイナーがあってまねしたのかもしれませんし、ドイツから職人を招いたのかもしれません。いずれにしてもドイツ風の楽器を作りました。

古いドイツの楽器にイタリアの作者のラベルを張り付けて売るというのはよく行われてきました。テヒラーやガブリエリの偽造ラベルはよく目にします。

この楽器を図鑑で調べると確かにガブリエリによく似ています。
ニスもドイツのこげ茶色ではなく黄金色をしています。

「イタリア=黄金色のニス」とバカの一つ覚えのように思っている人は、これはイタリアの楽器だとなるわけです。よく見るとそんな単純ではありません。「気楽にストラディバリを楽しむ」でいずれ詳しく説明します。


私が見たところこのニスは塗られて50年くらいしか経っていないように見えます。紫外線のライトを当てて見ると蛍光の仕方で、全体が同じニスであることがわかります。200年以上前の楽器、特に高いアーチの楽器ではオリジナルのニスはこすれて剥げ落ちてしまい、深く彫込まれているところだけに残っているのが普通です。

そこで考えられるのは二つ
①古い楽器を模して現代に作られた複製品
②18世紀の楽器のニスを塗り替えた

もしこれが①の複製品なら驚くべき腕前と知識の職人と言うことになります。現代でこのような楽器を作れる人はまずいません。そうなると相当勉強している職人ということになります。確率としては低いでしょう。昔の技術の難易度が高いというのではなく、考え方と製作手順や使う道具が現代と違うからです。


それよりありそうなのはニスを塗り替えた可能性です。指板の下のところは松脂に汚れが付着して真っ黒になっているものですが、この楽器ではきれいなものです。作風とニスのギャップが大きすぎます、塗り替えたのでしょう。

古い楽器のニスを塗り替えたり、上から別のニスを塗ってしまうということもよくあります。


こうなると美しいドイツの楽器であるだけに、ニスが塗り替えられてしまったのは残念です。


私はただの職人で鑑定なんて大そうなことをする気はありませんが、可能性としてはガブリエリであるということは難しいでしょう。古いドイツの楽器であると考えるほうが普通でしょう。

ただし、大変美しい古い楽器であることには変わりなく、イタリアの楽器に見せかけるためにニスを塗り替えてしまったのが悔やまれます。もともとついてたドイツの作者のラベルもはがされてしまったのかもしれません、もしオリジナルのラベルがあればドイツの名器として作者を特定するのに役立ったかもしれません。


こういうケースでお客さんに事実を知らせるのは心を痛めます。
今回は、「音楽家として大事なのはそれがイタリア製であるかどうかより、美しい楽器か、音が良い楽器かということのほうが大事で、その点に関しては間違いなく素晴らしい楽器です。」と伝えることになります。


いくらの値段で買ったのかは聞きませんでしたが、ガブリエリなら1000万円くらい、ドイツの楽器で作者不明なら200万円が限界でしょう。可能性が低いですがそれでもというのなら世界的な権威のある鑑定士に見てもらう必要があります。

チェロの事例

続いても、30年前に購入したチェロの価値を教えてほしいと依頼がありました。当時の領収書も残っていて今の価値で250万円くらい支払ったそうです。


これはパッと見た瞬間に「0ユーロ」と確定しました。
f字孔の位置が下にありすぎますから、ボディストップの長さが異常な長さです。まともに演奏できないでしょう。測ってみると30㎜通常より長いです、ごまかせる長さではありません。

ラベルには19世紀フランスの一流の職人の名前が書いてありますが全くのでたらめだと一瞬でわかります、作風が全く違います。250万円では買えませんから売った人もラベルは偽造だと認めていたようです。


しかしパッと見てすぐに安価な大量生産品だとわかりますからストップの位置がおかしくなくて修理を施した後でも100万円も付けるのは難しいでしょう。表板のf字孔を新しい木で埋めて開け直すとか新しい表板を作るとかそんな手間暇をかけるより、ヨーロッパの家庭には使わなくなった大量生産品の楽器がたくさん眠っているので他にもっとましな楽器はいくらでも仕入れることができます。

したがって、価値は0ユーロです。

250万円が0円ですよ。
笑い事ではありません。


東ヨーロッパのストリートや飲食店で演奏している音楽家ならこういう楽器でも演奏しているのかもしれませんが、本格的にチェロのレッスンを受けるのに適していないのでうちの店では売ることはできません。

子供用のコントラバスにして天才ジャズ少年みたいな子がいればとかも考えますが…ピアニストとかドラマーは聞いたことがあるけどベーシストは聞いたことがないですね。

これは冗談ですが、かつてコントラバスとチェロを専門に作る工場がいくつもあり、仕事は大雑把で荒い物でした。

値段について

今回紹介したような法外な値段で買ったり、作者を偽って売られたりというのは決して珍しいことではありません。

こういうことがよくあるんだということを肝に銘じてもらいたいです。


例えば一袋298円のミカンと498円のミカンが売られてたとします。298円のミカンが酸っぱくても納得しますが498円のミカンが酸っぱければその店は「果物は買わないほうがいいな」と認識します。そこで店は長期的なことを考えると値段に見合った商品を置くようになります。

しかし弦楽器の場合、そう何度も買うわけでもないですし、音の良し悪しを聞き分けるのも大変難しいものです。一回売ってしまえば終わりということでもありますから売れればどんな値段をつけてもいいわけです。自由経済なら買い手がつきさえすれば値段を自由に決めることができます。作者を偽わらなければ詐欺にはなりませんから、値段は売り手のさじ加減一つです。

またハンドメイドの楽器は製造コストの高さから、大量生産品より高い値段で売られることが普通です。そのため、大量生産品よりもはるかに品質も悪いインチキ職人のハンドメイドの楽器も高い値段で売られています。


ミカンの例のようにいつのまにか「高いものが良い物」と思い込んでいると、法外な値段のものを「高いから良い物に違いない」と思ってしまいます。

楽器の素晴らしさで値段を決めているわけではないので、値段などは楽器の良し悪しを見分ける根拠にならないということも肝に銘じてもらいたいものです。

楽器の音と値段を適正に評価する格付け機関、公的機関、国際機関などは存在しません。
戦前より前の楽器では骨董品と同じようにオークションなどをもとに相場というものがあります。私のいる国では相場よりかけ離れた高い値段で買ってしまった場合、不当だとして裁判に訴えることができます。

日本ではこのようなことは聞いたことがありません。「良心的ではない」とは言えますが、作者を偽りさえしなければ相場より著しく高くても違法性はないでしょう。

現役の作者では相場は定まっていません。現代の楽器で他の作者より高い値段がついていてもその店が勝手に高い値段をつけているだけで「世界的に評価が高い作者」と営業マンが言っていても公正な世界的な評価なんてものはありません。

私も自分の楽器を1000万円という値段で売ってみましょうか?
値札を付けた途端に音が良くなると思いますか?



とかく争いを嫌う日本人は、商取引や雇用契約は相手に任せておけばすべて規則に従って制度化システム化されていると思い込みがちです。

本来、取引は取るか取られるかの戦いで、契約社会は放っておいたらいくら取られるかわかったものではないので「契約」というもので守ろうとするのです。
「値段というのは取引が成立してしまえばいくら高くつけてもかまわない」それくらいのものだと思っておいて、値段に見合っているのか厳しく見極める必要があると思います。


とにかく大事なのは技術がわかっている信用できる人から買うことなんですが…
私の働いている店では、無名な作者の楽器なら職人の目で見て仕事のクオリティの高い楽器には高めの値段をつけますし、量産品と同等クオリティの楽器にはハンドメイドでも量産品並みの値段をつけます。
職人でない売り手にその違いが分かるのか疑問です。



まあ、余計にお金を払うのも、私には理解できないそれなりの理由があるのかもしれません。
技術者の立場から意見を言わせてもらいました。


これからもトラブルの事例も紹介していきます。
参考にしてください。