NORIKOです。

私の師匠の一人が、よく言っている言葉に
『なんか知らんけど、そうなった(うまくいってた)』というのがあるのですが
今日気づいてみると「心配、不安」が、なんか知らんけどなくなっていました。

今夏は、割と大きな手術をしたり、今月頭くらいまでは経済的なことで
どうしようかなぁ~ みたいな感情があったのですが・・・

あぁ、確かに「なんか知らんけど」やなぁって(笑)

現在、状況が変わったとかはないんですが
不思議と『もう困らなんだろうなぁ』と感じています。

信じているとかではなく、既に知っている。確信している。

そんな感覚があります。
不思議~。(友達には、「なんか知らんけどでは、リスペクトされんなぁ(笑)」ってコメントされましたが、他に言いようがないんだよね(爆))
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NORIKOです。

昨日は、没頭することを書きましたが
日々、大好きなことをしていると、熱中・没頭します。

大好きなことをするといいよって、いうのはどこかで聞かれたことがあるかもしれませんね。

私の場合は、読書・映画を観る時は特に顕著で
物語の中に入り込んで、無我になります。
Liveに行っても近い感じで、会場そのもの(空間)になったような感覚の時もありました。

純粋に物語そのものになってしまう。そんな感じです。
終わってから、我に帰って感想が浮かんでくる。今、こんな感じだったなぁ~とか。

それを、友達と分かち合うのも好きですが(笑)
熱中・没頭 できることは、本当に幸せです。







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瞬間を体験する。

 

NORIKOです。
日々、変わりなく淡々と過ごしています。
変わりなくと書きましたが、一時として同じではありません。
派手さはなく、人から見たら退屈そうに見えるかもしれませんが
本人的には、この静けさが例えようもなく幸せです。

「今・ここ」で、在ることを意識した生活を続けながら
あるとき、ふと この瞬間 まさに「今・ここ」であるとは
本当に無私であると感じました。

その瞬間は「無私」ですから、気づくときはその瞬間から離れ
「私」が在りました。

悟ったとき、悟った者はいないとは、こういう感覚なのだろうと
「私」は、気づいたつもりです(笑)

この「瞬間」 どういう状態であるかといえば
例えば、何かしていたら「その行為」そのものという感覚です。

最近、何かするとき「没頭する」ように心がけていますが
「没頭」とは、まさに無我夢中。「無私」なんですね。

我を忘れているのではなく、無我である。

そうであったかどうかは、その瞬間には確認できませんが
はたと、「あ、今そうだった」と後から気づく。

なんだかよくわからないのですが(笑)
悩みとか不安とかと縁遠くなって とっても、ありがたいです。

あ、でも 喜怒哀楽は普通にありますよ(爆)
感情も起きては消えていく。
振り回されにくくなった。そんな感じです。

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