清水です。
 
この3月末をもって広報専門員を退任するにあたり、振り返りをさせてもらいます。
前編に続き後編です。
 
 
 
2018年は、県としての兵庫県が誕生して150年という記念の年でもありました。
 
 
 
 
2人そろっての司会は珍しかったなぁ。
 
 
 
そして、この年に高曽根さんは広報専門員をご卒業に。
 
 
この時は産育休の制度はありませんでした。
正義感にあふれ「例え、嫌われてでも言うべきことは言う」という芯のある仕事ぶりの高曽根さん。
何度か「ちょっとたんま」とブレーキをかけた時もありました。
 
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今は、先輩ママとして子育ての相談に乗ってもらったりしています。
今だから言える、米田さん高曽根さんの素の顔は‥
「ツッコミ上手」「活字好き」「プレゼントのセンスがいい」
お二人ともそうでしたね。
 
 
 
 
この時代は、年に1度のMBSでの大きなイベント「ひょうご博覧会」が行われていました。
 
 
 
高校生の頃から、お笑い&漫才が好きで劇場に足を運ぶこともよくあったので、芸人さんと一緒にお仕事できた時には夢のようでした。
こちらの緊張をほぐしつつ、台本の内容をこなし、笑いでもっていく芸人さんはさすがです。
 
 
 
ひょうご博覧会以外でも芸人さんとはちょこちょこ。
 
 
 
 
規模の大きな仕事があるのも県の仕事のおもしろさのひとつ。
県はなんと「飛行機」までも買うことができるのです。但馬〜伊丹の空を飛ぶ機体が刷新され、新機体に「コウノトリ」のラッピングがされるタイミングで、県の空港政策課と一緒に鹿児島へ飛びました。ひゅい〜ん。
 
 
 
 
 
ラッピングは数十時間にわたる作業だったので、カメラでは一定間隔で撮影する「タイムラプス」機能を使って、作業の様子を記録しました。
バッテリー交換は倉庫で作業する方にもお手伝いいただいて、鹿児島&但馬&JAC&兵庫県、みんなでラッピングの記録映像を作りあげました。
 
 
実際に、但馬空港に到着したのを目にした時には、感慨深いものがありました。
 
 
 
 
 
「小さいけど、特色打ち出してがんばってる空港」ってなんかいいですよね。
ちなみに、但馬空港のトイレはコックピット仕様です。
 
 
 
 
 
この頃は、「ワールドマスターズゲームズ2021関西」(2027年に開催が延期)がじわりじわりと近づいていた頃。
 
 
 
私も、プレ大会として開催された、アジアパシフィックマスターズゲームズ(マレーシア開催)へ選手として同行することに。
 
 
 
出場種目は、そうです、サイクリング(ロードバイク)です。
 
 
 
台風の影響で、急遽出発が早まり、焦ってロードバイクを梱包し始めるも、ここまで自転車を細かく分解したことがなかったので、「なんでペダルが取れないの〜泣」と半べそかいていました。
 
 
 
リポートしながらの走行はしんどいし、カメラのセッティングも自前だったので苦労しましたが、現地でも沿道の声援があり、横を見れば外国の方が走っていて‥。知らない土地を走る楽しさを感じました。
 
 
 
 
 
ワールドマスターズゲームズの取材では、自分がスポーツ大会に出るだけではなく、長年のスポーツ愛好者や、競技団体と呼ばれるスポーツを支える人のお話を聞きました。
 
 
 
 
 
 
↑フラッグフットボールの取材
 
 
スポーツは、仲間ができたり、夫婦の時間になったり、目標ができたりと自分のためのものでもありますが、スポーツは「しても」「支えても」得られるものがとてもあるんだと教えてもらいました。
とにかく会う人、会う人、めっちゃポジティブなんです!!!
スポーツは人生を豊かにしてくれる。そう感じ続けました。
 
兵庫県は、メジャーなスポーツからマイナーなものまで、やろうと思えばいろいろな競技に出会うことができるスポーツ環境のいい場所であることは間違いありません。
 
 
 
 
そして、時代はコロナ禍へ。
 
 
 
新型インフルの感染症対応を基盤に対応が進められました。どうなるか分からない不安と閉塞感で、みなが明日を模索してました。
 
この頃、YouTube「兵庫県ってなんだ〜なおみチャンネル〜」がスタート。
「情報」というものを考えるきっかけになりました。
憶測やデマも多く流れていたので、「信頼たる情報を」と行政広報の役割をひしひしと感じてもいました。
 
 
 
ワクチンや後遺症などの発信については医師向けのガイドラインを読んでみるも、分からないことだらけだったので、ふせんをたくさん張った資料を持って、医師でもある山下部長のもとへ駆け込んだことも何度か。
 
 
 
 
行政への意見や批判はあって然るべきですが、県民に映る行政と、責任感・使命感を燃やして業務にあたる職員とのギャップを埋めたいと、コロナ対応にあたる職員にインタビューしたことも。
 
「どんな職種の人が大変なのか」「学生たちはどんなことに耐え学生生活を送っているのか」
いろいろな分野の方に実情を聞いたインタビュー「新型コロナ 私たちの記録」は約30ほど、記事を書きました。
 
 
 
↑お小遣いで布を買って、マスクを作り県に送ってくれた姉妹に会いにお家へ行ったことも。
 
 
 
 
 
 
コロナ禍の新春知事対談のゲストは、iPS細胞の山中伸弥さんでした。
 
 
 
 
神戸大学で学ばれ、兵庫とのつながりも深い山中さん。
「これから先、生き残っていけるのは変わることのできる人だ」と言われていた言葉が忘れられません。
 
 
 
そして、最も大変なコロナ初期から道筋をつけ、前知事が退任。
 
 
新しい船出が始まります。
 
 
 
兵庫にしかない文化、自然、地場産業、伝統、歴史、体験は今、「ひょうごフィールドパビリオン」として、国内外の人の訪れを待っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
この11年半。
たくさんの取材を通して、ひとつひとつ兵庫のピースが形作られ、積み重なってきました。
広い県土で、たくさんの人に会い、話を聞き、五感でその実像を感じながら広報してこれたことはこの上なく幸せです。
 
「最新」「先駆的」「革新」。産業時代において、はるか先を思い描く「21世紀ひょうご長期ビジョン」を長い時間をかけて県民と作り、利便性にとらわれない心豊かな兵庫作り、人作りをしてきた兵庫県政が私は好きです。
 
正直、苦境の時もありましたが、これまで広報を続けて来られたのも、ここふるさと兵庫に恋をしていたからなのだと思います。
 
 
輝かしいものもオンリーワンのものたちも大事に大事に。
大震災の痛みと経験を忘れず。
多様な人が多様なフィールドで多様な活動ができる。これからもそんな兵庫であってほしいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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コツコツ書いているうちに、これまで発信した記事は2000ほどにもなっていました。
 
更新がプッシュ型で届く最近のSNSと異なり、わざわざチェックしに行かないと読めなかったにも関わらず、ブログを訪問してくださり、ありがとうございました。
このブログは、最後に「たかさんの徒然草~能登のグルメ編~」を書いてブログじまいをします。
 
4月からは新しい広報専門員が着任しますので、どうぞ宜しくお願いします。
 
 
 
さまざまな挑戦と失敗もありましたが、これまで温かく見守ってくださったみなさん、本当にありがとうございます。
みなさんの前途と兵庫県に穏やかな春が訪れることを祈っています。
 
それでは、またどこかで清水を見かけたら、遠慮なく声をかけてくださいね。
今まで、本当に本当にありがとうございました。
 
 
兵庫県広報専門員 清水奈緒美