「一名古屋人のブログ」「市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!」として、当アメブロで文章を追加するのは2011年12月31日の本日分をもって最後とします。
今後は、「はてな」において「市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!Ver.2.0」( http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/ )として更新していきます。(※1)
また、当12月31日分のエントリーはアメブロのシステムが許す限りこの状態で掲載したいと思います。
ActAgainstKawamura!
今後の方針
1)減税日本ナゴヤ 議員情報 (3-01)については、このまま。
この情報については移転はまだ考えていない。なので、それぞれに新しいエピソードが加えられると、このアメブロ内の「減税日本ナゴヤ 議員情報 (3-01)」を更新する予定。
「はてな」におけるエントリーで更新についてはアナウンスする可能性もある。
(この正月休み、よほど暇で作業がはかどれば議員情報も「はてな」に移転するかも)
2)12月30日分のエントリーに「当ブログのガイド」というコンテンツを作成する。
初めてこのブログに訪れた方が、過去ログに参照し易いようにトピック等で分類してご紹介する。
今、こうやって過去の記事を再確認などしていると面白いことに気が付く。
そもそもこのブログは3月の市議選直前に、後に市議となる玉置氏と「地域委員会」に対する疑問を対論するつもりで開設した。(玉置氏がアメブロを使っているから、非常に居心地が悪い思いをしつつアメブロに文章を掲載し続けたということになる/で、あるのに、結局玉置氏の方は市議としての仕事も忙しいだろうし、大学もあるのでなかなか地域委員会の在り方についての対論は実を結ばなかった。というよりも、このブログの性格も変質してしまった所為もあるだろう)(※2)
地元の老人(というと、ご本人は怒るだろうか?)から「河村市長の言う、地域委員会という制度は問題ではないか?」とお話を聞き、自分なりに調べ始めると色々と問題が浮かんできた。そんな時にリコールが成立し出直し市議選がはじまった。
玉置氏とはその公示直前に出会ったわけだ。
バタバタと選挙は進み、28名の「減税日本ナゴヤ」市議が生まれた。
更に、この市議選に落選した候補が県議選に立候補するという、なんとも異様な風景も見られた。
この市議たちの在り様を見ると、また河村市政に対する疑問が沸き上がった。
河村市長は「新自由主義者」であって、一部からはこの「減税日本」の動きは「日本におけるティーパーティ」であるとも喧伝された。その「新自由主義」の市議や県議が公約で「福祉充実」を謳っているのである。
これは完全に矛盾する。
更に、選挙戦の途中で見聞きした減税日本の市議候補たちの言動にも疑問が多い。
それらを調べている時にぶち当たったのが「則竹問題」である。
早い段階でこの「則竹問題」を扱った為に、様々な情報が寄せられるようになり、自分としても明確に河村市政に対して異論を唱える必要があると感じた。
これらの経緯は12月30日分に掲載するガイドをご参照いただきたい。
当ブログでも書いたが、河村市長の主張には矛盾がある。論理的に破綻している。
であるので、その政策を実現しようとする者(減税日本ナゴヤの市議や支援者)は必ず「壁」に突き当たる。
現実と河村の主張の間に挟まれるのだ。
私は最初から河村市政に反対であったわけでも、河村市長に恨みがあるわけでもない。
ただ、その言動や理論を追い続けると、矛盾や破綻が生じ、それを河村自身に突きつけても誠意ある回答や発言を得られたためしがない。
常にごまかしと責任転嫁ばかりであった。
私も5期16年に渡って衆議院議員を務め、出直し市長選挙においては名古屋市民から66万票を獲得した「河村たかし」という人物が、簡単な経済理論も判らない人物であろうとは思いもしなかった。また、ここまで実務能力のない人物とは思わなかった。
今でも、これら自分自身が経験した事や、取材した結果が何等かの勘違いや、事実の単なる一面であって、偏った見方であり「本当は河村たかしは立派な人物で高邁な理想を持った政治家であり、それを支持した66万人の名古屋市民のメガネに曇りは無かった。勘違いをしたのは自分や、自分の周辺の一部の人々だけだ」というのであればどれほど気持ちが楽か。
しかし、突き当たる現実、出会う事実が。ことごとくその逆を示すのである。
なので、私は今日も半分首を傾げながら言うしかないのである。
「王様は裸だ」と。
最後になりましたが、2012年が皆様に良い年でありますように。
※1:誤解の無い様に申し上げておきますが、この移転は、私の様に異様に一日分の文章が長い者にとって、当アメブロのシステムよりも「はてな」のシステムの方が校正等でなされる更新が軽快でストレス無く行える事と、「はてな記法」と呼ばれるシステム(TeXの応用など)が優れているからで。
5万人分のアカウントがクラックされたからとか、そもそもサイバーエージェントなんて肌に合わないんだよ!●●とか、●●●●●●が●●●●で●●●●だから嫌なんだよ!●●というような意味ではない。
※2:ここでその玉置氏については一つだけ擁護しておきましょう。一部の名古屋市会観測筋(という用語が出た時には「マスコミ関係者」ということで良いのかな?)などは「減税日本の市議の中で玉置さんだけは『拾い物』だった」と評する人も居ます。
実際に、彼が居なければ市議報酬半減というハードルの高い議会改革はできなかったことでしょう(議員報酬の問題は、政策として私は立場を異としますが、成立に持ち込んだ能力は認めます)
そもそも市議になる前の話とは違って、大学との両立も難しいようですが、なんとか卒業をしておいていただきたいと思うものです。ですので、①市議の作業、②大学生の作業、③ブログ等による情報発信。が彼における優先順位であろうと思います。
彼がブログ等で情報発信しない/できない事についてはあまり批判する気は起こりません。それよりも現減税日本ナゴヤ市議団執行部が、オフィシャルに情報発信すべきでしょうし、執行部それぞれの意見もその都度発信すべきです。
ActAgainstKawamura!
「一名古屋人のブログ」「市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!」は「はてな」に移転しました。
更新履歴:
2011年12月31日 初版公開
「則竹問題特番」
2012年 1月 5日 追記
「地域委員会」
「富口市議特集」
このエントリーでは、当ブログの各トピックについてのガイドを行います。
当ブログは2011年3月頃からの名古屋市政について触れているものです。
この時期。名古屋においては河村市長の提唱する市議会リコールが成立し、河村市長の設立した「減税日本」が名古屋市会で28議席を獲得しました。(全議席数は75、過半数ではないが第一党の議席数です。また、名古屋市会における会派名は「減税日本ナゴヤ」であって、「減税日本」とは内情、運営主体も異なることから当ブログにおいては比較的厳密に記述を分けています)
この河村市政とそれが生み出した減税日本ナゴヤについて、私が見聞きした出来事を書きとめたのがこのブログです。
最初から河村市政に対して批判的であったわけではありませんし、河村氏に個人的に恨みがあるわけでもありません。(河村氏を好きか嫌いかと言われれば嫌いです)
だいたい5月ぐらいの時点から明確に反河村の姿勢が固まりました。
ですので、それ以降の記述において一定の反河村的バイアスがかかっている事をご承知おきください。
また、事実誤認に対する指摘であるとか、反論等は大歓迎です。
是非「はてな」のコメント欄、トラックバック等でご指摘いただければと思います。
Gmail のアドレスも公開しておりますので、そちらでお送りいただいてもかまいません。(私信を許可なく公表するような事はしません)
当ブログにおける「テーマ」と「はてな」における「カテゴリー」を示します。
このガイドでは、これらの記事について
1)政策
1-1)地域委員会 レ
1-2)減税政策
1-3)リコール署名
1-4)議会報告会
1-5)その他
1-5-1)新自由主義
1-5-2)寄附文化
2)キャラクタ
2-1)河村たかし
2-2)減税日本所属議員
2-2-1)則竹問題特番 レ
2-2-2)富口市議特集 レ
2-2-3)済藤実咲オンパレード
2-3)河村たかし支援者
というようなカテゴリ分けで各記事にリンクを張り、コメントを付けてみたいと思います。
各問題については今後も変化する可能性はありますので、確定的な記述ではありません。
第1回目は
「(2-2-1)則竹問題特番」について。
則竹問題の発端は5月24日の記述ぐらいからのようだ。 「減税日本ナゴヤ 市会議員問題(1)」ここで様々な疑問が寄せられるようになり、減税日本ナゴヤの市議について、公開されている乏しい情報を仔細に調べている内に、則竹団長(当時)のサイト内の更新が滞っている事等に気が付いた。
しかし、それはまとまっていなかったのだが。5月24日のツイッター上のやり取りを契機にそれらについてまとめ、公開して質問することを試みた。それが5月30日のエントリーである。「減税日本ナゴヤ市議団団長 中区・則竹勅仁氏について」
そうしたところ噴出したのが所謂「減税日本ナゴヤ則竹団長(当時)による費用弁償の受領問題」である。「減税日本ナゴヤ市議団団長 中区・則竹勅仁氏について(2)(6月2日)」
結果的に則竹氏は「費用弁償」についての問題だけではなく、「政務調査費」の問題も噴出し、減税日本ナゴヤから離脱するだけでなく、市議の座を降りる事となった。この間の事情を推測を交えながら書いたのがこの記事である。「ユダは誰か―則竹氏を刺したのは誰か?(6月5日)」
私は今に至るも則竹氏には同情的だ。彼は幾重にもわたって河村の被害者であろうと思われる。
それ以降のこの問題についての記述。
視野狭窄にかかった集団の病理-市長記者会見から(6月7日)
ナゴヤ市会議員養成講座 -初夏の集中キャンプ:参加費5,800円(6月26日)
本日は3部構成となっています。(10月8日)
田山幹事長様にアドバイスを(10月12日)
また、私は最近まで正式には、河村市長がこの問題を耳にしたのは、6月1日だと言っていると思っていましたが。6月29日の市会定例会における本会議個人質問で「1月12日に費用弁償のお金を引き出したことについては聞いた」と回答していますね。
この問題の最後に。則竹氏のその後についても色々な情報が寄せられていますが、それを当ブログで取り扱うつもりはありません。しかし、則竹氏のコメントについては強い興味があります。
追記(2012年1月5日):
第2回目
「(1-1)地域委員会」についての記事
そもそものこのブログ開設の目的である「地域委員会」についての総論。
◇名古屋市地域委員会への疑問について 3月3日
1)政治的問題は事実から語り起すべきである事。
2)政治的問題は各個人の政治的指向が大きく反映されることから、
政治的言説を語る際には自ら立つ位置を明確にする事。
これらのスタンスは変わっていない。
◇地域委員会の図式化及び地方自治の図式化 6月20日
そもそもの自治の原始形態から説き起こした「地域委員会」の制度設計。
この後「地域委員会」の制度設計上の大間違い。そして、河村市長自身が気が付いていない制度設計の失敗である「議決機関としての地域委員会」と地域に本当に必要とされている「地域自治の執行機関」の差がわかる。
◇アートピアホールにおける異議表明行動A.A.K.
1、2、3、4、5
その準備としての異議の一覧。「6.20 ActAgainstKawamura! 河村たかし名古屋市長の暴走を止める 6月10日」
◇「Myちくさ21」主催「市政出前トーク」 7月10日
千種の「Myちくさ21」の主催された「市政出前トーク」で、後に地域委員会の検証会で散々お世話になった名古屋市総務局地域委員会制度準備担当部の澤主幹を迎えて、主に千種で実施された地域委員会などを題材に、地域委員会と地域の課題について様々な意見を聞いた。
◇メルクマールの重要性 8月17日
何を基準に市政を考えるのかという、まあ、コラムです。
◇すでに“詰んでいる”河村市長/地域委員会・市民意見交換会に出席し 8月28日
8地区で行われた地域委員会のモデル実施「検証のための市民意見交換会」の皮切りとして、千種区で行われた同会に出席した感想である。
この会合では地域委員会については否定的な意見が渦巻いた。この様子を見ると、河村市長が進める地域委員会を具体化させれば、却って河村市政の無茶苦茶さが市民の認識するところとなる。つまり頭から河村市長に懐疑的な人々は、そもそも否定的なままであろうし、肯定的に受け止めている人々は、その施策を具体化していけば懐疑的にならざるを得ない。つまり、河村市長にとっては状況はすでに「詰んでいる」と感じた。
また「千種田代学区事情聴取による問題点」は名古屋の市民に広く知っていただきたいところであるし、河村市長は公式にコメントすべきだ。
◇西区意見交換会で浮上した問題点について(バックアップ) 8月31日
地域委員会のモデル実施「検証のための市民意見交換会」の中で私自身が参加できなかった西区の会合では、会場の雰囲気は地域委員会に肯定的な意見が多かったというような意見も聞いているが、しかし問題も指摘された。その内容についてレポートがあったので、お許しをいただいて掲載させていただいた。また、最後には面白いおまけも付いている。
◇名東区意見交換会/スターキャットチャンネル 9月1日
後名古屋大学教授と玉置市議の対話から模索する「地域委員会」のあるべき姿。
◇「庶民革命」とは何か? 9月6日
◇地域委員会についての情報提供を受けて 9月16日
そもそも「地域委員会」の制度設計が、どのような経緯で為されたか。それが垣間見れる資料。
「(2-2-2)富口市議特集」
減税日本が、というよりも河村市長とその支援者たちが、28名の名古屋市会議員を誕生させた。しかし、それらの人々はいったいどのような人なのか判らない。
河村市長とその支援者自身が、リコール署名において「顔が見えない名古屋市議」であるとか「何をしているかわからない」と批判をしていたが、その姿は減税日本の市議においても変わらない。いや、変わらないどころか既存政党よりも酷いかもしれない。
私は則竹問題というのは河村たかしという政治家の「人材育成能力」を象徴している事例であろうと思っている。そういう意味では今回の減税日本の28人の中で、この富口市議というのは則竹氏と共通するものを感じる。
それはネガティブな意味ではない。
苦境にあっても朗らかに、自らの夢を諦めないで努力を続ける。目上の人を尊重する礼節を心得る。けして自分の損得を出す事を由としない。
なんとなく、このような「美徳」のようなものを持っていることは否定しないのです。
ですから、こういう人がそのまま優れた指導者に出会えれば良い人生を送る事もできるでしょう。則竹氏について、その人柄を悔やむ人は今でも居ます。
夢を諦めないで努力する姿勢は、歪んだ指導者の下では事実すら認めない頑なな心となりかねません。目上の人を尊重する礼節は、しかし、その目上の人が過ちを起しても批判することができない盲従に繋がります。
そして、自分の損得を表に出さない自制心は、自身の節に対してもブレーキがかかる可能性を示唆します。つまり、自身で間違っていると思っても、この心の中の良心を押さえ込んでまで行動できてしまう可能性を含むのです。
歪んだ指導者の下では、これらの美徳は自らを破滅させかねません。
私は富口市議や幾人かの減税日本ナゴヤの市議たちに、この危惧を感じます。
◇守山区・富口潤之輔氏について(2) 5月25日
富口氏の選挙公約について問いただしています。
◇勝手に守山区で市政報告会を開催! 5月26日
特に、具体的で明確な「市政報告会」の開催を求め、私自身が会場を押さえて参加を呼びかけました。
◇守山区勝手に市政報告会/勉強会について。 5月29日
質問状をしたためて送りました。
現在(2012年1月5日)に至るも何らリアクションは無しです。
◇語るに足らぬ減税日本ナゴヤの市議たち 8月18日
◇河村たかし「減税論」の誤り 10月4日
待機児童数の公表に伴い、この政策について「失政」が明白になりました。
◇本日は3部構成となっています。 10月8日
◇市民に嘘をつく名古屋市議その2、富口潤之輔 10月25日
という流れの中で、面と向かって「嘘」をつかれたわけですから、そんな者が市議のバッチを付けいて良い訳はありません。なぜ嘘をついたのか、または事実誤認をしていたのであればそれは何故で、今後は再発しない対策をとっているのか。これら釈明がない限り「富口市議」(と、「山田市議」)は「市議の資格無し」と断じます。
「一名古屋人のブログ」「市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!」は「はてな」に移転しました。
更新履歴:
2011年12月31日 初版公開
「則竹問題特番」
2012年 1月 5日 追記
「地域委員会」
「富口市議特集」
このエントリーでは、当ブログの各トピックについてのガイドを行います。
当ブログは2011年3月頃からの名古屋市政について触れているものです。
この時期。名古屋においては河村市長の提唱する市議会リコールが成立し、河村市長の設立した「減税日本」が名古屋市会で28議席を獲得しました。(全議席数は75、過半数ではないが第一党の議席数です。また、名古屋市会における会派名は「減税日本ナゴヤ」であって、「減税日本」とは内情、運営主体も異なることから当ブログにおいては比較的厳密に記述を分けています)
この河村市政とそれが生み出した減税日本ナゴヤについて、私が見聞きした出来事を書きとめたのがこのブログです。
最初から河村市政に対して批判的であったわけではありませんし、河村氏に個人的に恨みがあるわけでもありません。(河村氏を好きか嫌いかと言われれば嫌いです)
だいたい5月ぐらいの時点から明確に反河村の姿勢が固まりました。
ですので、それ以降の記述において一定の反河村的バイアスがかかっている事をご承知おきください。
また、事実誤認に対する指摘であるとか、反論等は大歓迎です。
是非「はてな」のコメント欄、トラックバック等でご指摘いただければと思います。
Gmail のアドレスも公開しておりますので、そちらでお送りいただいてもかまいません。(私信を許可なく公表するような事はしません)
当ブログにおける「テーマ」と「はてな」における「カテゴリー」を示します。
テーマ―カテゴリ対比表 | ||
アメブロ内テーマ | 「はてな」カテゴリ | 備考 |
ブログ | ブログ | 市政以外で思ったことなど |
データ | データ | 書き留めておきたい資料等 |
一般記 | 上記ブログよりデータに近い | |
名古屋出来事 | ||
名古屋市政 | 名古屋市政 | |
河村たかしの誤り | 河村たかしの誤り | |
減税日本ナゴヤ問題 | 減税日本ナゴヤ問題 | 市議団内の問題 |
地域委員会 | 地域委員会 | |
リコール署名再検証 | ||
リコール署名 | ||
減税政策 | ||
寄附文化 | ||
新自由主義 |
このガイドでは、これらの記事について
1)政策
1-1)地域委員会 レ
1-2)減税政策
1-3)リコール署名
1-4)議会報告会
1-5)その他
1-5-1)新自由主義
1-5-2)寄附文化
2)キャラクタ
2-1)河村たかし
2-2)減税日本所属議員
2-2-1)則竹問題特番 レ
2-2-2)富口市議特集 レ
2-2-3)済藤実咲オンパレード
2-3)河村たかし支援者
というようなカテゴリ分けで各記事にリンクを張り、コメントを付けてみたいと思います。
各問題については今後も変化する可能性はありますので、確定的な記述ではありません。
第1回目は
「(2-2-1)則竹問題特番」について。
則竹問題の発端は5月24日の記述ぐらいからのようだ。 「減税日本ナゴヤ 市会議員問題(1)」ここで様々な疑問が寄せられるようになり、減税日本ナゴヤの市議について、公開されている乏しい情報を仔細に調べている内に、則竹団長(当時)のサイト内の更新が滞っている事等に気が付いた。
しかし、それはまとまっていなかったのだが。5月24日のツイッター上のやり取りを契機にそれらについてまとめ、公開して質問することを試みた。それが5月30日のエントリーである。「減税日本ナゴヤ市議団団長 中区・則竹勅仁氏について」
そうしたところ噴出したのが所謂「減税日本ナゴヤ則竹団長(当時)による費用弁償の受領問題」である。「減税日本ナゴヤ市議団団長 中区・則竹勅仁氏について(2)(6月2日)」
結果的に則竹氏は「費用弁償」についての問題だけではなく、「政務調査費」の問題も噴出し、減税日本ナゴヤから離脱するだけでなく、市議の座を降りる事となった。この間の事情を推測を交えながら書いたのがこの記事である。「ユダは誰か―則竹氏を刺したのは誰か?(6月5日)」
私は今に至るも則竹氏には同情的だ。彼は幾重にもわたって河村の被害者であろうと思われる。
それ以降のこの問題についての記述。
視野狭窄にかかった集団の病理-市長記者会見から(6月7日)
ナゴヤ市会議員養成講座 -初夏の集中キャンプ:参加費5,800円(6月26日)
本日は3部構成となっています。(10月8日)
田山幹事長様にアドバイスを(10月12日)
また、私は最近まで正式には、河村市長がこの問題を耳にしたのは、6月1日だと言っていると思っていましたが。6月29日の市会定例会における本会議個人質問で「1月12日に費用弁償のお金を引き出したことについては聞いた」と回答していますね。
この問題の最後に。則竹氏のその後についても色々な情報が寄せられていますが、それを当ブログで取り扱うつもりはありません。しかし、則竹氏のコメントについては強い興味があります。
追記(2012年1月5日):
第2回目
「(1-1)地域委員会」についての記事
そもそものこのブログ開設の目的である「地域委員会」についての総論。
◇名古屋市地域委員会への疑問について 3月3日
1)政治的問題は事実から語り起すべきである事。
2)政治的問題は各個人の政治的指向が大きく反映されることから、
政治的言説を語る際には自ら立つ位置を明確にする事。
これらのスタンスは変わっていない。
◇地域委員会の図式化及び地方自治の図式化 6月20日
そもそもの自治の原始形態から説き起こした「地域委員会」の制度設計。
この後「地域委員会」の制度設計上の大間違い。そして、河村市長自身が気が付いていない制度設計の失敗である「議決機関としての地域委員会」と地域に本当に必要とされている「地域自治の執行機関」の差がわかる。
◇アートピアホールにおける異議表明行動A.A.K.
1、2、3、4、5
その準備としての異議の一覧。「6.20 ActAgainstKawamura! 河村たかし名古屋市長の暴走を止める 6月10日」
◇「Myちくさ21」主催「市政出前トーク」 7月10日
千種の「Myちくさ21」の主催された「市政出前トーク」で、後に地域委員会の検証会で散々お世話になった名古屋市総務局地域委員会制度準備担当部の澤主幹を迎えて、主に千種で実施された地域委員会などを題材に、地域委員会と地域の課題について様々な意見を聞いた。
◇メルクマールの重要性 8月17日
何を基準に市政を考えるのかという、まあ、コラムです。
◇すでに“詰んでいる”河村市長/地域委員会・市民意見交換会に出席し 8月28日
8地区で行われた地域委員会のモデル実施「検証のための市民意見交換会」の皮切りとして、千種区で行われた同会に出席した感想である。
この会合では地域委員会については否定的な意見が渦巻いた。この様子を見ると、河村市長が進める地域委員会を具体化させれば、却って河村市政の無茶苦茶さが市民の認識するところとなる。つまり頭から河村市長に懐疑的な人々は、そもそも否定的なままであろうし、肯定的に受け止めている人々は、その施策を具体化していけば懐疑的にならざるを得ない。つまり、河村市長にとっては状況はすでに「詰んでいる」と感じた。
また「千種田代学区事情聴取による問題点」は名古屋の市民に広く知っていただきたいところであるし、河村市長は公式にコメントすべきだ。
◇西区意見交換会で浮上した問題点について(バックアップ) 8月31日
地域委員会のモデル実施「検証のための市民意見交換会」の中で私自身が参加できなかった西区の会合では、会場の雰囲気は地域委員会に肯定的な意見が多かったというような意見も聞いているが、しかし問題も指摘された。その内容についてレポートがあったので、お許しをいただいて掲載させていただいた。また、最後には面白いおまけも付いている。
◇名東区意見交換会/スターキャットチャンネル 9月1日
後名古屋大学教授と玉置市議の対話から模索する「地域委員会」のあるべき姿。
◇「庶民革命」とは何か? 9月6日
◇地域委員会についての情報提供を受けて 9月16日
そもそも「地域委員会」の制度設計が、どのような経緯で為されたか。それが垣間見れる資料。
「(2-2-2)富口市議特集」
減税日本が、というよりも河村市長とその支援者たちが、28名の名古屋市会議員を誕生させた。しかし、それらの人々はいったいどのような人なのか判らない。
河村市長とその支援者自身が、リコール署名において「顔が見えない名古屋市議」であるとか「何をしているかわからない」と批判をしていたが、その姿は減税日本の市議においても変わらない。いや、変わらないどころか既存政党よりも酷いかもしれない。
私は則竹問題というのは河村たかしという政治家の「人材育成能力」を象徴している事例であろうと思っている。そういう意味では今回の減税日本の28人の中で、この富口市議というのは則竹氏と共通するものを感じる。
それはネガティブな意味ではない。
苦境にあっても朗らかに、自らの夢を諦めないで努力を続ける。目上の人を尊重する礼節を心得る。けして自分の損得を出す事を由としない。
なんとなく、このような「美徳」のようなものを持っていることは否定しないのです。
ですから、こういう人がそのまま優れた指導者に出会えれば良い人生を送る事もできるでしょう。則竹氏について、その人柄を悔やむ人は今でも居ます。
夢を諦めないで努力する姿勢は、歪んだ指導者の下では事実すら認めない頑なな心となりかねません。目上の人を尊重する礼節は、しかし、その目上の人が過ちを起しても批判することができない盲従に繋がります。
そして、自分の損得を表に出さない自制心は、自身の節に対してもブレーキがかかる可能性を示唆します。つまり、自身で間違っていると思っても、この心の中の良心を押さえ込んでまで行動できてしまう可能性を含むのです。
歪んだ指導者の下では、これらの美徳は自らを破滅させかねません。
私は富口市議や幾人かの減税日本ナゴヤの市議たちに、この危惧を感じます。
◇守山区・富口潤之輔氏について(2) 5月25日
富口氏の選挙公約について問いただしています。
◇勝手に守山区で市政報告会を開催! 5月26日
特に、具体的で明確な「市政報告会」の開催を求め、私自身が会場を押さえて参加を呼びかけました。
◇守山区勝手に市政報告会/勉強会について。 5月29日
質問状をしたためて送りました。
現在(2012年1月5日)に至るも何らリアクションは無しです。
◇語るに足らぬ減税日本ナゴヤの市議たち 8月18日
◇河村たかし「減税論」の誤り 10月4日
待機児童数の公表に伴い、この政策について「失政」が明白になりました。
◇本日は3部構成となっています。 10月8日
◇市民に嘘をつく名古屋市議その2、富口潤之輔 10月25日
という流れの中で、面と向かって「嘘」をつかれたわけですから、そんな者が市議のバッチを付けいて良い訳はありません。なぜ嘘をついたのか、または事実誤認をしていたのであればそれは何故で、今後は再発しない対策をとっているのか。これら釈明がない限り「富口市議」(と、「山田市議」)は「市議の資格無し」と断じます。
いろいろと思うところもあり、このブログを「はてな」へ移転させるつもりでいます。
一名古屋人のブログ
市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! @ はてな
とりあえずこちらアメブロのコメント欄は閉鎖させていただきます。
コメント等は「はてな」の方へお寄せください。
(23日に掲載しようとした文章だったが、ブログシステムの不調のために掲載できなかった。少々手を加えて掲載する)
市民税減税が実現化されて、河村はホクホク顔で地元テレビの出演などをしているようだ。新聞各紙の報道も名古屋版では一面の扱いで各面に関連記事を配する扱いとなっている。こういった報道で幾つか気になることがあるけれども、その最初の一つ目が「国政転進」の話題だろう。
河村のリコール署名運動、減税日本の結党、いや、そもそも「名古屋にご恩返しをしたい」といった最初の市長選から、河村の目標は国政にあって、名古屋の市政など何も省みる気がなかったと私は見ている。そういう意見を述べると「いや、そんなことは無い」と強気な発言をした減税日本ナゴヤの市議が居ましたが。如何ですかね、この状況で。
その他に面白い事に気が付くのは。今回の臨時議会で提案されたのは市税条例の特例としての市民税減税条例だけであって、それに対応する何らかの財源措置を盛り込んだ施策というのは提案されているのだろうか。
財政運営の改革案を盛り込んだ条例であるとか、何等かの歳出削減策を目指した提案であるとか。
そもそも河村の市長としてのこういった具体的な話を聞いた記憶が無い。
確かに外郭団体は、その数字だけを見れば減っているようにみえるが、これも「外郭団体」の基準が変更されたことによって対応すべき「外郭団体」が減っていると言うだけで、政策の方向性を示したような改廃と言うのは聞かない。
そもそも、「悪の巣窟」のように思われている「外郭団体」であっても、元々は何等かの市民サービスの為に存在したわけで、その改廃に対しては受益者である市民に説明する必要はあると思う。しかし、そのようなものは無い。
これは、特にふざけていると言えるが。
今回の「市民税0.3%減税」で、河村は「公約を実現した」と言っている。
何を言っているのか?君の公約は「市民税0.6%減税」だろう。そもそも減税率の引き下げは考えられないとまで言っていたではないか。更にこの減税率の引き下げの原因は9月から強弁し続けてきた「減税財源はある」という言葉が誤りだったからではないか。
これらについて減税日本、河村たかし、減税日本ナゴヤ、そこに所属する市議から、一言の説明も釈明も無い(唯一といえるのは、政審会長の鹿島市議が「自分も10%案賛成に立ちたかった」という感想だけだろう)
いったい、何時になったら減税日本ナゴヤはホームページを開設するのだろうかね?
ついに越年してしまった。
さて、その河村は国政に対して「増税と減税の闘い」とまたぞろ「ワンフレーズ・ポリティクス」を仕掛けている。こういうワンフレーズ自体がポピュリスト政治家の傍証であろうが、しかしこのワンフレーズほど酷い物は無い。
散々、河村マジック(もっと遠慮無くいえば「河村の嘘」)に騙されてきた名古屋市民であれば、この言葉の嘘に気が付くであろうが、名古屋の市政を良く知らない人にとってはさも「凄い事」のような勘違いをするだろう。
野田政権が掲げている「増税」は、その性質はまだ明確ではないようだが「社会保障と税を一体化する」という、この高度高齢化社会に向けた責任ある社会制度の検討であって、このような問題は既に20年、30年ほども前から警告は鳴らされ続けていた。
誰も鈴を付けられなかった猫の首に鈴を付けるという議論であって、ここでちゃんとした制度を作っておかなければ日本の社会保障制度は大変な事になるのだろう。
翻って見てみればいいが、河村流減税は、市民税の0.3%減税である。
話の規模も、重みもテンで違う。
その「増税」と「0.3%減税」を並列に並べて、さも自分が大きな事をしたかのように見せる姿は滑稽ですらある。いっそピエロだ。
そもそも河村は「税」というものを決定的に勘違いしている。
または市民に誤解を与えるため、デマを飛ばしているに過ぎない。
まともな民衆は、減税を求めてなどいない。
負担の公平を求めている。
今までも縷々論考してきたように、国民一人ひとりの利益というのは、その人の能力や努力や、はたまた親や先祖から譲り受けた資産が生み出したと考えるのは考えが浅はか過ぎる。そもそもこういった財の交換が、単なる売り買いといった交換であるとみなす考え方自体が浅い。
利益の多寡はその当人と、社会との関連性の強度であり、社会がその個人が必要であるとみなせば巨大な利益が得られる。
サッカーの選手とハンドボールの選手の能力や努力にどれほどの差があるだろうか、しかしその両者の間の収入の差はどのように理解すればいいだろうか。
「お金」をお金のままに理解するのはせいぜい高校生ぐらいまでにした方が良い。
「お金」とは実は社会の構成要素(個人や物品や企業などの法人やお金自身など)を繋ぐ信用の糸なのである。
このような視点から見ると、国民の税負担率とは公的セクタと個人の関連性の度合いを表しているに過ぎない。それは収益の面で社会と個人との関連が、個人の収益を決定する事と同様である。
そもそも、今の社会の問題はここにある。
家族をはじめとした、親戚、縁者。友好関係を築く集団等々。
個人の私的セクタはどんどん縮小、撤退をしている。
その昔、某党が「家族で介護」というような政策を打ち出した。所謂、老人病院が長期にわたって老人の入院を受け入れ、事実上の姥捨て山となっており、更にこのような在り方が老人医療費の高騰を招いているとの問題意識から提案された政策だった。こういった高齢期医療の在り方に問題が無いとは思えない、しかし、だからといってこれらの老人病院から入院患者である高齢者を追い出して、それぞれの家族に押し付ければ問題が解決するというものでもあるまい。これは文字通り、公的セクタが老人を追い出し、私的セクタである家族に押し付けた政策でしかない。
公的セクタであれば複数の人員で介護が可能であっても、私的セクタでは人員が割けない。そもそも核家族化と住環境の変化は、個別の家族に介護の負担を移す事を困難にしている。私的セクタ自体が縮小、撤退し、公的セクタとの間に隙間が発生しているのである。
今までは公的セクタと私的セクタの間に位置する存在があった。
企業であるとか商店組合といったような地域コミュニティがそれにあたる。※1
現代では企業や地域コミュニティーにこのような「アジール」としての意義を見出すことはできない。
各企業は生産性の競争、価格競争、コスト競争に駆り立てられて敗者は存続できない。その結果が延々と続くシャッターが並ぶ、シャッター商店街であり、巨大な駐車場を備えたショッピング・モールの隆盛である。(日本型ウォールマート・シンドローム)
これらのショッピング・モールも雇用は創出するだろう。しかし、その昔商店街が支えていたような人々をその輪に加えるだろうか。そこにコスト計算の目は届かないだろうか?それを期待するのは無理というものだろう。
これらの地域コミュニティの破壊については、所謂「ゆとり教育」の際に、寺脇研氏や宮台真司氏の主張する「教育に地域コミュニティの力を取り込む」という立論に、「そのような地域コミュニティは既にズタズタに壊れている」と反論した事を思い出す。(前世紀である1998年ぐらいの話か)なので、今でも「商店主を教壇に立たせて子どもたちに語ってもらう」というのは、ちょっとした息抜きや社会見学程度の意味はあるだろうが、それも全ての地域で展開できるわけではないだろうし、本線の「生きる力を育むための教育」という議論からは二周も三周も遅れている気がする。
話が脱線したが。
これら企業や地域コミュニティといった公的セクタと私的セクタの中間に位置した「セーフティーネット」を破壊したのも「粗野な新自由主義」と「過度な市場原理主義/競争原理」ではなかっただろうか。
更にお笑い種なのは。こうやって中間セクタをズタズタに壊した「市場原理主義/競争原理」を公的セクタにも持ち込もうというのである。いったい何処に目をつけているのか。というか、その目は節穴か。
公的セクタに対してこの「粗野な新自由主義」の原理を持ち込めば、公的セクタがどんどんと痩せ細っていくだろう(こうやって、痩せ細っていく事が「コストのかからない小さな政府」「行政改革の成果」とでも言うのだろうか)
例えば、それらは今、TPP議論であるとか、その中の医療分野の問題としてもクローズアップされているようだが。医療保険というのは本来、それを利用する受診者と、将来の受診者である全ての人々の物であって、保険会社のためのものではない。
この市場開放議論というのは、国内と「グローバル化」という論点などではなく、こういった、本来人々の為の物が、いつの間にか資本や市場のための物となっていくことを是とするか否かといった議論なのだろう。
※1:今思い出すと、私が生まれ育った下町の商店街には様々な問題を持った人物が、商店街の人々の好意で日々のたつきを得ていたことを思い出す。
ある人物は今でいう宅配を行っていて、街の中の集配所から、自転車の荷台に乗せた大きな荷箱一杯の物品を配って歩いていた。
この人物は、夕方になると独特な動作と独り言をつぶやいて集配所から家に帰っていっていた。
その他にもアルコールでやられた人や、若くして脳出血で倒れ、体が不自由になった人など、様々な人が商店街とコミットすることで生活していた。
一名古屋人のブログ
市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! @ はてな
とりあえずこちらアメブロのコメント欄は閉鎖させていただきます。
コメント等は「はてな」の方へお寄せください。
(23日に掲載しようとした文章だったが、ブログシステムの不調のために掲載できなかった。少々手を加えて掲載する)
市民税減税が実現化されて、河村はホクホク顔で地元テレビの出演などをしているようだ。新聞各紙の報道も名古屋版では一面の扱いで各面に関連記事を配する扱いとなっている。こういった報道で幾つか気になることがあるけれども、その最初の一つ目が「国政転進」の話題だろう。
河村のリコール署名運動、減税日本の結党、いや、そもそも「名古屋にご恩返しをしたい」といった最初の市長選から、河村の目標は国政にあって、名古屋の市政など何も省みる気がなかったと私は見ている。そういう意見を述べると「いや、そんなことは無い」と強気な発言をした減税日本ナゴヤの市議が居ましたが。如何ですかね、この状況で。
その他に面白い事に気が付くのは。今回の臨時議会で提案されたのは市税条例の特例としての市民税減税条例だけであって、それに対応する何らかの財源措置を盛り込んだ施策というのは提案されているのだろうか。
財政運営の改革案を盛り込んだ条例であるとか、何等かの歳出削減策を目指した提案であるとか。
そもそも河村の市長としてのこういった具体的な話を聞いた記憶が無い。
確かに外郭団体は、その数字だけを見れば減っているようにみえるが、これも「外郭団体」の基準が変更されたことによって対応すべき「外郭団体」が減っていると言うだけで、政策の方向性を示したような改廃と言うのは聞かない。
そもそも、「悪の巣窟」のように思われている「外郭団体」であっても、元々は何等かの市民サービスの為に存在したわけで、その改廃に対しては受益者である市民に説明する必要はあると思う。しかし、そのようなものは無い。
これは、特にふざけていると言えるが。
今回の「市民税0.3%減税」で、河村は「公約を実現した」と言っている。
何を言っているのか?君の公約は「市民税0.6%減税」だろう。そもそも減税率の引き下げは考えられないとまで言っていたではないか。更にこの減税率の引き下げの原因は9月から強弁し続けてきた「減税財源はある」という言葉が誤りだったからではないか。
これらについて減税日本、河村たかし、減税日本ナゴヤ、そこに所属する市議から、一言の説明も釈明も無い(唯一といえるのは、政審会長の鹿島市議が「自分も10%案賛成に立ちたかった」という感想だけだろう)
いったい、何時になったら減税日本ナゴヤはホームページを開設するのだろうかね?
ついに越年してしまった。
さて、その河村は国政に対して「増税と減税の闘い」とまたぞろ「ワンフレーズ・ポリティクス」を仕掛けている。こういうワンフレーズ自体がポピュリスト政治家の傍証であろうが、しかしこのワンフレーズほど酷い物は無い。
散々、河村マジック(もっと遠慮無くいえば「河村の嘘」)に騙されてきた名古屋市民であれば、この言葉の嘘に気が付くであろうが、名古屋の市政を良く知らない人にとってはさも「凄い事」のような勘違いをするだろう。
野田政権が掲げている「増税」は、その性質はまだ明確ではないようだが「社会保障と税を一体化する」という、この高度高齢化社会に向けた責任ある社会制度の検討であって、このような問題は既に20年、30年ほども前から警告は鳴らされ続けていた。
誰も鈴を付けられなかった猫の首に鈴を付けるという議論であって、ここでちゃんとした制度を作っておかなければ日本の社会保障制度は大変な事になるのだろう。
翻って見てみればいいが、河村流減税は、市民税の0.3%減税である。
話の規模も、重みもテンで違う。
その「増税」と「0.3%減税」を並列に並べて、さも自分が大きな事をしたかのように見せる姿は滑稽ですらある。いっそピエロだ。
そもそも河村は「税」というものを決定的に勘違いしている。
または市民に誤解を与えるため、デマを飛ばしているに過ぎない。
まともな民衆は、減税を求めてなどいない。
負担の公平を求めている。
今までも縷々論考してきたように、国民一人ひとりの利益というのは、その人の能力や努力や、はたまた親や先祖から譲り受けた資産が生み出したと考えるのは考えが浅はか過ぎる。そもそもこういった財の交換が、単なる売り買いといった交換であるとみなす考え方自体が浅い。
利益の多寡はその当人と、社会との関連性の強度であり、社会がその個人が必要であるとみなせば巨大な利益が得られる。
サッカーの選手とハンドボールの選手の能力や努力にどれほどの差があるだろうか、しかしその両者の間の収入の差はどのように理解すればいいだろうか。
「お金」をお金のままに理解するのはせいぜい高校生ぐらいまでにした方が良い。
「お金」とは実は社会の構成要素(個人や物品や企業などの法人やお金自身など)を繋ぐ信用の糸なのである。
このような視点から見ると、国民の税負担率とは公的セクタと個人の関連性の度合いを表しているに過ぎない。それは収益の面で社会と個人との関連が、個人の収益を決定する事と同様である。
そもそも、今の社会の問題はここにある。
家族をはじめとした、親戚、縁者。友好関係を築く集団等々。
個人の私的セクタはどんどん縮小、撤退をしている。
その昔、某党が「家族で介護」というような政策を打ち出した。所謂、老人病院が長期にわたって老人の入院を受け入れ、事実上の姥捨て山となっており、更にこのような在り方が老人医療費の高騰を招いているとの問題意識から提案された政策だった。こういった高齢期医療の在り方に問題が無いとは思えない、しかし、だからといってこれらの老人病院から入院患者である高齢者を追い出して、それぞれの家族に押し付ければ問題が解決するというものでもあるまい。これは文字通り、公的セクタが老人を追い出し、私的セクタである家族に押し付けた政策でしかない。
公的セクタであれば複数の人員で介護が可能であっても、私的セクタでは人員が割けない。そもそも核家族化と住環境の変化は、個別の家族に介護の負担を移す事を困難にしている。私的セクタ自体が縮小、撤退し、公的セクタとの間に隙間が発生しているのである。
今までは公的セクタと私的セクタの間に位置する存在があった。
企業であるとか商店組合といったような地域コミュニティがそれにあたる。※1
現代では企業や地域コミュニティーにこのような「アジール」としての意義を見出すことはできない。
各企業は生産性の競争、価格競争、コスト競争に駆り立てられて敗者は存続できない。その結果が延々と続くシャッターが並ぶ、シャッター商店街であり、巨大な駐車場を備えたショッピング・モールの隆盛である。(日本型ウォールマート・シンドローム)
これらのショッピング・モールも雇用は創出するだろう。しかし、その昔商店街が支えていたような人々をその輪に加えるだろうか。そこにコスト計算の目は届かないだろうか?それを期待するのは無理というものだろう。
これらの地域コミュニティの破壊については、所謂「ゆとり教育」の際に、寺脇研氏や宮台真司氏の主張する「教育に地域コミュニティの力を取り込む」という立論に、「そのような地域コミュニティは既にズタズタに壊れている」と反論した事を思い出す。(前世紀である1998年ぐらいの話か)なので、今でも「商店主を教壇に立たせて子どもたちに語ってもらう」というのは、ちょっとした息抜きや社会見学程度の意味はあるだろうが、それも全ての地域で展開できるわけではないだろうし、本線の「生きる力を育むための教育」という議論からは二周も三周も遅れている気がする。
話が脱線したが。
これら企業や地域コミュニティといった公的セクタと私的セクタの中間に位置した「セーフティーネット」を破壊したのも「粗野な新自由主義」と「過度な市場原理主義/競争原理」ではなかっただろうか。
更にお笑い種なのは。こうやって中間セクタをズタズタに壊した「市場原理主義/競争原理」を公的セクタにも持ち込もうというのである。いったい何処に目をつけているのか。というか、その目は節穴か。
公的セクタに対してこの「粗野な新自由主義」の原理を持ち込めば、公的セクタがどんどんと痩せ細っていくだろう(こうやって、痩せ細っていく事が「コストのかからない小さな政府」「行政改革の成果」とでも言うのだろうか)
例えば、それらは今、TPP議論であるとか、その中の医療分野の問題としてもクローズアップされているようだが。医療保険というのは本来、それを利用する受診者と、将来の受診者である全ての人々の物であって、保険会社のためのものではない。
この市場開放議論というのは、国内と「グローバル化」という論点などではなく、こういった、本来人々の為の物が、いつの間にか資本や市場のための物となっていくことを是とするか否かといった議論なのだろう。
※1:今思い出すと、私が生まれ育った下町の商店街には様々な問題を持った人物が、商店街の人々の好意で日々のたつきを得ていたことを思い出す。
ある人物は今でいう宅配を行っていて、街の中の集配所から、自転車の荷台に乗せた大きな荷箱一杯の物品を配って歩いていた。
この人物は、夕方になると独特な動作と独り言をつぶやいて集配所から家に帰っていっていた。
その他にもアルコールでやられた人や、若くして脳出血で倒れ、体が不自由になった人など、様々な人が商店街とコミットすることで生活していた。