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サイレントマジョリティック窒息死

ブログアドレスの英文が文法的にアウト。そんな無学者が無学さ晒してるところだよ。


好きな言葉は「ライフハック」。

人生の抜道裏道近道の探索が大好きですフジミ氏です。

今回のライフハックアイテムはスマートドラッグ!

いわゆる頭が良くなるお薬です!!!
脳の血液量をあげたり、薬の成分が脳に働きかけることで集中力記憶力を高めるそうです!
シンガポールから個人輸入しました!
「うわっ……胡散臭い……」って思った?僕も同じ気持ちでした。
故に己の身体でね、試そうかと。
あっ、でも少なくとも身体や脳に害なすことはないらしい?どこかに塩より無害って書いてあった。

というわけでスマートドラッグの王道、ピラセタムです。



サイレントマジョリティック窒息死




サイレントマジョリティック窒息死


何ドルしたか忘れました。60錠で6000円くらいかな?
1日1200mgが適量って聞いたんで、半錠を1日3回飲みます。
ピルカッターなくても半分に割れます便利です。

で、効き目の方ですが、



よくわかりませんでした。


いや、本当によくわかりませんでした。

まあ、もともと薬は効きにくい人間なんですが……うん。
アメリカでは受験生がみんなスマドラ飲んでくるってんで社会問題になってるっていうし、
もうちょい期待していたものの。

効き目を感じるためにODしてみようかなって、思ったけど薬価が高くて踏み切れません。
まあ、もともと他の薬と飲み合わせて使うのが上級スマドラー達の間では普通みたいだし

上手い飲み方を模索中です。



ところでこのピラセタムが親に見つかった関係で家族会議(という名の弾劾裁判)が行われております

母に心底可哀そうなものを見る目で見られました

泣きそうです






つらすぎる

うちのプレイステーション2はぼくが小学生の頃にやってきたと記憶しています。
確か(父が)最初に買ったソフトはFF10(鬼武者だったかもしれない)

キャラが声付きでしゃべり、映像がヤバイ綺麗なファイナルファンタジーに心底驚いたものでした。
サルゲッチュ2、ナルティメットヒーロー2、桃鉄、ICO……
幼き日に遊んだゲームの思い出は今も残っています。

そこからおよそ十数年。
ぼくの半生を共にしたこの愛機がなかなかディスクを読み込まないようになりました。
10回起動して1回読み込めばいい方といった塩梅。
しばらくこの状態を我慢しながら使い続けたのですが、
この前友人とテイルズオブデスティニーやろうとしたら全く読み込んでくれなくてブチッときたので
もういっそバラしてみっか?というヤケクソな感じになりました。
こう、気軽に言ってますけど、ぼくクソ文系人間だし、
「ちっちゃい頃は車のおもちゃを分解して遊んでたの~」とかいう
ちょっとほのぼのするギークな経験すらありません。
まあ、こんな人間にもプレステ2くらいバラして修理できるんじゃ?
というわけで、



サイレントマジョリティック窒息死-ファーストコンタクト


8つのネジを外すとこんな感じ。


サイレントマジョリティック窒息死-ピラピラ野郎


この銀色のピラピラ、実はただのピラピラじゃなくてちゃんとケーブルなんですよ 。でも、本当にピラピラしてるんでうっかりしたらちぎれそうです

まあチキチキ外していくと、


サイレントマジョリティック窒息死-レンズ!

ディスクの受け皿とディスクを読み込むレンズ(SONYって書いてあるあたりのやつ)が出てきました。
レンズの曇りが読み込み不良の原因ってこともあるらしいのでアルコール(部屋にウォッカの瓶落ちてた)で拭きます。

さらにバラしていきます 

コントローラあたりのネジ、ファン周りのネジをピッピッと外していきます。
(こっからの工程はほとんど画像撮ってなかったので思いっきりすっ飛ばします)

するとまあいい感じに外れて、
レーザー出力を調整できるネジに到達します(めっちゃすっ飛ばしました)
ここをちょーっとねじってやると出力が上がり、ディスクを読み込むようになるらしいのです。

ここまで来たら折り返し。

どんどん外したものを嵌めていくだけです。

それまでは本当に順調でした。だったのに。


サイレントマジョリティック窒息死-死


先ほど、フラットケーブルについて言及したのを覚えていますでしょうか。

コントローラ部のそれをぶっちぎってしまいました。
おかげでコントローラが全く効かなくなりました。
いろいろつけ直そうとしたり削ってみたりしましたがだめでした。

もう終わりです買い換えますありがとうございました死んでくれ







つらすぎる

円滑な会話にはある程度前提が必要であるように思う。

簡単に言えば会話の相手ないし話題にあげる人間の名前、性別、年齢、性格、好きなもの、嫌いなもの、趣味、経歴、思想、などなど。

内輪の話というのは数多の前提を要しやしませんか。

「A子が最近落ち込んでるみたい」
「A子、彼氏が浮気してるの気づいちゃったんだって。しかもB実とだよ」
「えー!A子の方が性格もいいし可愛いじゃん!」
「でも、性格の合わなさは感じるよね。A子、彼氏の趣味とかdisりまくってたし」
「でも、正直アレはキモいっしょ」
「まあね」



と、適当に文章を作ったのですが、
ここで彼女達が共有している前提(知識)は、
・A子の外見、内面、最近の事情
・B実の外見、内面
・彼氏の趣味、性格

かな?

これを知ってないと入り込めない会話ですよね。



ぼくは興味のない他人の情報をほとんど覚えない関係で、


知り合いと喋っても前提の多くを共有できていません。
例えば大学の学科の100人足らずのうちの四分の一程度しか名前と顔すら一致しない。
しかし、入学して数年にもなると、周知とされている文脈を前提に話が進められていくわけですよ。
僕は全く構わんのですけど(自業自得だし)、それでちょっと困ってそうなひとがいて、それで、難しいなあって。

しかしまた、前提のない状態での会話は苦痛で苦痛で仕方ないんですわ。

その、前提の交換をしあったり前提を構築していかなきゃいけない感じが大変面倒だと感じます。
久しぶりに会った友達と近況(という前提)の交換とかなら好きなんだけどなあ。


ただ若干、誰しもあるとは思うけれど、理解してくれる人にしか公開してはならないと思う「前提」が僕にも存在します。年々増えてきました。
まあ百合好きプリキュア好きなどの趣向、新興宗教や各種団体に面白半分で潜入してみたいと思っていることや政治思想、過去の過ちや露見するとマズイ人間性の一部についてなどなど。などなどですよ。
これはまあ人に話すと引かれたり、引かれたり、引かれたりするからなのですが。

人と仲良くなるには腹を見せた方がいい、とか恋愛の話をする方がいい、という話をよく聞きますが、
やはり己の深いところ、時にはアイデンティティを曝け出すのはコミュニケーションに良いのかしら。
ちょっとぼくには軽々にできません。

だから、初対面の人との会話だとぼくもきっと体感温度を喋る機械
になるでしょうね。


体感温度を喋る機械、超共感できてヤバイ


コミュニケーション能力が高い人は、きっとこんな前提がどうの考えないんだろうなあ。

ちなみに僕との会話における前提を30%程度知ってる人の時点でもう手で数えられる程度になって、50%だと片手で余裕です。


いろんな人の前提を知りたいんですけど、なかなかうまく行きませんねえ。

というわけで「功利主義入門」です







功利主義といえばサンデルのトロリー問題で有名ですね。


「暴走したトロリーの進む線路の上に5人の作業員がいる。


このまま進めば、間違いなく5人が死ぬ。


しかし、線路のレバーを動かしてルートを変えれば、5人は助かる。


その代わり、そちらのルートにいる一人の作業員が死ぬ。


この時、レバーを操作するべきなのか」みたいなやつ。




あと、この本で出されているもう一つの事例としては


「火事の建物から一人しか助け出すことができない場合に、あなたの父であるウェイターか、『ハリー・ポッター』シリーズを構想中のJ.K.ローリングのいずれかしか助けられない場合に、あなたはどうすべきか」




功利主義的にいけば、一問目はひとりを殺し、


二問目はJ.K.ローリングを助けることを選択しなくてはならないんですよね。




一問目でも十分キツイですけど、特に二問目は心理的抵抗がありません?


一問目はまだ認知的判断で処理できるものの、


二問目のように直観に訴えてくる問題だと、やはり感情的にクるそうですね。




この抵抗は、われわれがみな持ち合わせる功利主義的な思考と非功利主義的な思考の間で生じる葛藤なのだそうです。




でも、功利主義者に言わせれば、


「身近な人とそうでない人の間に道徳的な差はない。自分の身の回りの人を助ける義務があるなら遠い人の国の飢餓や病気で死にかけている人を助けるべき」(ピーター・シンガー)


だそうですよ。




でも、これはあまりに人格の個別性を無視してるんですけどね






最大多数の最大幸福の難しいところは、


幸せの定義が人によって、文化によって、国によって違うところです。


アマルティア・センが唱えた例として、


「非常な貧困な家庭に生まれてまともな教育を受けずに育ったインド人の女性がいる。


そういう女性に「あなたにとって幸福とはなんですか」と尋ねると、おそらく「衣食住が満たされれば幸せだ」と答えるだろう。続けて、「女性の参政権や、女性の教育や就労の機械の保証は幸福につながると思いますか」と聞くと、おそらく教育を受けていない彼女は参政権が何かも知らず、教育や仕事がどうして自分の幸福に役立つのか理解できないだろう。さてこの場合、本人は欲していないからと言って、教育の機会や参政権を与えなくてもいいのだろうか」


このように非常に制限された環境や構造的な差別が存在する環境に育ってきた人は、その環境に適応した選好を形成してしまう。


つまり、自分の生まれ育った「身の丈相応」にしか幸福を望まない人々がいるわけです。


こう考えると、身分制や階級制度はひょっとしたら個人の幸福感の充足に機能するかもしれないんですね


(ちなみに似たような話が、あとで記事に書く「絶望の国の幸福な若者たち」にもあります)


でも、それって本当にいいの?って感じですよね。




あともうひとつ面白かったのは、


「人間一人ひとりの命の重さは同じ」という命題があるとしたら、


一人の死が悲劇なら千人の死は千倍の悲劇ということになります。


しかし、人間の心理的におかしなところは、


千人の死者よりも一人の死者に深く同情するようなのです。


日本で餓死した子どもに過度の同情をしても


後進国で餓死する数千人について、僕らはそこまで悲しむことをしないのです。


これは「心理的麻痺」というのだそうですよ。


これもまあ、功利主義的には不合理極まりない、人間の心理的作用ですね。






功利主義超面白かったっつーか、


自分がどれだか非功利主義的な発想をしているのかよくわかりました。


ぼくはいつも、海外ボランティア(笑)とか言ってるけど、


功利主義的には国内でボランティアするより、貧しい国の援助をしたほうが正しいんだよなあ。


んー、なんともいえない。




ただ、「最大多数の最大幸福」が本来少数者を排斥する意味ではなく、


「むしろ功利主義は、政策決定において、それまでほとんど無視されていた労働者、奴隷、女性など、多くの人々の幸福も等しく考慮に入れるべきだと主張する立場だった」


っていうのが個人的救済。

最近、読書量が増えたのは大変結構なんですが、

どうにもうまく噛み砕いて言語化できない己の表現力というかそういうのの無さに辟易してます


というわけで今回読んだのは、

希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想です




いや、大変面白かったですほんと

ピースボートのルポと、その発見についての社会学的分析…みたいな……


なんだか、最近は若い人たちの旅行の形態が変わってるみたいで、

「新・団体旅行」というというものが流行ってるみたいです。

(ちなみに、マスツーリズム→カニ族、アンノン族などの自分探し型一人旅→またマスツーリズムに回収されるみたいな流れがその前にはあったとか。バックパッカーの旅が巧妙に商品化、制度化されているなんて話は面白かった)


「新・団体旅行」はただ観光地に行って満足するだけではなく、

カンボジアでの地雷撤去、パレスチナでの難民支援など「自分探し」も組み込まれたような旅行です。

新・団体旅行者にとって「どこへ行くか」ではなく「何をするか」「誰と行くか」が大事なようで、

つまり、「共同体」が付与された旅行は若者にとって魅力に映るとか。


その理由が、若者が現代的不幸(閉塞感、空虚感)に苛まれているからなんじゃないの、と。

んで、その特効薬として「承認の共同体」が求められてるんじゃないの、と。


例えば、現代的不幸を抱えた若者が右翼思想に入れ込んでデモとかに参加するのは

思想を同じくした右翼団体にコミットメントされて居場所を、承認を獲得できたりすることも大きな理由の一つなんじゃない?みたいな。

ただ、そういう目的性のある団体が生温かいコミュニティと化すことで、その目的が冷却されてしまうことも多々あるのが難点。

「居場所」でありながら社会を変えるようなプロジェクトを作るのはとても難しいようです。



で、「新・団体旅行」かつ「承認の共同体」がピースボートなワケですよ…

そのコミュニティが抱える瑕疵っぷりがとても面白かったです。


というところでレビュー終わり。

理由:最近読んだ四冊が全部面白かったため、全部レビュー書きたいから全部密度薄めでいく


レビューっていうか自分用のノートみたいなものと化してるねここ。


とりあえず古市憲寿の本はめちゃくちゃ面白いですマジで。

テンポとセンスがいいんじゃないの?と


しかし、卒論に盛り込もうと思ってたことだいたいこの人が先行で書いてしまってる感あるため、どうしたらいいかわからなくなった今日この頃