文明の再生(3)
知恵の館(2)
 宗教迫害とはいたって無縁の、純真無垢なアラブたちは、同じ啓典の民であるキリスト教徒とユダヤ教徒の力を借りて、膨大なギリシャ語の文献をアラビア語に翻訳した。
 その時代、カリフだけでなく、学者や裕福な庶民までが競って、必要であれば大金を投じて、ギリシャ語の書籍や文献を買いもとめた。また大金を支払って、アラビア語に翻訳させた。製紙法の伝来により、写本の製作が容易になり、バグダッドの繁華街には書店がひしめき合って、出版バブルの様相を呈した、という。
 ディミトリ・グタスによれば、アッバース朝のイスラーム文化の興隆は、ギリシャの都市国家アテネで世俗の哲学、科学、芸術が絶頂を極めたペリクレスの時代、イタリアのルネッサンス、十六―十七世紀の西欧の科学技術革命と同じ次元の出来事だった。「わずか数十年のうちに、アラブの学者たちは、ギリシャ人が数世紀かけて発達させたものを同化してしまった」(ヒッティ)。
 翻訳を担当したのは、カトリック教会の迫害を逃れてきたキリスト教徒やユダヤ教徒、そしてイスラームへの改宗者たちだった。文献はギリシャ語からシリア語、シリア語からアラビア語へと翻訳された。ギリシャ語を理解するキリスト教徒、ユダヤ教徒、改宗者たちの母国語はシリア語で、アラブはアラビア語と同じセム語に属するシリア語は理解していたが、全く異なる言語に属するギリシャ語の知識が少なかったためである。