荊 棘 (後) | 手のひらの中のアジア

荊 棘 (後)


バガンというところは、世界各地から観光客がやってくるまぎれもないツーリストエリア。


ここでは、もう問題はないだろう、と思って半ば安心して到着した僕らであったが、ここでも再び宿における問題は発生した。


ツーリストエリアであるがゆえ、僕は当然その1人としてあらゆるサービスを享受できるはずだった。しかし、それは僕が1人で訪れた場合のことで、もう1人、ニンというパートナーがいることによって新たな問題が持ちあがったのだった。


ツーリストでも男女二人で旅をしている人はいくらでもいるはずなのにだ。彼女が「ミャンマー人」であるということが問題になったのだ。


最初に訪れた宿、若いミャンマー人の男性スタッフが僕に言う。


「あなた1人なら何も問題はありません。でも、あなたはミャンマーの女性を連れています。ミャンマーでは結婚前の男女がおおやけに一緒にいることはタブーとされています。申し訳ありませんが、お泊めすることはできません」


彼の口調は丁寧かつ穏やかであったが、僕としてはやはり府に落ちないものがあった。


事情や経過を知らない第3者から見れば、確かに僕らは「恋人」らしき二人に見られてもおかしくはないのかもしれない。しかし、実際にはそうではない。


それに、それぞれがシングルルームに泊まることも許可されないとはどういうことなのだ。別々に訪れてきた旅行者として扱ってくれと言ってもだめだというのだからラチがあかない。


もともとシングルルームに泊まっていた旅行者同士の男女が、滞在中、何度か顔を会わせるうちに恋に落ちたということが起こったら、どうなるのだ。追い出されるのか。


そもそもミャンマーにはいたるところで未婚の男女があつい抱擁を交わしている光景がいくらでもあるではないか。さらには成人していないような娘たちが国内外問わず男どもを相手に売春行為を行い、それを知る警察が目をつむっているという現実だってあるではないか。


本音と建前の矛盾した世界など、どこの国にでもあることはわかっているけれど、なぜ今ここで僕らが「建前」の剣を振りかざされなければならないのだ。


とはいえ、いくら何かを言ったところで彼が許可をしてくれるわけでもないことがわかっていた僕らは、あえて何も言わずその場を立ち去った。


2軒目の宿で僕らは、チェックインができた。


しかしそこでは、それぞれがシングルルームへ、という当たり前の条件はクリアできたにもかかわらず、今度は別の条件が付加された。


それがまた府に落ちないものなのだ。


普通に考えて、別々の部屋に泊まっていようが、会って話をする時にはどちらかの部屋に行って会話をするのが当たり前の行動だと思うのだが、僕らが部屋で話をする時には常に


「ドアを全開に開けておかなければない」


というのだから、もう飽きれて何も言えない。


部屋はドアを開けて1歩外に出るとすぐにレセプションが見える位置にあった。


最初、言われた通り、ドアを開けたまま僕らはバガンでの計画について話しあったりしていたのだが、その宿の若い男性スタッフたちは、数分おきに部屋の前を行ったり来たりしては僕らの部屋をチェックする。


夜になってドアを開けておいては少しひんやりする上に、蚊も入ってくる。その上ちらちらと絶えず監視されていては、プライバシーも何もあったものではない。僕らは声に出して反抗こそしなかったが、ドアだけは閉めた。


しかし、今度はドアが閉まっているのに気づくと、コンコンとノックがやってくる。しぶしぶ開けると案の定若い男が立っていて、


「ドアは開けておいてください」


とだけ言い残して戻っていくのであった。


「あぁ、sorry,sorry・・(笑)」


などと適当にごまかして、しばらく経つと僕はまたドアを閉める。


またノックがやってくる。


また笑ってごまかす。


ノック・・。


笑う・・。


ノック・・。


そんな静かなる戦いを数回繰り広げていた夜半、事件は起きた。


あれからしばらくの間、何の音沙汰もないことに安心して、相変わらずドアを閉めて話をしていた僕らの部屋に突然ドンドンとこれまでにない勢いでドアを叩く音が響いた。


さっきまでとは別の若い男がやってきて、ビルマ語でニンに対して話を始める。


これまでとはちょっと違う様子の事態にいったい何が起こったのかわからない僕は、彼女の表情がこわばって青ざめていくのを見て、急に鼓動が早く激しく打ち始めるのを感じた。


突然振り向いた彼女は、泣きだしそうな顔で僕に行った。


「早くここから逃げよう!!」


「はっ!?」


理由がわからない。


「落ちつけって!!何があったの!?」


僕も僕で焦りの煽りをうけたのか、日本語でそう言いながらニンを落ちつかせようとしたけれど、彼女はもう頭が混乱してしまっているようで、何を言ってもだめだった。


隣にいた若い男が静かに口を開いた。


「警察がきます。」


「何が!?僕らは何もしてない!!」


「警察はそう判断しないでしょう。私たちは忠告したはずです。」


いったいどういうことなんだ。


突然の展開に冷静さを保つぎりぎりのところに僕はいた。


「ふざけんな!!」


と言ってやりたかったが、彼女が完全に混乱している以上、僕がここで冷静さを失うことだけは避けたかった。


若い男は僕に言う。


「でもあなたは大丈夫です。ここに泊まっていて問題ありません」


(こんな状況になって、今更あなたは大丈夫です、はないだろう・・)


右手に作った拳を必死で抑え、言葉を噛み殺すように僕は彼に言った。


「ちょっと出ていってもらえますか・・二人にさせてください・・」


「OK・・」


とだけ言って彼は部屋を出た。


ベッドにへたれこんでいたニンの方を見ると、彼女は泣いていた。


「ニン、何て言われたの?話して」


僕らはお互いの英語力の問題やビルマ語ですらすら会話ができないことから、長い会話内容になる時にはよく筆談で会話をしていた。


あれこれと出来事や気持ちを単語や文章にして書き綴った後、


「警察が私を捕まえにくる・・」


と最後に書き残し、彼女は叫んだ。


「私は何もしてない・・私は売春婦なんかじゃない!!」


「わかってる、わかってるから・・それで?」


彼女は白紙に青いボールペンで書き綴る。


「もし・・捕まりたくなかったら・・金を払うか・・」


「金を払うか・・何?」


or・・の後の一言を彼女は口に出して言った。


「男と寝なければならない・・」


そう言って泣き崩れた。


僕は目をつむり、息を飲んだ。


怒りの鼓動が心臓を突き破りそうなほど激しく打ち鳴らされるのをなんとか抑えようと、全身に力をこめた。


その時、さきほどの若い男が再びやってきた。


彼は静かな口調で彼女に何かを言うと、すぐにまた引き上げていった。


「彼は何て・・?」


まだベッドに顔をうずめて泣いていた彼女はゆっくり顔をあげて答えた。


「今回は、大丈夫って・・。宿の方でうまく言っておくからって・・」


そのことで少しばかり安心したのか、彼女はさっきより落ちつきを取り戻したように見えた。


深夜2時をまわっていた。


僕は煙草に火をつけて、椅子に腰かけてしばらくの間、考えた。


突然のことだったので、頭がよくまわらなかったけれど、よくよく考えると出来すぎた話のようにも思える。


「ただの嫌がらせだったんじゃないだろうか・・」


そう思った途端、全てが宿の男たちによって仕組まれたものである気がしてならなかった。


だいたい、僕らは何も悪いことはしちゃいない。あえて言うなら、ドアを開けておいてくださいと言われていた条件に対して、それを守らなかったいうことはあるけれど。それだって執拗なまでのチェックなどがあったせいだ。


きっと腹いせに、警察沙汰の話を作り上げたに違いない。


僕はそれを彼女に話して心配する必要はない、と言おうとしたけれど、彼女は泣き疲れ、そして突然危機に陥れられた状況をとりあえず回避できたこで安堵の気持ちに至ったのか、その時にはもうすやすやと眠りについていた。


「とにかく明日の朝、ここを出よう」


僕はそう決めて、自分の部屋へと戻ったのだった。



12/05