砂漠の民アラブは、極限の飢餓と貧困を克服するために、全身、全霊を傾ける。彼らには日々、進歩がなければ、明日はない。生と死の境を生き抜くのが、彼らの宿命なのだ。この災厄は、知的好奇心にあふれる鋭い洞察力、探究心、あらゆる危機に対応する潜在力を、アラブの民に、気質として植え付けてしまう。
 彼らは進歩を求めて砂漠を突き抜け、肥沃な三日月地帯に進入を繰り返した。そして世界最古の文明の一つ、シュメール人の文明を受容し、偉大な王朝を築いた。彼らはモンゴルやゲルマンの民族のように、あるいは、自然と共生するアメリカ先住民族の文明を破壊したイギリス人やスペイン人のように、文明の破壊者として侵入したのではない。彼らは文明の守護者として、肥沃な三日月地帯に君臨した。
 文明とはすなわち、知的創造力にあふれる人間精神のエネルギーのことである。この類まれなる才能に恵まれたムスリムは、肥沃な三日月地帯を突き抜け、北アフリカ、スペイン、ペルシャ、インド、中央アジアへと活動の領域を広げた。砂漠で培ったわずかばかりの知識から出発した彼らは、そこで偉大な文明を受容し、それをさらに飛躍発展させた。
 この文明の受容と発展を、曲がりくねった大河に例えよう。流れはメソポタミア、古代エジプトに源を発した。そしてフェニキアとユダヤの地を通過して、ギリシャで合流、それからヘレニズムの流れとなって東に戻った。そこでイスラームというさらに巨大な潮流に広がり、西に転進してスペインとシチリアを渦に巻き込み、文明という洪水をヨーロッパに溢れさせた。
 「人類の思想史において、古代セム族世界の最大の寄与である一神教を、古代インド・ヨーロッパ世界の最大の寄与であるギリシャ哲学と調和させ、両立させることにはじめて成功し、かくしてキリスト教ヨーロッパを近代思想へと導いたことは、中世イスラームの永遠の光輝として書きとどめなければならない」(フィリップ・K・ヒッティ)。
 エジプトはナイルの賜物、という。これは、ナイル川という恩恵が無ければ、エジプト文明が存在し得なかったことを意味する。イスラーム文明は、ギリシャ文明の賜物である。すなわち、西洋文明はイスラームの賜物なのである。