ご無沙汰しています。生きています。
久方ぶりの更新になります。体調を大きく崩していました。この二週間を振り返ります。
20(土) 3週間ぶりにおともだちに会う。自宅に来る予定だったが、反政府デモ激しくあと2キロで断念。
結局、ショッピングモールで食事。僕は食欲無く、何も食べれなかった。
21(日) 朝から、おともだちとスクンビットにある教会に行く。
礼拝が終わったあとは、ラップラオ方面のショッピングセンターでお買い物に付き合わされる。
この日も食欲無く・・・。
22(月) おともだちの仕事終了をまって日本食屋へ。「とにかく食べろ」との指令にまぐろ丼を食す。
久しぶりにまともな食事。
帰宅後、体調の異変に気付く。
23(火) マレーシア出張。の予定だったが、発熱のために一日延期を顧客に申し出る。
病院に行き点滴。通常であれば、これでOK。
24(水) 全く熱が下がらない。しかし、さすがに、これ以上、出張を延期はできないと判断しマレーシアへ。
現地に到着して、早速、打ち合わせ開始。
しかし、30分も経たないうちに、お客様より、「もう止めましょう」「来月バンコクで会いましょう」と。
なんとも情けない結果に。
25(木) 一向に熱が下がらず。バンコクに戻る気力が無い。
現地の病院で点滴。効果は数時間だけでした・・・。
26(金) 気力を振り絞りバンコクに戻る。意識が朦朧としながらの移動。
イミグレでパスポートが無いことに気付く。機内に忘れた!
慌てて航空会社の職員に座席番号を見せて探してほしいと依頼。ヤル気のない職員。
15分後、「ありませんでした」との回答。そんなわけない!
もう一度確認してくれと依頼するが、もう機材は、チェンマイに飛び立ったと。
知り合いの日本大使館職員に電話。「任せてください」と頼もしいお言葉。
結果、チェンマイに着陸した際に、僕のパスポートは発見されました。
しかし、結果的に空港に5時間ほど足止めされ、39℃の高熱の僕の体力は完全にゼロに。
27(土) やはり自宅はすべてが整っていて最高だ。
事前に体調が悪いことはアパートのオーナーには伝えてあったので、
お手伝いさんたちが、完璧な準備で僕の帰国を待っていてくれました。
そのお陰で、この日は、なんか一気に回復したような感じ。
この日は、ポーランド杯の日。しかし、さすがに欠席と連絡していたのですが、
発熱→解熱のサイクルの中で、大会の直前は、非常に体が楽に。
タクシーに飛び乗り、大会会場へ。皆さん、遅れて済みませんでした。
大会終了後、みんなで中華。水餃子ひとつ、スープ1杯。月曜以来のまともな食事。
28(日) 再び体調悪化。とにかく何も食べれないのが辛い。フルーツとスポーツドリンクの毎日。
メイドさんたちは、休日にもかかわらずよく働いてくれる。感謝であります。
29(月) 発熱→解熱→発熱→解熱。 ただ、その繰り返し。
仕事を一週間休むことを関係各所に連絡。
食べれないことが辛い。体重が遂に55Kgに。
インドから帰国した際の体重が67kgであることを考えるとこれは異常事態だ。
30(火) 少し回復したような気がする。発熱の回数が減る。
相変わらず何も食べれない。
31(水) 徐々に体調が回復していることを感じる。
あれだけ食いしん坊だった自分が、なにも食べれないという現状。
1(木) 発熱の度合いがゆるくなったような気がする。
気力を振り絞り、近所のタイ人向け日本食屋に。うどんとおでんを注文。
味は酷いが、無理矢理押し込む。生きるための戦い。
2(金) 38℃を超えることは無くなりました。
プロンポンの日本人向け日本食屋さんへ。山菜うどん、出汁巻き玉子を食べる。
本当は美味しいのでしょうが、体調の悪い僕には、まぁまぁの味。
しかし、栄養補給ができたことに大満足。
富士スーパーでポカリスエット大量買い。
これが僕の二週間。
20(土) 3週間ぶりにおともだちに会う。自宅に来る予定だったが、反政府デモ激しくあと2キロで断念。
結局、ショッピングモールで食事。僕は食欲無く、何も食べれなかった。
21(日) 朝から、おともだちとスクンビットにある教会に行く。
礼拝が終わったあとは、ラップラオ方面のショッピングセンターでお買い物に付き合わされる。
この日も食欲無く・・・。
22(月) おともだちの仕事終了をまって日本食屋へ。「とにかく食べろ」との指令にまぐろ丼を食す。
久しぶりにまともな食事。
帰宅後、体調の異変に気付く。
23(火) マレーシア出張。の予定だったが、発熱のために一日延期を顧客に申し出る。
病院に行き点滴。通常であれば、これでOK。
24(水) 全く熱が下がらない。しかし、さすがに、これ以上、出張を延期はできないと判断しマレーシアへ。
現地に到着して、早速、打ち合わせ開始。
しかし、30分も経たないうちに、お客様より、「もう止めましょう」「来月バンコクで会いましょう」と。
なんとも情けない結果に。
25(木) 一向に熱が下がらず。バンコクに戻る気力が無い。
現地の病院で点滴。効果は数時間だけでした・・・。
26(金) 気力を振り絞りバンコクに戻る。意識が朦朧としながらの移動。
イミグレでパスポートが無いことに気付く。機内に忘れた!
慌てて航空会社の職員に座席番号を見せて探してほしいと依頼。ヤル気のない職員。
15分後、「ありませんでした」との回答。そんなわけない!
もう一度確認してくれと依頼するが、もう機材は、チェンマイに飛び立ったと。
知り合いの日本大使館職員に電話。「任せてください」と頼もしいお言葉。
結果、チェンマイに着陸した際に、僕のパスポートは発見されました。
しかし、結果的に空港に5時間ほど足止めされ、39℃の高熱の僕の体力は完全にゼロに。
27(土) やはり自宅はすべてが整っていて最高だ。
事前に体調が悪いことはアパートのオーナーには伝えてあったので、
お手伝いさんたちが、完璧な準備で僕の帰国を待っていてくれました。
そのお陰で、この日は、なんか一気に回復したような感じ。
この日は、ポーランド杯の日。しかし、さすがに欠席と連絡していたのですが、
発熱→解熱のサイクルの中で、大会の直前は、非常に体が楽に。
タクシーに飛び乗り、大会会場へ。皆さん、遅れて済みませんでした。
大会終了後、みんなで中華。水餃子ひとつ、スープ1杯。月曜以来のまともな食事。
28(日) 再び体調悪化。とにかく何も食べれないのが辛い。フルーツとスポーツドリンクの毎日。
メイドさんたちは、休日にもかかわらずよく働いてくれる。感謝であります。
29(月) 発熱→解熱→発熱→解熱。 ただ、その繰り返し。
仕事を一週間休むことを関係各所に連絡。
食べれないことが辛い。体重が遂に55Kgに。
インドから帰国した際の体重が67kgであることを考えるとこれは異常事態だ。
30(火) 少し回復したような気がする。発熱の回数が減る。
相変わらず何も食べれない。
31(水) 徐々に体調が回復していることを感じる。
あれだけ食いしん坊だった自分が、なにも食べれないという現状。
1(木) 発熱の度合いがゆるくなったような気がする。
気力を振り絞り、近所のタイ人向け日本食屋に。うどんとおでんを注文。
味は酷いが、無理矢理押し込む。生きるための戦い。
2(金) 38℃を超えることは無くなりました。
プロンポンの日本人向け日本食屋さんへ。山菜うどん、出汁巻き玉子を食べる。
本当は美味しいのでしょうが、体調の悪い僕には、まぁまぁの味。
しかし、栄養補給ができたことに大満足。
富士スーパーでポカリスエット大量買い。
これが僕の二週間。