蚕叢伝説 | カイコ・蚕・蠶・回顧

蚕叢伝説

 貴重な読者からフォントを大きくして欲しい旨要求がありましたので、本日から大きな文字で書いて行こうと思っています。

 さて、今日は「蚕叢」についてのお話です。少し前になりますが、黄帝元妃西陵氏の話を書きましたが、今日は長江文明と関わりのある古代巴蜀の開国伝説です。長江の中・上流に位置する四川には太古に蚕叢(さんそう)王伝説(養蚕)→柏灌(はっかん)王伝説(柏樹信仰)→魚鳧(ぎょふ)王伝説(鵜飼)→望帝杜宇(とう)伝説(太陽信仰)→開明王鼈霊(べつれい)伝説(霊亀信仰)そして聖石伝説といった稲作を基礎とした文明が存在しています。この伝説と三星堆遺跡(長江文明)が関わってきます。これらの伝説の内、蚕叢王伝説が字句の通り養蚕と関係します。蚕叢は蚕を集めるという意味です。蚕叢は「縦目」を特徴とする古代蜀人の始祖です。「蜀王本紀」(前漢時代の書:揚雄著)には「蜀の先、王と称するものは蚕叢という」と書かれているそうです。蚕叢は養蚕を発明した人物と伝えられ、馮堅著「続事始」には「民に蚕桑を教えた」と記載されているそうです。このため、「蚕の神」として尊ばれています。さらに、常璩(じょうきょ)著「華陽国志」(東晋時代)に逸話が記載されています。縦目と書きましたが、「有蜀侯蠺叢其目縦始稱王死作石棺石槨国人従之故俗石棺槨為縦目人冢」(蜀侯蚕叢は縦目で、始めて王を称す。王の死に石棺、石槨を作る。国人これに従い、故に石棺・石槨を縦目人塚という」から来ています。蜀の国は現在の四川を中心とした地方を指しますが、四川は古代より「蜀(江)錦」でも知られ、現在も中国における主要な養蚕地帯です。

 以前は、これらの伝説および書籍は荒唐無稽な伝説や神話といった類を集めたもので、正史研究からは無視される存在でしたが、三星堆遺跡の発見により状況が一変してきています。

 話は変わりますが、何故「蜀」の字には虫があるのでしょうか?虫に関わる漢字について次回はお話します。