「座敷わらしの宿」として知られる岩手県二戸市金田一の温泉旅館「緑風荘」が全焼した火災は


発生から一夜明けた5日午前9時半から、焼け跡で県警の実況見分が行われた

 

座敷わらしが出るとされる「(えんじゅ)の間」は、跡形もない状態で


座敷わらしをまつった小さな(ほこら)だけが部屋の近くに残されていた


 

二戸署などの発表によると、この火事で宿泊客の横浜市の男性公務員(28)が2階から逃げようとして飛び降り


足に軽傷を負ったが、ほかの客20人と従業員9人にけがはなかった


 緑風荘の27代目にあたる五日市洋さん(42)によると


大浴場横のボイラー室から火が出ているのを見て、消火器で消火しようとしたが


火の勢いが強く、手の打ちようがなかったという


 五日市さんは


「今までのお客さんたちや愛してくれた人に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と、焼け跡を前に言葉を詰まらせた


 同旅館の向かいに住む自営業向井雄一さん(57)は


「地元の温泉のシンボルがなくなってしまったのは悲しいが、全員助かっただけよかった」と話した


二戸市商工観光課の下堀正太郎課長は


「今は頭が真っ白」とショックを隠せない様子だった

2009年10月5日11時50分 読売新聞)


おもいッきりDONで「座敷わらし」のウインクしたところ流してくれました

ほんとにウインクしたのかしら?

だけど みなさん無事でよかったね




座敷わらしの宿が爆発音に包まれ炎上した

4日夜発生した二戸市金田一字長川の旅館緑風荘(五日市和彦社長)の火災で

築300年以上の母屋を含む4棟が全焼した

多くの著名人にも愛され、金田一温泉の名前を全国区にした名所が約3時間にわたり燃え続けた

宿泊客一人が軽傷を負った以外、客・従業員30人の無事が確認され胸をなで下ろす一方

同地方の観光への打撃は深刻で、関係者は驚きと落胆の色を隠せない

 緑風荘は母屋を核に戦後、旅館として開業、増改築してきた

南北朝の戦乱期、五日市家が金田一にたどり着いた際に病死した当時6歳の亀麿(かめまろ)が

家の守り主になったと伝えられる

 母屋奥座敷の槐(えんじゅ)の間に泊まり、座敷わらしに会うと出世すると言われている

戦前は原敬、米内光政ら歴代首相が宿泊し、開業後は本田宗一郎、金田一京助ら各界著名人が訪れた

 金田一に在住した芥川賞作家三浦哲郎さん(78)が1971年、座敷わらしを取り上げた児童小説

「ユタとふしぎな仲間たち」を発表し、知名度が全国区になった

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 槐の間は3年間分を一度に予約を受け、2011年末まで予約で満杯だった

名簿が焼失したため、予約客に連絡が取れないという

出火当夜、同部屋には名古屋市からの団体客が宿泊していた

 同夜、緑風荘に宿泊していた横浜市の国家公務員遠藤周作さん(28)は

「緑風荘を目当てに年次休暇を取ってきた。縁起の良い旅館が燃えて残念だ」と悔やんだ

 五日市社長の次男で運営を担ってきた洋(しょう)さん(42)は

「二戸の宝として守っていかなければならないと思っていたが、期待を裏切り申し訳ない」とぼうぜんとした表情で語った

 宿泊者対応のため、金田一温泉協会は現場にテントを設けて対応している

西野平次会長は

「金田一温泉郷の財産だっただけに、痛手も大きい。宿泊予定者に迷惑が掛からないよう支援したい」と険しい表情だった

 宿泊に関する問い合わせは同温泉旅館組合(0195・27・2540)へ

(岩手日報)