Latinaへの道 中南米女ひとり旅
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マラソン覚書



久し振りに書いてみようと思うことがあった。


南米から帰国して初めて、自分でがんばったな、と思ったこと。



  

               Umico 31才

                    

              42.195Km

    

                 

               4H54m


               

                完走




Latinaへの道 中南米女ひとり旅


2013年3月10日


Nagoya womens marathon Full 42.195km


2012年10月


たまたま聞いた「今日の0時からフルマラソンのエントリーらしいよ」


そっくりそのままYukieにLine


「はしっちゃう?」


「はしるでしょ」


15000人の女子だけマラソン大会!興味とノリだけで2時間かかってエントリーしてくれた。



その6ヵ月後


これまで10キロの大会しか出たことがなかった女子が


4時間54分という、予想もしないタイムで、名古屋の街を走りきった。




Latinaへの道 中南米女ひとり旅


走る前、走った直後は何も感じなかった。


ソファーの上から起き上がるのも精一杯の翌日


「ほんとに、人ってやればできるんだな」


実感した。


そんなマラソン物語。




マラソンを始めたのは2011年4月


その一ヶ月前


南米旅行最後の宿で乗った体重計


思いもしない数字



旅行前の体重+8Kg



OMG!!


まずい。とは思ったけど、アルゼンチンの肉、アイスクリーム、チョコレート、Dulce de Leche


おいしすぎて辞められない。


3月


LAに帰国してすぐに、日本女子YukariとLas Vegasに集合



Latinaへの道 中南米女ひとり旅


よく食べる彼女だけど、でもやっぱり違う


私の感覚が、完全にずれてる


アメリカは人も、食べ物も、レストランも、スーパーマーケットも、入っている砂糖のグラムも


全てが大きすぎる


そして指摘してくれる人がだれもいない。。。


このままでは、やばい。


Yukariが帰国した後、何もしていなかった私はビーチを走ることにした。




Latinaへの道 中南米女ひとり旅

幸いにも Long な Beach の真ん中にランニングコース?あり。


走ってみた。


10分走れた。


「20分以上走らないと脂肪は燃焼しないんだよ」


25分走った。


息はあがり、足は動かず、汗はだーだー。限界だった。




Latinaへの道 中南米女ひとり旅






暑さのせいかとおもったけど限界だったちょうど2年前の3月


そして5月の帰国


旅ボケ中の私は実家に帰って、毎日ジムに通って走った。


他にすることもなかったし、


走っている間は、何も考えなくてよかった。


アメリカの生活、南米旅行、出会う人たち、見たこともない景色、


毎日が緊張で刺激的で、ドキドキしていた。


それとは違う日本の現実の生活。


それに向き合わなきゃいけないんだけど、そうしてばかりいると、おかしくなりそうな梅雨の毎日だった。


「梅雨の時期に帰国しちゃだめよ」と、アメリカ在住のニホンジンがいっていたのを思い出した。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅


たった40分、マシーンの上で走るだけで気分が変わった。


その頃には、やせる事よりも、気分転換が重要だった。


毎日2ヶ月通って、走った。


就職が決まって、家を出る頃には体重が5キロ減っていた。


まだ+3㌔には変わりないんだけどね。



夏は暑くて走りたくないグータラ。


そしてそのときはこんなにマラソンにはまるとは思いもしなかった。



冬になって、10キロの大会にエントリーした。


10キロのために、マラソン用品を買い揃え、冬の寒い夜を走ってみた。


6キロ超えると、ひざが痛くて走れない。


もともとまっすぐでない私の足。歩き方もちょっとおかしい私の足。


走り方を変えたら、痛くなくなった。


ほほー。


ちょっとずつ、自分の体が分かってきた。


10キロの大会を走りきったら、それはもう、嬉しくて嬉しくて。


10キロを2大会走った。


「ハーフなんて走る人の気がしれんわ」


そう思いながらまた夏が来た。


グータラランナーは遊びつかれて走る暇もなかった。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅



そして10月。勢いだけでエントリーの夜がきた。


そこから3ヶ月


10キロの大会に2回出て、


「ハーフとか信じられん」と、思っていた。


フルにエントリーしてるのに。


残り2ヶ月を過ぎると、さすがにそろそろ。。。と思い始め


職場や友達に宣言した。


走りきります!42.195!!



Latinaへの道 中南米女ひとり旅

出勤を走ったりした。


休みの日は必ず走ることに決めた。


10キロが、なんとなくで、走れるようになった。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅

息も上がらず、足も思うように動き、翌日の筋肉痛もなくなった。


「これから20キロ走るんです」と美容室で言うと


高校生から髪を切ってくれている人が


「人間って変わるんだね」 と言いながら、ランニング用に髪を巻いてくれた。


「変わるんです」



Latinaへの道 中南米女ひとり旅



自分の体が変わって、強くなってる、と実感したのは初めてだった。


たった2年、正味半年で2時間も走り続けれるようになる。


やってきた


2013年3月10日



Latinaへの道 中南米女ひとり旅

15000人の女ランナーは想像以上の混み具あい。


ペースをつかむまでに5キロかかった。


20キロまでは笑ったり、話したりしながら、楽しく走った。


30キロでくるといわれる壁なんて、ないんじゃないかと思った。


ら・・・


27キロ辺りから、異常にしんどくなり、


息もあがり、足は思うように動かず、痛み止め10キロでを飲んだのにひざが痛み出した。


yukieに先に行って!と言ってからは、それはもう、しんどかった。


一人で、ペースも落ち、雨はちらつき、風が冷たく、エネルギー切れ状態



「れーちゃーん!がんばれー!!」


声が聞こえると、どこに貯めてあったか、体力がむきむき出てきた。


姉一家の応援。


初めは7キロ地点、私のペースに合わせて、コース沿いに地下鉄で移動して、応援してくれる。


妊婦の姉も寒かっただろうし、4歳の3男はつまらなかっただろうに、みんなで応援してくれていると思うと


単純だけど、がんばらなきゃ!と思った。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅


だけど、立ち止まって歩かないにしても、どうがんばってもペースが上がらず、足も動かない。


「でも、ペルーでかかった高山病よりは全然まし」


「ボリビアの標高4500メートルで、バックパックかついで山登りしたときよりは、全然平気」


そんな旅のつらい思い出を引き合いに出しながら


たえて耐えてタエテ、走り続けるた。


どんな経験が助けになるか分からない。


32キロを越えた辺りから、急に楽になった。


ランナーズハイ?というやつ?しらんけど。


沿道の応援も増えて、イチゴを持ったおばちゃんやら、ちょこれーとどうぞという箱を持った青年やら。


ういろうがfood pointのメニューに入っていたのはなごやらしいなぁと思えたから、


そうとう楽に走れてた。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅

と思ったのも束の間。


37キロを超えてからの残り5キロが、長い長い。


いつもなら、35分あれば余裕で走れる距離なのに、遠くて遠くて、倒れそうでした。


「おそろいですね、あと少し、がんばりましょうね」


と一緒のウェアーを着たかわいいお姉さんも、遠くに行ってしまって、


でもまだあと4キロ・・・3キロ・・・2キロ・・・ってこんなにながかったっけー!?



ここまできたら自分の気力だけ。


足が動かない。息はあがらないにしても、もう足がどうにもならない。


あと少し、あと少し


残り1キロが見えたとき、最後の根性!!


おもいっきり一気にペースアップで、走りきった。


ドームの中に入るくらいトンネルを抜けて、ピンクのFinishの文字が見えたときは


「やっとおわる」


と、まぁネガティブな考え。


が、正直、5時間も走り続けて、きゃー、ゴール!がんばった自分!


なんて泣けないわ。


泣ける人がいたら、その人はまだまだ走れる人だと思う。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅



この大会の有名なおめでとう、をイケメンからもらい


とぼとぼ歩いてYukieのところに行った。まだこのときは歩けた。


2人とも、フルを走りきって疲れてるはずなのに、なんだかさわやかだった。


話も出来るし、冗談も言える。元気もあった。


だけど、走ったっていう実感が、全くなかった。



打ち上げと題して、その後3軒はしごして、おうちに帰り、お風呂につかり、ベッドに入ったら


あっという間に寝て、あっという間に朝が来ると思ったら


カラダが痛くて夜中に目が覚めた。


そんなこと、ある?


睡眠を邪魔するほどの痛みって、癌の末期じゃないんだから。



有給をとっていた翌日


起き上がることは出来ても、立ち上がることが出来ない。


膝が、感じたことのない横揺れで、カラダを支えきれない。


一日中ソファーの上で、手元の飲み物がなくなることに恐怖を感じながら、ぼーっと考えた。



「わたし、42キロ、走ったんだよな。


すごいよな。


初マラソンで4時間台って、すごいよ。


これまで、中途半端にいろんなことに手を出して、色々やってきたけど、


こんなにしんどくても、がんばってやりきるって、私もやればできるんだな。


本気になれば、どうにだって変われるし、


あきらめなければ強くもなれる。


みんなが応援してくれて、私って幸せ者


よくやりました。れいこさん。」



久し振りに本気でがんばりきった、マラソンの記録でした。



Latinaへの道 中南米女ひとり旅


応援してくれた皆様


気にかけてタイムを見ていてくれた皆様


ありがとうございます。


何かをやり遂げたときにいつも思うのは


私の周りの人たちへの感謝の気持ちです。


ほんとうに、恵まれたこの環境に、やさしい人たちに、感謝します。


明日も皆様が幸せないちにちでありますように。



Umico@iamsoooohappy


Mar.13.2013






































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