文明の再生(2)
知恵の館(1)
 ササン朝ペルシア帝国の第二一代君主ホスロー一世の時代に、「知恵の館」は建設された。これは、国立公文書館、あるいは国会図書館のことである。ホスロー一世と後継者は、ここに古今東西の万巻の書物を収蔵した。世界で初めて零の概念を発見し、十進法を開発したインド数学の文献も、ここには保存されていた、と高い確率で推定できる。なぜならば、アラビア語ではアラビア数字のことを、ヒンディー(هنديインド)数字と言うからである。
ムスリムも、「知恵の館」を建設した。彼らは、パハラヴィー語(古代ペルシャ語)で「知恵の館」を意味する言葉を、そのままアラビア語に直訳した。家、館はbayt・バイト(بيت)、定冠詞alを付けた知恵はalhikmah・アルヒクマ(الحكمة)、と言い、bayt alhikmah(بيت الحكمة)と表記するが、バイトル・ヒクマと発音する。
 有能な君主は、必ず学問を保護し奨励する。学問が社会の進歩をもたらし、権力の強化につながることを、よく理解しているからにほかならない。啓蒙君主という言葉を近代西欧の君主にのみ当てはめるのは、不当に西欧にのみ関心を集中しているからだ。イスラーム世界のアッバース朝は、多くの啓蒙君主を輩出した。
 アッバース朝第五代カリフ(預言者ムハンマドの政治的後継者)ハールーンッ・ラシード(在位七八六―八〇九年)と、息子のアルマアムーン(八一三―八三三年)は、学芸を奨励し、イスラーム文化黄金時代の土台を築き上げた。これは人類史上、最も創造的な出来事の一つである。