ビックリマンチョコとかけて、判決ととく。
ビックリマンチョコとかけて、判決ととく。
その心は?
すこぶる感覚的なことだが、試験の結果だったり、宝くじの当否だったりを確認する際、ひょっとすると確認するタイミングで結果が違っていたのではないか、という感覚に襲われることがある。
これは子供のころからそうだった。
例えば、ビックリマンチョコを買って、ヘッド(魔肖ネロとか)が当たっていないかと期待して、満を持して包みを開けたが、残念ながら雑魚シールだった場合、
「あぁ、ひょっとすると明日まで待ってから開けていたら、ヘッドが当たっていたかもしれない!」などと思うわけである。
実際は、購入した時点で、チョコに封入されているシールは客観的に確定しているし、
試験の結果は、試験時間が終了して答案を回収したときに、もはや不可逆的に決まっているはずなのだが。
もう一つ、この世の中はいくつにも分岐していて、いくつものパラレルワールドが存在しているという考え方もあるにはあるようである。
例えば、今晩、私が夕食としてカレーを選択した世界と、お寿司を選択した世界とでは全く違ってくる、ということになる。
さて、弁護士としてできるだけのことはして、後は判決結果を聞きに行くだけ、という場合も、同じ感覚に襲われる。
果たして判決を誰が聞きに行くべきか。
自分で直接聞きに行くか、事務局のMくんに聞きにいってもらうか、それともTさんに聞きにいってもらうか、はたまた、共同受任している先生の事務局に聞きに行ってもらうか、そんな下らないことに、しばし頭を悩ませる。
しかし、結局のところ、既に主張と証拠は尽くし、それをもとに裁判官は判決を書いており、判決日はただその結果を確認しにいくだけなのである。
だが、子供のころビックリマンチョコを開封するときの気持ちと、大人になって判決を聞きにいくときの心境は、実はかなり似ている。