夢の終わりと現実の続き
ドンドンドン!!
部屋をノックする音で目が覚めた。
僕は約1ヶ月ぶりにヤンゴンの街へと戻っていた。
「お電話が入ってます」
宿のスタッフがそう言った。
「誰?」と聞かなくてもそれが誰からのものであるかすぐにわかった僕は、急いで服を着替えて1階ロビーに走って下りていく。
電話をとると、始めから日本語で「もしもし!?」と声をかけた。
受話器の向こうはざわざわと騒がしく、少し間があいてから返答があった。
「もしもしぃ」
ちょっと堅い調子の日本語、聞いたことのある声。そう、思ったとおりメイッティーラで一緒だったミャンマー人青年リンからだった。
メイッティーラで一緒だった時、日本語検定試験を受けるためにヤンゴンを訪れる予定のあった彼には、僕がヤンゴンで泊まっていたホテルの名前や電話番号の入った名刺をもしよかったら、と渡していたのだった。そして僕がヤンゴンへ戻るであろう予定日も。
「もしもし!?リン、ヤンゴンにいるの!?」
僕はもしかしたらと思いながら、少し興奮気味に言った。
「もしもしぃ、聞こえますかぁ」
「聞こえてる?」
「もしもぉーし」
電話の調子が悪いのか、なかなか会話が成立しない。
「もしもし?ヤンゴンにいるの!?」
「あぁ、聞こえた。わたしは今ヤンゴンじゃありません」
久々のリンの日本語を聞いてどこか懐かしくなり、会えるかもしれないという期待も一瞬募ったが、ヤンゴンにいるわけではないらしい。
「そっか・・メイッティーラ!?ニン帰ってきた!?」
またもしかしたら、と思って聞いてみる。
「わたしは実家に戻っています。今は公衆電話から電話してます。」
彼は試験が終わった後、直接実家に向かいメイッティーラにはまだ帰っておらず,ニンにも会ってはいないと言う。
そして今度は逆に彼が僕に聞いた。
「彼女はどうでしたか。旅行は無事にいきましたか?」
「うん、楽しかったよ!!」
「そうですか、言葉は大丈夫でしたか?」
「なんとかね、でも問題なかったよ!!」
「それはよかった。きっと彼女も楽しかった」
僕はリンと会話するうちに、僕と彼女の旅のことをどんどん話したくなった。
「リン、僕らの旅行、最初5日って言ってたじゃない?それがさぁ」
と言いかけたところでまた電話の回線不良が会話の邪魔をした。
「もしもし?」
「もしもしぃ」
「聞こえる?あ、それでさ、最初に5日って・・」
「また、ミャンマーに来てくれますか」
「え?あぁ、わかってる。うん・・。」
彼には僕の声があまり届いていないようで、話がなかなか噛み合わない。
「楽しみにしてます。きっと彼女も同じ」
うん、と答えた僕は彼に
「あのさ、ニンにも楽しかったって伝え・・」
とまで言ったところでやはりそれさえも聞こえていなかったのか、受話器からはほぼ同時に「元気で。。」という最後の言葉が聞こえ、そして切れた。
「もしもし!?もしもし!?」
僕は2,3度、声を発したけれど、その時にはもうツーツーツーという虚しい残音が響いているだけだった。
僕は、なんだか不思議な気持ちのまま、ゆっくりと受話器を置いた。
電話の様子を見ていたレセプションのホテルスタッフが僕に言った。
「随分、長い電話でしたね(笑)」
その時、僕は思わず「えっ?」という声を出してきょとん、としてしまった。
「随分、長い電話・・・?」
僕にとってはそれがとても意外な一言だったからだ。電話回線が悪いせいで多少の無駄な時間はあったにせよ、それほど長い会話をしていた覚えはない。
僕は一瞬ハッとして、それから、受話器を置いた時に感じた不思議な気持ちのことを思い出した。
同時に少し前、リンと電話のやりとりをしていた時と同じ映像がもう1度頭の中に流れ始めた。
「もしもし?」
「もしもしぃ」
相変わらず回線の調子が悪い電話だった。
「どうでしたか?私のプレゼントは」
彼は妙なことを言った。
「えっ?プレゼント?どういうこと?」
「楽しかったですか?」
「えっ、楽しかった・・けど・・リン?どういうこと?」
「それはよかった。言葉は大丈夫でしたか?」
「大丈夫だったよ、って、ねぇ、どういうことだって」
「もしもし?あぁ、大丈夫でしたか。それはよかった」
「もしもし?聞こえてる?」
「きっと彼女も楽しかった」
「意味がわからないよ・・プレゼントって何?」
それが電話回線のせいなのか、意図的なのかわからないまま、彼は一方的に話し続けた。
「この電話が切れて受話器を置いた時、あなたと彼女の旅は本当に終わります。夢の時間はそこまでです」
「はっ?いったいどういうこと!?ねぇ!!」
「お元気で。。」
「リン!?もしもし!?もしもし!!」
僕が必死で声を発した時、既にさっきと同じようにツーツーツー・・という残音だけが響いていた。
いったいどういうことなんだ。
この数日間に渡る僕と彼女の旅は、最初からリンが僕らにプレゼントしてくれたもので、出会いも必然だったなら、別れも必然だった・・。リンは僕の前に現われた「夢先案内人」で、今彼からの最後の電話が切れた時、夢は終わりを告げた・・。この数日間は夢だった・・ミャンマー人青年のリンも、共に旅をしたニンも・・僕は今・・。
「あほか!!」
僕は、くだらない想像を振り払うように心の中でそう叫んだ。もちろんこれは夢の話じゃなく現実にあったことで、リンもニンも実在する。僕が再びその地を訪れさえすれば当たり前のように、あっけなく会える。
どうやら僕はまだ、この数日間の出来事について心の整理ができていないようだった。時の止まってしまったようなバガンから、突如として喧騒溢れるヤンゴンに戻ってきて間もない僕は、すべての出来事が夢であったように感じられて仕方がなかったのだ。
「随分、長い電話でしたね」
そう言われたことにハッと驚くほど、自分は夢中になって電話をしていた。まるで夢の世界にしがみつく亡者のように。
少しの間、夢と現実の狭間を漂っているような感覚だった。
・・・・・・・・・・
ふと、肩をぽんっと叩かれて僕は我に返った。
「おい、飯でも食い行くか」
ロビーにいた日本人の1人が、ぼぉっとレセプションの前で立ちつくしていた僕にそう言った。
「え?あ、はい。行きますか(笑)」
時計を見ると昼の12時を過ぎていた。
そういえば朝食も食べずにいた僕は、今日はまだ何も食べていない。さすがにそろそろお腹もすいてきた頃だった。ちょうどいい。
ホテルのドアを開けて外へ出ると、もわっとした熱気が体を包みこんだ。
「ふぅぅぅっ・・」
じりじりと焼けつくような日差しは容赦なく僕に照りつける。
ヤンゴンは今日も暑かった。
1215