5、私たちは存在しているのか

 

いよいよ、話は究極のレベルにまで到達しました。そこで、これまでのまとめの意味で、「そもそも私たちは存在しているのか?」について考えてみます。

 

1)未来を今として見させる「クロノスタシス」

 

今度は、これまで述べてきた「潜在意識が処理した情報を意識が後追いで追認している」というのとは反対に、「潜在意識が処理した未来の情報を意識が先取りして認識している」ということを時間を例にとって考えてみます。

 

例えば、「クロノスタシス」と言って、ちょうど秒針が動いた瞬間に時計に目をやると、僅かに秒針が止まって見えることがあります。これは、人間の目は常に運動しているため、すべての風景を処理しようとするとあらゆるものが映ってしまい、画像を確定できません。

 

このため、眼球が動いている間に得られる情報は無視し、その間を眼の動きが止まったあとの情報で埋め合わせ、連続した画像と見なしています。つまり、人間が見ている風景は"今の風景"ではなく"未来の風景"なのです。

 

2)「自分」とは何か?

 

だとすれば、意識も持たず、幻のような現実を見ているだけの私たち自身も、果たして存在しているのかという疑問が湧いてきます。そこで、残った私たちの「体」について、それは「自分のもの」なのかについて考えてみます。

 

自分の体とそれ以外の境界は、イメージ的には「皮膚表面の内か外か」とということになりそうですが、だとすれば、口や胃の中に入った飲み物や食べ物は体の中に入っても、器官表面の外側にあるので自分のものではない

 

では、「自分のコントロールが及ぶものが自分のもの」と広くとらえるならば、体内に入った食べ物と切ったばかりのツメや髪の毛、また自分が掛けるメガネ、さらには自分が所有する自動車も「自分のもの」ということになります。が、一方でコントロールできない心臓は自分のものではないことになります。

 

このように、「自分のもの」などという概念は実に曖昧で、従って「自分の体」というものも、生まれてこのかた「自分の体とはそういうものだ」と潜在意識に刷り込まれてきた一つの概念(思い込み)に過ぎず、その存在を確定することができないのです。

 

3)「量子理論」での説明(量子脳仮説)

 

最後に、以上の結論を、すでに述べた量子理論の「観察者効果」や脳科学の「受動意識仮説」を統合しながら統一的に説明する理論として、「量子脳仮説」があります。

 

それによると、目に見えない脳の内部と目に見える外部は繫がっていて、外部から脳の内部に波動が伝わると、内部では未確定状態の「潜在意識(量子意識)」が明確な顕在意識(意志)へと変化します。

 

その変化は同時に外部へと伝わり、「元物質(量子素子)」を目に見える物へと変化させます。この内外で対を成す関係性の中で起こる変化を「量子もつれ効果」といい、目に見える物と目に見えないもののが、1秒間に何億回と繰り返し「対生滅」しているのが宇宙の実相なのです(縁起、唯識、中観)。

 

例えば、幼児が自分が生まれる(潜在意識を持つ)前の母親の会話を知っていて、ある日、突然語り出すということが言われますが、これはどういうことかというと、

 

潜在意識の中身は、"波動"という目に見えない状態の「量子意識」で、それは脳ができる前から宇宙空間に周く存在していて、生命の誕生と同時に脳の中に潜在意識として居場所を得ます。このような場としての空間を「クラスター」とか「量子ポテンシャル」といいます(仏教でいう「空」)。

 

また、宇宙には周く量子が存在し、逆に、一粒の量子には"全宇宙"の量子が畳み込まれていて(一即一切、一切即一)、相互に常に入れ替わっており、その結果、「意識の生滅」や「生まれる前の記憶の持ち越し」、あるいは「直感」「創発」などが生み出されているのです。

 

(次回に続く…)