私たちのこの一歩


 私たちのこの一歩が

 わがままで気まぐれな一歩に見えようと

 私たちのこの一歩は

 確かに重心を移動させた


 私たちは踏みだした

 この右足をしかと見た

 私たちは同じ時刻

 それをとりまく周囲をみわたす

 何がどこに位置し

 なにがどちらの方向へどのくらいの速度で移動しつつあるか

 すべてを認め 理解し

 私たちの次の一歩の最善の方向と時を決定する


 私たちに 決断はあっても迷いはない

 迷った時に私たちは より私たち個人から遠い願いにもとづいて行動する 

 私たち個人から遠い願いとは

 すべての人々にとって同じ距離にある本質のことである



安保法案へ反対する人たちが、いろんな行動をしている。その人たちを見ていて思い浮かんだのが、この一篇の詩だ。


いまさらながら、ディケンズ「クリスマス・カロル」村岡花子訳を読んだ。季節外れだけれども。

実はディケンズには苦い記憶がある。私は不真面目な大学生で、あまり授業にはでなかった。出席を重視する語学の講義であっても、そうであった。そのために卒業が危うくなってしまったのだ。なんとか追試を受けて卒業させてもらったが、ずいぶんと肝を冷やしたものだ。その追試がディケンズだった。人気のない大学図書館で目が痛くなるほど、必死に出題図書を読んだ。そんなこともあって敬遠していたのだが、たまたま古本屋で目に留まったので買ってみた。

守銭奴の冷たい年寄りであるスクレージが、クリスマス・イブの夜に精霊に自分を取り巻く過去現在未来を見せられて改心する物語なのだが、とてもよかった。人間は、変わることが出来るのだという希望あふれる小説で、古典として生き続けるだろう一冊でした。

ちなみに僕が買ったのは平成10年に刷られたもので、画像のものではありません。



河出書房新社のおいしい文藝「ぐつぐつ、お鍋」を読んだ。この蒸し暑いのに酔狂なことだと我ながら思うが、一方では暑い時こそ熱いものを食うのもいいものですよね。


37篇のエッセイで構成されている。1篇づつはごく短い話なので、簡単に読める。この本で、初めて読んだ作家も何人かいた。玉石混淆なのだが、宇能鴻一郎「水戸・烈女と酒を汲む(抄)」がよかったなー。アンコウ鍋について書かれてるんだけれど、その食感を官能的に表現してて、気持ち良さがこちらにも伝わってきました。


ちなみに「ぷくぷく、お肉」、「ずるずる、ラーメン」、「つやつや、ごはん」のシリーズも既刊です。


暇つぶしにはいいですよ。







数学、得意ですか?僕は苦手です。

円の面積や体積、三角形の証明などでつまずいてから、学生の頃はさんざんな成績をとってました。学校のテストは覚えた公式を問題に応用するものですが、その公式が本当に正しいのか納得できないのに「正しいもの」として扱わなくてはいけないことに、心理的に抵抗がありました。すんなりと物事を受け入れない頑なさが、当時からありました。


学校の数学は嫌いでしたが「数」には興味があって、素数は昔から好きです。デイヴィッド・ウェルズ「数の事典」で、3576垓8631京2646兆2165億6762万9137が左端から3,5,7と順番に消していってもずっと素数が残る数字だと知っては、とても興奮したものです。


今回読んだ本は苦手な分野である数学に親しもうと思って、手にしたものです。


矢野健太郎「すばらしい数学者たち」は円錐曲線が難しかったが、数学者の歴史を知ることができて、読み応えがあるいい本でした。


藤原正彦/小川洋子「世にも美しい数学入門」は、ちくまプリマー新書であるが、「博士の愛した数式」が話題になったから上梓されたのだろう。時の試練に耐えられる本ではなく、初版から10年近く経った現在では読むほどのものではありません。藤原さんの日本礼讃も五月蠅い。


ヒロシマの空                林 幸子


夜 野宿して

やっと避難さきにたどりついたら

お父ちゃんだけしか いなかった

---お母ちゃんと ユウちゃんが

死んだよお・・・・・・



八月の太陽は

前を流れる八幡河に反射して

父とわたしの泣く声を さえぎった



その あくる日

父は からの菓子箱をさげ

わたしは 鍬をかついで

ヒロシマの焼け跡へ 

とぼとぼと あるいていった



やっとたどりついたヒロシマは

死人を焼く匂いにみちていた

それはサンマを焼くにおい



燃えさしの鉄橋を

よたよた渡るお父ちゃんとわたし

昨日よりも沢山の死骸

真夏の熱気にさらされ

体が ぼうちょうして

はみだす 内臓

渦巻く腸

かすかな音をたてながら

どすぐろい きいろい汁が

鼻から 口から 耳から

目から とけて流れる

ああ あそこに土蔵の石垣がみえる

なつかしい わたしの家の跡

井戸の中に 燃えかけの木立が

浮いていた



台所のあとに

お釜がころがり

六日の朝たべた

カボチャの代用食がこげついていた

茶碗のかけらがちらばっている

瓦の中へ 鍬をうちこむと

はねかえる

お父ちゃんは瓦のうえにしゃがむと

手でそれを のけはじめた

ぐったりとした お父ちゃんは

かぼそい声で指さした

わたしは鍬をなげすてて

そこを掘る

陽にさらされて 熱くなった瓦

だまって

一心に掘りかえす父とわたし



ああ

お母ちゃんの骨だ

ああ ぎゅっとにぎりしめると

白い粉が 風に舞う 

お母ちゃんの骨は 口に入れると

さみしい味がする

たえがたいかなしみが

のこされた父とわたしに襲いかかって

大きな声をあげながら

ふたりは 骨をひらう

菓子箱に入れた骨は

かさかさと 音をたてる



弟は お母ちゃんのすぐそばで

半分 骨になり

内臓が燃えきらないで

ころり と ころがっていた

その内臓に

フトンの綿がこびりついていた


---死んでしまいたい!

お父ちゃんは叫びながら

弟の内臓をだいて泣く

焼跡には鉄管がつきあげ

噴水のようにふきあげる水が

あの時のこされた唯一の生命のように

太陽のひかりを浴びる



わたしは

ひびの入った湯呑み茶碗に水をくむと

弟の内臓の前においた

父は

配給のカンパンをだした

わたしは

じっと 目をつむる

お父ちゃんは

生き埋めにされた

ふたりの声をききながら

どうしょうもなかったのだ



それからしばらくして

無傷だったお父ちゃんの体に

斑点がひろがってきた



生きる希望もないお父ちゃん

それでも

のこされる わたしがかわいそうだと

ほしくもないたべ物を 喉にとおす


---ブドウが たべたいなあ

---キウリで がまんしてね



それが九月一日の朝

わたしはキウリをしぼり

お砂糖を入れて

ジュウスをつくった

お父ちゃんは

生きかえったようだとわたしを見て

わらったけれど

泣いているような

よわよわしい声



ふと お父ちゃんは

虚空をみつめ

---風がひどい

  嵐がくる・・・・・・嵐が

といった

ふーっと大きく息をついた

そのまま

がっくりとくずれて

うごかなくなった

ひと月も たたぬまに

わたしは

ひとりぼっちになってしまった



涙を流しきった あとの

焦点のない わたしの からだ

前を流れる河を

みつめる


うつくしく 晴れわたった

ヒロシマの

あおい空



日本ペンクラブ編 加賀美幸子選「読み聞かせる戦争」より


なんと哀しく、なんと美しい詩なのだろう!

世界中の人々に読んでもらいたい詩だ。