キリスト教の興隆(6)
 教会にとり、アリスタルコスの地動説そのものは、何ら重大な問題ではなかった。詩編にわずか一行、「世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない」(九三章一節)、とあるだけである。教会にとって由々しき問題は、ギリシャ哲学がキリスト教の根本原理をことごとく否定し、愛知学者がそれらを立証しようとしていることだった。天地創造も、終末も、来世も、復活も、地獄も、至福の王国も、神のお赦しもなく、救世主もいないとなれば、キリスト教の土台が完璧に破壊されてしまうからだ。
 テオフィルスの後任キュリロスは、「烈火のように激しくかつ威圧的な気性」(アンリ・イレネ・マルー)の持ち主で、前任者以上の野心家、扇動家だった。
そのころ、ヒパティアという名の、諸学に精通した女性がアカデメイアの学頭を務めていた。数学者を父とする彼女は、アポロニウスの円錐曲線幾何学の解説書を著したり、アストルラーブ(天体観測儀)や、ハイドロメーター(液体比重計)の構造を研究していた。徳と才色を兼備した彼女にあこがれ、キリスト教各派や異教徒の若い英才が学林に集まった。
 またその時、総督の地位にあったのが、オレステスという名のユダヤ教徒だった。キュリロスは説教壇から、交友関係にあった二人を、アントニウスとクレオパトラの不倫関係にたとえて誹謗、中傷していた。クレオパトラと知り合ったアントニウスは、貞淑の誉れ高かった妻を離縁し、ローマ人のひんしゅくを買っていたからだ。
 事件が起きたのは四一五年とされている。ヒパティアは、二輪馬車に乗って、アカデメイアから帰宅中だった。暴徒の一団が馬車を襲い、彼女をひきずり降ろし、衣服を剥がして教会に引きずり込んだ。神聖な場所で亡骸は切り刻まれ、火中に投げ込まれた。総督もポグロム(ユダヤ教徒の虐殺)の犠牲となった。