サミィとジンナー | 手のひらの中のアジア

サミィとジンナー



さみぃとじんなー2


ルナの家で住み込みのお手伝いとして働くもう一人の女の子、サミィ。


彼女がこの家にやってきた理由は、アキィと同様に両親や家族の消失、身寄りがないことによるものだった。12歳のアキィと比べると、現在18歳というある程度精神的に成熟した年齢のためか、または単に時の流れが彼女にそれを慣れさせてしまっただけなのか、アキィのようにどことなく不安定な要素といったものをサミィには感じることがなかった。


サミィはルナ家において主に「食事」全般を任されている。ルナが市場で買い込んできた大量の食材を、すぐに使うものと冷蔵(凍)庫に保存するものなどをさっと見分けて手際良く作業を進める。朝、昼、夜の3食、すべてをサミィ一人で準備することもある。


またサミィは一日の時間のうち、その3分の2をキッチンで過ごしているといっても過言ではない。残り3分の1はアキィと一緒に洗濯や家全体の掃除、ルーモンにシャワーを浴びさせてやったり、ご飯を食べさせたりといった形で過ごすのがほとんどだった。自由に遊ぶ、といった姿はアキィ同様残念ながら見たことがない。


数年前、まだこの家にやってきたばかりの当初、サミィは料理はおろか掃除一つとってもほうきで床を掃くということ、雑巾で床を拭くということ、その前に水で洗った雑巾を絞るということに至るまで、何一つわかっていなかったとルナは言う。そんな彼女にルナは、何から何まで一から叩き込んだ。徹底的に教え込んだというベンガル料理は、今ではかなりの腕前だ。


「ぜんっぜんっ、だめっ。私が教えたのじゃないよ」


ルナは今でも絶対にサミィが作った料理を誉めたりしないけれど、きっと認めてしまったらルナの「お母さん」として立場がほんの少し危うくなってしまうことをわかっているから、心の中では少なからず認めている部分があるのに間違ってもそれを表に出して言えない、いや言いたくないのだ、とちょっと僕は思う。


確かにルナの作るベンガル料理はお世辞抜きに旨いから文句はないけれど、僕はサミィの作るさっぱりとして口当たりの良い家庭料理も好きだった。ご飯はポラオじゃなきゃ食べられないというわがままなルナの一人息子ルーモンだってサミィの作った料理を毎日きちんと(半強制的ながら)食べるし、一日に何人も訪れてくる親類や客人たちも同様に食卓を囲んでご飯を食べる。ルナやアキィが手伝うとはいえ、やはり普段の食事に関するもろもろは、サミィ様様なのだ。


そんなサミィは、僕がルナ家にやってくるほんの少し前、人生における一大イベントを迎えたばかりなのだとルナに聞いて僕は飛び上がるほど驚いた。


サミィは、正式な形で「結婚」をし、式をすませたばかりの新婚だったのだ。


相手は、爽やかベンガル好青年といった感じの容姿で19歳、名をジンナーといった。二人はお見合い結婚だった。身寄りのないサミィにとって事実上の親であるルナとジンナーの両親による合意でそれは実現したと言う。


ルナという人が存在しなければ決して出会わなかった二人、出会っていたとしても決して結ばれることは叶わなかった二人。それを現実として可能にしたのは、ルナがサミィの「親」として金銭面での支出を受け持ったり、二人のための生活場所をも与えたからに他ならない。


現在19歳のジンナーは街のビスケット屋で働き、18歳のサミィはこれまでのようにルナ家のお手伝いとして働いている。ビスケット屋の収入のみで結婚後の生計を立てていくのが不可能であるのは、ビスケット一枚の原価と売価の間に生じる純利益を計算せずとも目に見えて明らかである。ましてやビスケットの単価をいくらか値上げしたところでどうなる問題でもない。


ルナは普段自分のマンションの一階に常駐させている「門番」に今度空きがでるため、ジンナーにその仕事を与えるという条件も付加したのだった。二人は常に一緒にいられる、食費もかからなければ服もルナが用意してくれるのでまるで出費がかからない、まさに理想の結婚だった。


僕がルナ家にやってきた数日後、ジンナーが正式に引越してきた。二人の部屋は僕が使わせてもらっている部屋の隣だ。ただでさえいろんな人がやってくる賑やかな家庭にまた新たな家族が一人増え、ルナ家はよりいっそう華やかさを増した。


爽やかベンガル好青年のジンナーは、時々僕の部屋にもやってくる。


「ボス!!」


彼はなぜか僕をボスと呼ぶのだ。この家にデカい面して居据わっているつもりはないし、彼も特に意図があってそう呼ぶわけではないのもわかるけれど、それだけに僕はジンナーにボスと呼ばれるたびにどこか背中がむず痒くなるような思いで苦笑せざるを得ないのであった。


「ボス!! アッサラーム アライクム!!」


と彼が声をかけるので僕は、


「ワライクム アッサラーム!!」


と答える。


イスラムの挨拶は、挨拶を発した側と受け手の側の言葉が違うのだ。誰かがアッサラームアライクムと言えば相手はワライクムアッサラームと答える。だから僕がジンナーに向かって先にアッサラーム~と声をかければ、ジンナーはワライクム~と答えるわけだ。それは時々僕のなかで、部屋の前にジンナーの姿が現れた瞬間どちらが先に「アッサラーム~」と言えるか、といったゲームのような感覚になる。何十回と顔を会わせて、今は五分五分といったところだろうか。


「ボス!! バロアチェン?」


ジンナーは続いていつも決まってそう訊ねる。お元気ですか?と。


「バロアチ」


元気だよ、と僕は答える。


それから時々、マッサージをしてくれたりする。初めは不思議に思っていたのだけれど、実はこれは彼なりの僕に対するコミュニケーションの方法なのだということがわかった。僕はベンガル語をほとんど話せなかったし、彼もまた日本語や少しの英語を話すことができなかった。僕たちには、完全に使いこなせる共通言語というものがなかったのだ。それでもなんとかこうして交流を図ろうとしてくれるジンナーの気持ちが伝わってきて、断りながらも続けるマッサージを苦笑いながらに受けるのだった。


後々、言葉が少しだがわかるようになってきた頃、ジンナーがいつも部屋にやってきては言う台詞があって、僕はその意味を理解した時に思わず胸が熱くなった。


「ボス!!

困ったことはありますか?

もし困ったことがあったらいつでも、なんでも私に言ってください。

私があなたを助けますから」


ジンナーはいつも僕を気にかけてくれて、自分の胸に手を当てながらゆっくりと言い聞かせるように僕に向かってそう伝えてくれていたのだった。


紳士的で礼儀正しい爽やか好青年ジンナーと家庭的なサミィ、彼らはお似合いの二人だった。


さみぃとじんなー


ある朝、ジンナーが仕事で外へ出た後、午前中からキッチンで野菜の手入れをしたり、料理の下準備を始めたサミィを僕は、じぃっと見つめていた。


本当は「サミィ、幸せ?」とでも笑って(ちょっと冷やかしも込めて)聞きたいのだけれど、そんな言葉さえよくわからないので、結局ただじぃっと親父のような目で見るだけになってしまうのだ。


「キィ?」


当然サミィは、いぶかしげな言い方で、なぁにぃ?と僕に訊ねる。別になんでもないよ、と言った笑いで僕は首を横に振る。しばらくして、僕が部屋で荷物の整理でもしていると今度はサミィが僕の部屋の前にやってきて仕返しとばかりに何も言わずにただじぃっと見ていたりする。


「きぃー?」


なにさ?と僕が訊ねると、


「きぃぃぃちゅなっっ」


べっつにぃぃ、なにもぉ、と言った感じで笑いながら彼女は、してやったりの顔をする。


そんなサミィを見て僕は「ほんとに幸せそうだな」と笑いながらも微笑ましくなるのだった。何か大切なものに包まれて幸せを体いっぱいに感じている女性からにじみ出るオーラというのはすぐにわかる。言葉の節々、声のトーン、笑顔一つとってもこれまでとの違いが如実に現れる。それはベンガル人の女の子でも同じなのだ。こうした純粋な輝きはこちらをも何とも言えぬ穏やかな心地にしてくれる。


ほうきの使い方、雑巾の絞り方さえままならなかったベンガル人の少女サミィ、現在18歳、彼女は立派な女性に成長した。


そして今日もキッチンの床にかがみこみ、家族や親戚、やってくる客人へ食事をもてなすため、袋にどっさり入ったじゃがいもを一つ一つ手にとっては慣れた手つきでせっせと皮むきをするのであった。


12/29 


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