文明の再生(4)
知恵の館(3)
 三つの一神教徒が、同じ一つの目的のために献身することなど、史上空前にして絶後の出来事だった。イブン・ハルドゥーンは、『歴史序説』の中で、これを生き生きと描写している。
 「ローマはシリアを領有したが、後に神はイスラームをもたらし給い、ビザンツ(東ローマ)人からシリアを奪った。ムスリムは単純素朴な民で、叡知の諸学をキリスト教徒の司教や司祭から学ぶことを望んだ。人間の思考能力も、自ずと叡知の学問を切望するものである。
 そこでアッバース朝のカリフは、ビザンツ皇帝に使者を派遣し、数学の本を送るよう要請した。ビザンツ皇帝は、ユークリッドの幾何学や自然学に関する若干の書物を送ってきた。ムスリムはこれらの文献を研究するうちに、さらに別の書物を手に入れたいと望むようになった。
 特にアルマアムーンは自分自身、学問的知識を持っていたので、この学問のために尽力しようとした。カリフは、ギリシャの学問をアラビア文字に転写するために、ビザンツ皇帝に使節と翻訳家を派遣したので、その結果多くの資料が保存され、収集された。学者たちは、熱心に叡知の学問を研究し、各種の学問分科に精通し、これらの研究はこのうえもなく発達した。
 学者たちは多くの点で第一の師、アリストテレスを反駁した。第一の師は最も有名な人物であったので、学者はある見解を否認すべきか、あるいは肯定すべきかについて、特にアリストテレスを引き合いに出したのである。学者たちは体系的な著書を書き、叡知の学問において先人たちを凌駕した」(要約)。