文明の再生(1)
 世界史の中で、敵や信仰を異にする他者に対して、ムスリムほど寛大かつ人間的にふるまった勝利者はかつていなかったであろう。砂漠を突き抜けてきた純真無垢なムスリムは、この偉大な文明の虜となってしまった。
 「騎士道精神に富むアラビア人の、この広く心を開く人間性と寛大さこそ、そのやさしい輝きの中で、あれほど種々の民族や文化が、驚くほど一致して共に生き、突然栄え始めた理由なのである。
 例えば、帝国の教会によってはげしく圧迫されていたネストリウス派やキリスト単性説の信奉者らのようなキリスト教分派は、初めて教会と国家のくびきから解放されて、安堵し、妨げられることなく発展することができたのだ。
 だから、植物が、それを成長させる光の方に向くように、被征服民たちは、たとえ自らの信仰に忠実であり続けたところでさえ、彼らの新しい支配者たちの生活様式に全く同じ像となるまで適合していったのである」(ジクリト・フンケ)。
 イスラーム帝国第二の王朝、アッバース朝(七五〇―一二五八年)が発足した直後の七五一年のこと、文明の再生に天佑となる事件が起きた。東進するムスリム軍と、西進する唐軍が、キルギスタン北西部のタラス河畔で戦った。
 唐側は、一万人の唐軍と二万人のトルコ族傭兵の連合軍が二十万人のムスリム軍と戦った、ムスリム側は、唐軍の五万人を倒し、二万人を捕虜にした、と互いに針小棒大に報告している。唐側は、帰還したのはわずか二千人だけだった、としているので、ムスリム軍が大勝したらしい。
 多数の中国人捕虜の中に、製紙職人がいた。彼らはムスリムに製紙法を教え、製紙工場を建設した。早くも七五七年には、ブランド品のサマルカンド紙の存在が記録されている。首都バグダッドには、七九四年に製紙工場が建設された。これが、写本の媒体を、供給が極めて限られていたパピルスと羊皮革から紙に変えたメディア革命であり、文明復興の触媒となった。