Wheel of Fortune

Wheel of Fortune

What is essential is invisible to the eye.

出張帰りの新幹線の中。

仕事は何も出来ない状況だし、他に何もやることがなく、久しぶりに暇になってしまったので(笑)、ブログを書いてみます。


今の会社に移る前、間接部門で協力して、部門横断の業務改善を継続して行う取り組みを立ち上げた。


会社の事業・サービスを直接担っている直接部門に対し、間接部門はそのサポートを行う、縁の下の力持ち的な存在。


色々な背景・事情があって、間接部門は、お役所仕事化・縦割り化が進みがち。

直接部門からの不満は高まるし、当の間接部門の中の人達も、仕事のやりがいや誇りを失っていく。


前の会社に移ったばかりとき(今となっては5年以上前)に、その会社が急速な陣容拡大をする中、間接部門業務の色々なところを強化整備するミッションを受け、色々なことをやっていた。


仕組みは次第に整備されつつも、上記のような官僚的なところはいっこうに良くなる方向にはなく、むしろ組織が大きくなるにつれて悪化していたかもしれない。

まさにお役所仕事のように官僚的な大企業にかつていた僕は、その会社が同じような官僚的会社になっていくのを静観するのは真っ平御免で、だから、変えたくて立ち上げた。(いや、立ち上がった、か?)


組織を変えて行く活動は、当然ながら嫌われることも珍しくないし、色々な抵抗に逢うことが多い。

少なくとも目の前の利害・損得を見れば、大変なのに割に合わないそんなことをわざわざする物好きはなかなかいない。


僕は、自分のいる場所で、自分の納得出来ない事がまかり通っているのが我慢できない性分なので(サラリーマンに不向き?)、結局はただ「我慢できなかった」ということだったんだと思う(^_^;)


そんな活動を立ち上げて、この先5年で、自分の出来ることをやりきって、僕を拾ってくれて大事にしてくれた、この会社の恩を返すぞ~と意気込んでいた矢先(その運動を立ち上げてからたった数ヵ月後)、突如、会社の解散を告げられた。


業績は良く、将来に向けた次の世代への希望や期待しかなく、まさか解散なんて予感は全くなかったので、あまりに予想外のことに驚いた。


宙に浮いてしまったその運動をどう着地させれば良いのか悩み(もうすぐ解散するとわかっている会社を、今から改善することに意味を見いだして協力してくれる人がどこの世界にいる?)、かといって、会社が解散するとわかったとたん、その運動をやめてしまうのも何だか違う(何よりも自分的にカッコ悪すぎてイヤ)と思い、「次の会社に移る間接部門の皆が、移った先でも使える知恵をまとめあげる」というミッションを何とかして定義し、滑稽かもしれないと思いつつ、梯子をはずされた中でやりきった。


色々とやりきれない思いはあったのだけど、こういうことを、会社から給料をいただきながら思いきってやりきるチャンスは誰にでも与えられるものではないし、そんな無意味かもしれないことを最後までやる許可を役員からいただけたし、自分にとって貴重な経験になる確信だけはあったので、一切手を抜くことなく、全力でやりきった。


組織改革には、「空回り」というのはありがちなつきもので、空回りが恐かったら組織改革なんてできる筈がない、と僕は思ってる。

元々、空気を読んで周囲に合わせる事がとても苦手な性分なので(協調性がない?)、その代償として空回りには慣れるしかなく、なので空回りにはわりと慣れていると思う。


けれど、これは究極の「空回り」だったし、どうせならとことんまで究極に空回りするのも二度と出来ない経験かもしれないと思い、開き直ってバカみたいに空回りした。


当時、社内SNSを立ち上げていて、その場所を使って各種の情報発信を最後まで続けた。


会社が解散し、それぞれが別々の会社に移ったあとも、しばらくは残しておくことにしていたのだけど、それから一年経ったので、一年ぶりに最後のメッセージを投稿して、その翌月に閉鎖した。


皮肉なことに、今までの人生で圧倒的最大数の「いいね」をいただいた(笑)


そんな酔狂をやったので、おそらく、そのなくなってしまった会社の人達の中では有名人になった(笑)。


こちらが知らない人でも、向こうはこっちを知っていることが多い。


こんな話を何故今頃になって書いているかというと、そんな過去の酔狂の「報い」を、今になって受けることになったからだ。


4月の組織再編で、たまたま、その会社の社員だった方が自分の隣の部門に異動してきた。

部門またがりの歓迎会があり、たまたまその人の隣の席になり、かつてその会社にいた人だったことも知らず、挨拶をしたら、「あの○○さんですよね?社内SNSの活動が熱くて印象的でした」から始まり、好印象で話すことができた。


それが僕の中では、内心とても嬉しかった。


思えば、当時の総務部門の部長(こちらはかなり最初からの知り合い)からも、そのSNSの最後のメッセージは「自分の思いも代弁してくれているかのようで、激しく同意した」といったメールを個別にいただいたり、そんな感じで、思わぬところで思わぬ反響をいただくことは今なお時々ある。


直接の言葉はなくても、その会社にいた人達の多くが僕のことをポジティブに受け止めてくれている感触を持つことは多くて、思いもしなかった形で、知らないうちに信頼の貯金みたいなものができていたのかもしれないな、と感じる。


人生は、目先の損得では計れないものがあると思う。

目先の損得を気にして、自分が本当にやりたいことや言いたいことを我慢していたら、その事自体が大

きな損なのかもしれない。


日々起こる出来事や選択は、最終的に良いことだったのか悪いことだったのか、人生が終わる最後の最後までわからない、ということを言った人がいたのだけど、ホントにそうなんだろうな、と思う。


どうせわからないなら、自分の人生は、「他の誰か」ではなく、なるべく「自分の」価値観や思いで選択して行くのが良いのかな、と、自分的には思う。

 

 

遅ればせながら、食卓のアレンジを紫陽花から夏の金魚に変更。

お気に入りの手拭いの一つです。

 

お気に入りの器で、料理は、自家製青唐辛子で作ったタイ風サラダ。

メインの食材はオクラとシラスです。

 

タイのサラダといえば、ヤムウンセン(春雨サラダ)やソムタム(青パパイヤのサラダ)を連想しますし、比較的材料の入手しやすいヤムウンセンは何度も作りました。

 

ただ、奥さんのために炭水化物控えめにしているので、最近はヤムウンセンはあまり作らず、季節の野菜を使うようになりました。

味付けはヤムウンセンそのままなのですが、どんな食材でも、それはそれで美味しいことを発見して以来、こんな感じが増えました。

 

桃モッツァレラとサーモンマリネ

 

サーモンマリネは、アジアン用に買ってあった紫玉ねぎと自家製ディル、自家製ミニトマトで。

 

夏野菜のイタリア風炒め

 

オクラ、パプリカ、ゴーヤなどの夏野菜と豚肉を、ニンニク・自家製青唐辛子で炒めました。

炒めた野菜の甘み・旨みに、唐辛子の辛味と少量のゴーヤの苦味が良いスパイスとなり、自ずと元気になり、夏バテ対策にも。

あっという間に完食です(^o^)

 

 

 

今の僕にはこう聞こえる、ということで、一般的な訳詞とは少し異なると思います。

(大筋は違わない筈、と、思うけど)

 

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When I fall in love

僕が誰かを愛するとすれば

it will be forever

それは永遠になるんだろう

 

or I'll never fall in love

そうでなければ 誰かを愛する事はもうないんだろう

 

in a restless world like this is

こんなせわしない世の中では

love is ended before it's begun

愛は始まる前から終わっている

and too many moomlight kisses

そして あまりに数えきれないほどの月明りの口づけは

seem to cool in the warmth of the sun

日なたの暖かさの中では冷ややかに思えてしまう

 

 

When I give my heart

僕が誰かに心を捧げるならば

It will be completely

全てを捧げるんだろう

 

or I'll never give my heart

そうでなければ 心を捧げる事はもうないんだろう

 

and the moment I can feel that

僕がそんな風になれて

you feel that way too

あなたもそんな風になれるのは

is when I'll fall in love with you

僕とあなたが恋をした時なんだ

会社再編により、自分個人の頑張りに全く関係のないところで、この5年強が突然リセットとなり、未知の場所に飛ばされてしまった感の4月。


受け入れる側も受け入れる側で、いきなり言われた筈で、つまり内心は困惑している筈で。


年度第一営業日の4/3から今日までの3日間、顔合わせのため、広島と福岡を行脚してきて、今、最終の飛行機で帰り道です。


今回伺った先々で、新たなメンバーの方々の様々な経歴を聞いてわかったことは、おそらく僕以上に理不尽でどうにもならない経験をしてきた人たちが大半であるということ。


根性があり我慢強く、仕事もおそらくできたがゆえに、あちこち飛ばされて修羅場の現場ばかりを経験してきた人。


現場の第一線で活躍してきたが、身体やメンタルを故障しまい、そこからの撤退を余儀なくされてしまった人。


この場所をリーダーとして立ち上げ、育てて定年を迎えて再雇用を受け、次代を見守りながら退職まで残り10ヶ月となっている人。


仕事ではまるで元気がないのに、飲み会の席では誰よりも生き生きとしていて、場を盛り上げる人。


実に色々な人がいて、一緒にうまくやれるかどうかはわからないにしても、それぞれに個性的な魅力のある人たちだと感じたし、多様な人たちとの出会いが楽しかった。