僕は近くの駅まで歩いていった。
こぢんまりとした、穏やかで優しい駅だった。
ごてごてとした広告も酔っ払いも、
嘔吐の跡も汚いトイレもない。
あるのは券売機と改札と、ベンチだけである。
始発がこの駅に到着するまで
まだ三十分ほどあるようだ。
僕はクセで一番安い切符を買ってしまった。
料金表を見るのが面倒で、一番安い切符を
買って後で精算するのである。
手間は変わらないじゃないかと
何回か怒られたことがある気がする。
時間があるので料金表をゆっくりと
眺めてみる。
財布と見比べてみると、
家までの片道電車賃と隣駅までの賃金分が
きっちりなくなっている。
それにしても・・・夢がない男だ。
僕は溜め息をつきながら、
ベンチの背にもたれかかった。
・・・
やがて来た電車に僕は乗り込んだ。
電車はゆっくりとスピードを上げてゆく。
線路の脇にはヤマアジサイが美しく
咲き誇っている。
夏のにおいがする。
電車は風を切って走ってゆく。
景色は流れ、僕の意識も流れてゆく。
新しい一日が始まろうとしていた。
さあ、帰ろう。
日常に溶け込んでいく。
僕はあくびをしながら窓の外を眺める。
手の中にはもちろん、耳骨を握り締めて。