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手のひらの中のアジア
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November 30, 2005

連 鎖 ~日本人が建てた学校~

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー メイッティーラの小学校


4匹の子犬たちに導かれたような気がして訪れた場所は小さな小学校だった。

正面に構える校舎はコの字型をしていて、小綺麗な木造2階建ての造りになっていた。


真剣に授業に取り組んでいる最中なのか、空き地に点々と雑草が生えただけのような校庭は人影もなく、がらんとしていた。


コの字になった左側一階には職員室のような一室があって、そこには3人ほど女の先生が休憩中なのか、お茶をしながら談笑していた。


右手にちらりと見えた教室内では子供たちが一生懸命に黒板の文字を写し取っている姿が見える。


ラオスの小学校では授業中でもわぁきゃぁと騒ぎ声が聞こえてきて、そこら辺をうろつく生徒がいれば、訪れた僕の姿を見つけて授業そっちのけで飛びかかってくる生徒までいるほど、自由というかテキトウというか、良くも悪くも開放的な雰囲気に包まれていたものだったが、ここミャンマーでは少し様子が違っていた。


とりわけメイッティーラで訪れたこの学校は、ミャンマー的、というよりは「日本」的な匂いがした。


どこが、と言われても具体的な理由はすぐには浮かばないのだけれど、校舎の造りや机・椅子、黒板、その他設備の点での違いは別にして、パッと見た瞬間の授業風景がなんとなく「日本」のそれによく似ている気がしたのだ。


その匂いがそれほど検討違いでもなかったことは、先生方に話を聞かせてもらうなかでわかった。


「学校、覗かせてもらっていいですか?」


と尋ねる僕に、3人いた女の先生たちは最初戸惑った様子を見せて、その後、2階にいた少し年配で白髪交じりの男性教師を呼んで連れてきた。


気さく、というよりは真面目でどちらかというと堅そうな感じの先生だった。


僕があらためて挨拶をして


「日本から来ました。。」


と告げると、先生はいろいろと僕に質問を投げかけてきた。


「今日はどうしてこちらへ?」


まさか4匹の子犬に導かれてやってきました、などと言えるわけもない(その前に言葉もわからないけれど・・)僕はとっさに


「ミャンマーの学校を見たいんです。」


とわかる範囲のビルマ語を駆使して答えた。


「なるほど。ビルマ語、お上手ですね。」


「いや、ちょっとだけです。今、勉強中で・・」


「ミャンマーへはお仕事ですか?」


「ただの旅行者です(苦笑)ミャンマーの文化や教育、現地の人々の生活、価値観といったものを学びたいと思ってミャンマーへやってきました・・」


よくもまぁ、そんないっちょまえなことが言えたもんだと自分でもちょっと恥ずかしかったけれど、男の先生の醸し出す雰囲気がそう言わせたとでも弁解すればいいだろうか、それでもそう言ったことで先生は妙に納得したように肯いて「私が案内しましょう」と言ってくれた。


自由にあれこれ見させてもらって子供たちと笑顔で挨拶を交わして写真をぱしゃぱしゃ撮って・・という気軽な学校見学には程遠く、まるで教育実習生として数日間お世話になる学校へ事前見学にやってきた教師のタマゴのようなかしこまりっぷりだった。


それでも先生は一つ一つ丁寧に


「こちらは何々で・・あちらは何々で・・」


と丁寧かつ熱心に説明をしてくれた。


教室はそれぞれ何年何組といったように個室になっているわけではなく、2階なら2階全てが一つの大部屋になっていて、大きな掲示板のようなボードが各クラスを隔てる敷居として立てられているだけの実に簡単な造りになっていた。


そこがミャンマーらしいといえばミャンマーらしい気もしたが、1階に3クラス、2階に4クラスほど、それぞれ15人くらいの規模のグループに分けられて子供たちが勉強しているといった感じであった。


一通り案内してもらった後、職員室に戻ると先生は封筒に入った写真の束をとりだして僕に見せながら唐突に言った。


「小笠原さんを知ってますか?」


「い、いや・・知りませんが・・(苦笑)」


突然出てきた日本人の名前に何事かと思ったけれど、どうやらこの小学校を立ち上げる際に尽力された方のようで、写真にはその小笠原さんという方や先生をはじめ、子供たちみんなが一緒に写っていた。


「この学校は日本の援助で作られました」


と先生は言った。


どこか日本的な匂いがするといった最初の印象はここでなんとなしながら納得に至ったのだった。


東南アジアの国ミャンマーにおいて、この小さな学校の建設に携わった日本人がいる。


きっとそれは僕の想像を遥かに越えた部分で、熱い思いと強い意志によって実現されたもの。


今、ここでこうして元気にミャンマーの子供たちが机に向かって勉学に励む姿を見て、建設に携わった方々は何を思うのだろう。


それを考えるとただぷらぷらとやってきた僕などが「ふむふむ・・」などと肯きながら、お偉いお客様でも来たかのように校舎を案内までして見学させてもらっていることがちょっと申し訳なく思えたけれど、何か素敵なものを見せてもらった気がしていた。


「私たちは日本が好きです」


といった先生は、僕に次に訪れるべき場所を示してくれた。


「メイッティーラには日本が好きで、日本語を学ぶ人たちがたくさんいます。あの湖の向こうに見えるパゴダに行くといいでしょう。」


僕は迷うこともなく、そこまで行くことを決めた。


4匹の子犬に導かれてこの小学校に出会い、訪れた。


小学校で出会った先生に導かれ、次なる場所へ僕は向かう。


「導かれる出会い」


そんな不思議な引力のようなものを感じて、僕はそこへ身を委ねた。


それはただの思い込みに過ぎなかったかもしれないけれど、この時、僕は新しい出会いに対して驚くほどポジティブだった。


自分の気持ちがそうなっている時には、自ずと起こるべくして物事も起こるものなのかもしれない。


出会いが出会いを呼ぶ。


連鎖は始まっていた。


ミャンマー メイッティーラの小学校
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November 29, 2005

4匹の子犬たち

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー メイッティーラの子犬たち


湖のほとりに広がるメイッティーラの町でのんびりと自転車を走らせていたある日の午後。

僕はパゴダの裏の細道で4匹の子犬に出会った。


ブルルルル・・という重々しいのか軽いのかわからないようなポンコツがかった音を立てて走る車、大きな荷物を頭の上あるいは2輪の台車に載せてせっせと歩く人々、そんな大通りの端を邪魔にならないようにゆっくり走っていると、横の細道から縦に列を成して子犬たちがひょいと姿を現したのだった。


おもちゃの兵隊のようにコミカルな動き、皆同じ顔をしていて、皆同じように短いしっぽをぷりぷり左右に振りながらトコトコと大通りへ向けて前進していた。


もう少し早いスピードでこいでいたら先頭か2番目の子犬あたりを跳ねていたかもしれないような距離、子犬たちは子犬たちで視界左から突如僕の乗った自転車が走ってきたことに驚いたのか、急いでまわれ右をしたかと思うと短い足をバタバタさせながらあわてて元いた細道へと逃げ戻っていった。そして、


「やっぱりやめだ、やめだぁ」


とでも言ったように一匹がふてくされ気味に座りこむと、他の3匹も同じようにしてごろごろしたじゃり道の上にぺたんと座りこんだ。


大通りを渡って小さな旅にでも出るつもりだったのだろうか、僕の自転車が通りかかって横から進路を妨げたことで、それを断念してしまったようだった。


なんだか申し訳ないことをしてしまったような気がして、僕は自転車を置いて4匹の子犬のもとへ近づいてみた。


「ぐぅぅぅぅ・・・」


一匹が僕に向かって唸り出すと他の3匹も同じように真似をして唸り出す。


さらに近づいてしゃがみ込むと、怯えていたのか、それまで行動やしぐさまで面白いほど一緒だった4匹は一斉に飛ぶようにして四方に散った。


「逃げなくてもいいのに・・(笑)」


そう思いながらしばらく動かずにじっと様子を見ていた。


4匹はそれぞれバラバラに散ったのだが、すぐそこら辺をワンワン吠えながらグルグルとまわっているだけ、そのうち一匹はどこかに隠れたかったのか壁にあいた小さな穴の中へを頭から潜っていった。


しかし壁の穴は思ったよりも浅く、本人は隠れたつもりになっているのかもしれないけれど、いちもくさんに駆け込んだ割には、頭隠して尻隠さず状態。


短いしっぽだけは相変わらずぷりぷりと振りまわしている。


ミャンマー 頭隠して尻隠さぬ子犬


「こいつ、バカだな・・(笑)」


しゃがみ込んだまま、笑いながらしばらくそんな様子を見ていると、一匹が諦めたのか、はたまた僕が動かないことに安堵したのか、すぐ傍にやってきてしらんぷりしながら座りこんだ。


さらに始めの一匹がそうしたことで、あとの3匹もおんなじように傍へ集まってきてやはりしらんぷりしながら座りこんだ。


「いったい何を考えているんだか・・こいつらは(苦笑)」


僕はそんなことを考えながら立ち上がり、大通り沿いにあった売店でお菓子を買ってからまた戻ってきた。


食べ物を見たとたん手のひらを返したように


「くぅん・・くぅん・・」


と撫で声をあげる子犬たちにちょっとばかり意地悪してやりながら、それでも少しずつ分け与えてやった。


気がつくと、大通りを通りかかる地元の人たちが立ち止まり、不思議そうにこちらを眺めていた。


大きな竹編みのカゴを頭の上に載せて歩いていたおばちゃんや、


「何かやってるよ、あの人・・」


「なになに・・?」


といった感じで高校生ほどの女の子たちがひそひそ話までしている。


「ははは・・ミンガラバァ。。」


照れ笑いながらに声をかけると、くすっと笑いながらまた歩き始めて行ってしまった。


思えば確かに


「何をしているんだ・・?」


と自分でも不思議に思ってしまうほど、意味のないことをしているようにも思えた。


犬なんてどこにだっているし、せっかくこの町にきてわざわざそこに長い時間をとるほどそれが有益なこととは思えなかった。


この4匹の子犬たちとの一見無益な何気ない戯れの時間が僕にとって重要な「意味」を持ったのは、翌日、まったく別の場所でこの子犬たちと再会した時だった。


4匹の子犬たちは翌日、僕が断念させてしまった大通り横断を再度試みた、のだと思う。


そして見事に渡りきって小さな冒険に出た子犬たち。


僕は僕で翌日も同じように自転車を走らせ、大通りを今度は別の方向に曲がって新しい道を探索していた。


そんな中、埃の巻きあがる未舗装の道の途中、昨日と同じように短いしっぽをぷりぷり左右に振りながら元気な姿で走る4匹の子犬たちと再会したのだった。


それはメイッティーラの町で初めて見かける小さな学校の前だった。


子犬たちと再会を果たした場所に「学校」が建っていたことは何か意味のあることのように思えた。


そして不思議な縁のようなものを感じた僕は、自然と引き寄せられるようにしてこの学校を訪れることにした。


しかしこの時まだ、これから起きる一連の出来事が、今後のミャンマーの旅を大きく変える出会いに繋がっていくことを、僕はまだ何も知らなかった。


ミャンマー メイッティーラの子犬
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November 28, 2005

同じ空の下で

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー メイッティーラ湖


穏やかな朝だった。

細長くも大きい湖のほとりに広がるメイッティーラの町、朝早く起きた僕は宿の裏庭にあるテラスから静かに波打つその湖を眺めていた。


この宿で働く若いミャンマー人の彼が気を利かせて外へ運んできてくれたこんがり焼けた2枚のトーストと目玉焼き、デザートのオレンジやバナナ、それらがセットになった簡単な朝食を採りながら、温かいコーヒーで一息つく。


春の太陽のように優しく照りつける日の光に反射して、湖面にはきらきらと波の花が咲いているように見えた。


第二次世界大戦末期、この地で日本軍と連合軍の間に激戦が繰り広げられ数十万人が死傷したという悲劇の歴史は、上空をゆっくりと流れる白い雲を見る限り、微塵もその面影を感じられなかった。


しかし、ふわふわと浮かび流れる雲間から姿を現した太陽を見て僕は思った。


あらゆる事物・事象は時の流れとともに移りゆくけれど、太陽だけは昔も今も変わらずにこの世界にあって、今日も同じように東の空から昇ってきた。そして陽が昇る限り、メイッティーラの湖上、陽光によって無数に咲く波の花は、その金色の輝きを今も戦死者への弔いとして捧げるかのように優しい光を放ち続ける、そんな気がした。


ミャンマーの空は鮮やかな青だった。


この地にいた人たちもかつて同じ太陽がふりそそぐ世界で「今」を生きていた。そしてこのちっぽけな僕もまた、今日も東の空から昇った太陽の下で今を生きている。


穏やかなメイッティーラ湖のほとりで、自分もその優しい日の光に包まれていると、ふと友達やこれまで出会ってきた人たちのことを思いだした。


僕が今ここにいてミャンマーの空を見上げていたその時。


日本にいる親友のあいつは今日もビシっとスーツをきめて、都心へ向かう電車のラッシュの波の中、窓越しに東京のビル群を見つめていた。


夜勤明けのあいつは眠い目をこすりながら缶コーヒーを飲もうと道路脇の自動販売機に120円を投入した。


今日も元気いっぱいの子供たちが待つ教室の教壇に立って「おはよう!!」と言った先生のあの人は、少し角がつぶれて茶色がかった出席簿をおもむろにひらいて生徒の名前を呼び始める。


会社で頑張る彼は、今日1日の営業スケジュールを確認しながら提出書類の最終確認をしている。


朝から赤ちゃんの泣き声の響く家の中をせっせと動き回ってお母さんやってる彼女。


試験合格に向けて今日も朝からテキストを開いて難しい問題と格闘しているあいつ。


平日休みのあの人は、昨日の夜TUTAYAで借りてきた5本のDVDを1日で見ようとテレビの前のソファーに腰を下ろした頃。


カンボジアを旅する彼は二日目、早朝に宿を出て朝日に映えるアンコールワットを見届けた後、ゲストハウスのテラスでぼぉっと外を眺めている。


バンコクでタイ語学校に通い始めた韓国人の彼女は今日も基本単語の発音練習を反復している。


パリの街に住み始めたあの人は、お洒落なオープンカフェでコーヒーを飲みながら新聞をパラパラとめくっている頃合だろうか。


中国広東省の小さな町に住むおじさんは、今日も相変わらず寂れた路地の一角で煙草をふかしながら黙って町ゆく人々を眺めているに違いない。


ベトナム、ハノイで働く彼女は宿の前の掃き掃除を終えて、洗濯物を干しに4階のベランダへ上がったところ。


昨日夜遅くまで酒を飲みあかしていたタイ、カンチャナブリのあの人は、二日酔いのせいかまだベッドで寝ているのだろう。ママさんは子供たちを学校に送って戻ってきて、台所でいつもの温かいお粥を作っている。


南ラオス、シーパンドンの宿の親父は朝から既に6本目になるビールをあけた。


北のムアンシンでは村のママたちが織物を詰め込んだバカでかい袋を背負って市場への道をとことこ歩いている。学校の始まった子供たちは机に向かってカリカリと黒板の文字を写しとっている頃だ。


僕がミャンマーで「今」という瞬間を感じた時、僕が知る人たちみんなの「今」が同時にこの世界に存在していることを思いだした。


みんな、それぞれがそれぞれの場所で違う今を過ごしている。


考え、価値観も違う。好みも違う。今いる場所も違う。時差もあれば、風景も、流れる時間も、空気も、匂いも違う。


何もかもがばらばらのはずの僕たち。


それでもたった一つ共通の真実は、昔も今も変わらない同じ太陽が照らす光の下、みんなが「今」を生きているということだった。


みんな、同じ空の下で繋がっている。


それは当たり前のことなのに、とても不思議なことのようにも思えた。


あまりにも穏やかなメイッティーラの朝は、僕にそんなことを考えさせた。


湖に映る波の花と同じように今を生きる人たちを輝かせようと、晴れ渡る青い空、太陽はさっきよりまた少し高い場所へと昇っていた。

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November 27, 2005

小さな村イーボンソンに泊まる

テーマ:(10)ミャンマー

イーボンソン村の少女


カローから次の目的地ターズィの町までの数十キロは「ずっと下り」だと聞いた。

町で話す誰もが僕のこれから向かう道を「easy」だと言った。


そうしたこともあり、ちょうど出発のこの日が5日に1度市場が盛大になるファイブデイマーケットだと聞いていた僕は朝から午前中の時間を利用してカローの市場をゆっくりと散策し、遅めの時間に町を出た。


幹線道路に出て山々に囲まれた道を少し進むと、聞いていたとおりの「下り坂」が始まった。


「easy、easy♪」


僕は上機嫌でサドルから腰を上げ、立ちこぎの姿勢で余裕を見せて坂道を下っていた。


それがいつのまにか眉間に皺の寄った険しい表情に変わっていたことに、僕は自分自身しばらく気がつかなかった。


登り坂が登場したわけではない、下りだと聞いていた道は確かに下りだった。回転ペダルに力を注ぎこまなくても荷重と体重の付加によって自転車は自ずと坂道を下りながら、かつ目的地へと向けて進行していた。


しかし走り始めてから1時間、既にこの日2度目のパンクにみまわれた時、僕は夕刻までにターズィへ着くことが無理であることを悟った。


いかんせん、下り坂ではあれど、道路事情が悪いのだ。


舗装されている道路でも目は荒く穴だらけ、ゴツゴツとした石があちらこちらにとび出している。山間部の道は細く、にもかかわらず何台もの工事車両の大型トラックがほこりを巻き上げながら通過していく。穴ぼこだらけの道を避けて進むため、ブレーキをかけながら慎重に進み、トラックが通過するたびに道路脇ぎりぎりまで避けて待たなければならない。


ペダルをこがなくとも加速していくという本来最高の状況は、この日の僕のルートにとってむしろ邪魔になるものでしかなかった。「easy」なのは単に「下り」だという景観による判断と車両で通過したならば、という条件を伴った判定でしかなかったのだ。


ミャンマー 埃巻き上がる道


下りにもかかわらず、フラットな道をのんびりと走っていくよりも遅いスピードで進んでいた僕は、午後4時を過ぎた時点で1日の半分程度までしか消化できていないことを知り、愕然として道路脇に座りこんでうなだれた。

連なる山々の途中には道が平坦に続くところもあり、そうしたところには小さな村が存在していたが、ゲストハウスやホテルというものは皆無だった。


余裕綽々でファイブデイマーケットを散策してから遅い時間に出てきたことを後悔しそうにさえなる。


「野宿をするか、真夜中までかけて自転車を走らせるか・・」


そんな覚悟の二択をせざるを得ないことに苦笑しながら、通りかかった小さな村の売店に食料と水の調達を兼ねて休憩しようと立ち寄った。


何か食べ物とペットボトルの水はないかと尋ねる僕に、店の奥にいたおばさんは申し訳なさそうに


「ないんだよぉ・・」


と答えた。


売店でありながら腹の足しになりそうなものは何一つ店頭に置いていない。せいぜいいくつかの飴玉を詰め込んだ袋が、陳列されているというよりは散らばっているといった状態で売られているだけだった。


これからの状況に加えて、この店の貧相な様子まで見てますます気が滅入ってきた。


店の前に置かれていた木の椅子に座り、仕方なく非常食のつもりでバッグにしまっておいたビスケットを取りだして一口かじり、残っていたペットボトルの水をがぶがぶと飲み干した。


「はぁぁぁ・・・」


大きく伸びをして背もたれにもたれかかると、なんだか何もかもがどうでもよくなってきた。


売店は、この村では珍しく大きな、レンガで作られた2階建ての家の一階に構えられていてそこに家族が住み、広い敷地内には他に藁ぶき屋根の高床式家屋が2,3軒あり、ここにも同じようにして人々が住んでいた。あちらこちらの家から子供たちが出てきたかと思うと、別の家に入っていき、きゃぁきゃぁ言いながら出てきたかと思うとまた別の家にかけこんでいく。


こうした自由に出入りしている姿からすると、これまでラオスや他の国の小さな村でも見られたように、集落そのものが一つの家族といった感じで共同生活を営んでいるようだった。


そんな様子をぼぉっと眺めていたところ、かわいらしい小さな女の子が目の前にやってきて、木の実とプラスティック容器に入った一杯の水を差し出してくれた。


疲れて遠い目をしていた僕はふと我に返ったように、


「あ・・、チェーズ―ベー(笑)」


ありがとう、と言ったのだが、僕の一言が終わるか終わらないかのうちに女の子は恥ずかしそうに照れ笑いしながら家の中へタタタッと走って逃げていってしまった。


さっきまでそこら辺をかけまわっていた子供たちがいつのまにか、家の中からドア越しにこちらをうかがってはサッと隠れたりして、どこからともなく自転車でやってきた僕のことを気にかけている様子だった。



僕は風船がバッグにしまってあったのを思いだして、一つ取りだして膨らませてみせた。


「なになに・・?」


という感じでちょっと近づいてきた子供たちは、持っていた風船の口を離してぴゅーっと飛ばすと、びっくりしてまた家の中へ慌てて逃げていった。


「おいでおいで!!(笑)」


僕は新たな風船を取りだすと、子供たちに手招きをして呼んだ。


昨日、カローの町で風船屋のおじさんと仲良くなっていた僕は、この先、どこかで出会った子供たちと遊ぶときに使おうと風船の入った大袋をまるごと買わせてもらったのだ。膨らませると2メートルにもなる特大の風船。その翌日に早速こんな形で使うことになるとは思ってもみなかったが、ちょうどいい場面でもある。


子供たちの中の1人に一つ膨らませて渡してあげると、「僕のも!!」「あたしのも!!」といった感じで飛びついてくるようになった。


次から次へと風船を渡しているうち、気がつくと家の広い庭が人で溢れ返るほどになっていた。大人たちまで集まってきて、あの子にもやってくれ、この子にもやってくれ、と。


気がつけばどこから話を聞きつけたのか、村中から子供たちがこの家に集まってきて、収拾がつかないほどの大風船大会になっていた。


あまりにも大勢やってくるのでたまりかねたお母さんたちが


「はいはい、もう風船は終わりだよ!!売りきれ売りきれ!!さぁ帰った帰った!!」


という感じで、大声を張り上げながら次から次へとやってくる子供たちを追い返すほどだ。


100個くらいあった風船はあっという間になくなってしまった。


しかしことのほか、この村の皆が喜んでくれたおかげで僕は楽しいひとときが過ごせたことに満足していた。


ミャンマー イーボンソン村の光景


大風船大会が終わると、僕は家の中へ招かれた。


お茶をいただきながらさっき撮った写真を見せてあげていると、部屋の真ん中にどすんと腰を下ろしていたお父さんが僕にジェスチャー交じりで言った。


「今日は泊まっていきなさい」


野宿をするか、真夜中までかけて走るかの二択を迫られ、休憩がてら立ち寄ったこの村でもう開き直ったように遊んでいた僕にとってこの上なく最高の一言をいただき、そして僕はひょんなことからこの家族(トゥマナ一家)にお世話になることになった。


両手を合わせ、


「チェーズ―ティンバーデー。。」


ありがとうございます、と告げた直後には


「そうと決まったら遊ぼっ!!」


と言わんばかり、子供たちに手をぐいぐい引っ張られて外へ連れだされていた。


夕暮れ時、家では女性たちが夕食の準備にとりかかっていた。


庭でさんざん走りまわった後、今度は村の若い男衆と共に水浴びへ。


カローから山あいを抜けて行く途中にあるこの村はやはり標高も高く、大きな水がめに蓄えられた水を洗面器でジャバジャバとすくって体にかけるたびに悲鳴をあげるほどの寒さだった。しかし、ゲストハウスの水シャワーならものの3分で切り上げそうなその寒さも、毎日こうしてここで水浴びをすることが日課の村人たちと一緒になって頭や体を石鹸で泡立ててゴシゴシ洗っていると、寒さを通り越してこのわずかな時間がとても貴重なものに感じられた。


水浴びを終えて家の中へ戻ると、中央の丸テーブルに夕食が並べられていた。


「早く早く!!」


と手招きするお母さんや子供たちを前に、濡れた頭をタオルでゴシゴシ拭きながら僕は食卓を囲む席へ腰をおろした。


村での素朴な食事。


炊きたてのご飯に菜の花みたいなものの炒め物、煮物、暖かいスープ。


ラオスでの日々を思いだして、少し懐かしい気持ちがした。


ミャンマーを訪れて、今はまた新しい出会いの中でこうして素敵な人たちに囲まれて食事をさせてもらっていることが何よりも至福だった。



夜8時、近所の村人たちが次々と家に集まってきた。


何が始まるのかと不思議に思って見ていると、部屋の片隅に置かれていた一台のテレビが運び出されてきた。やってきた人々は皆、座敷の上に並んで座り、テレビの電源が入るのを待つ。


ざわざわとしていた家の中は、トゥマナ一家の長男ソードゥの「つけるよ!!」の一言で、まるで小さな映画館で上映開始のブザーが鳴らされた時のように、静かになった。


ここら周辺ではこの家にしかテレビというものがないのか、夜の決められた時間になると一斉に近所の人々が集まってきて皆でテレビ鑑賞会を開くことが日課のようだった。


テレビ画面には、大きな舞台が映し出され、そこで青い服を着た若い男と黄色い服を着た若い女性が少し早口の言葉で何やら掛けあいの漫才のようなことをしている。2人が何か言うたびに、それを見ている村人たちはゲラゲラ笑いながら楽しんでいる。日本でいうと「吉本新喜劇」でも見ているといった感じなのだろうか。


小さな子供から大人までその画面の中の舞台で展開される模様にかじりつきながら見入っている姿が、この村の日常風景をとてもよく表している気がしてなんだか嬉しくなった。


夜10時を過ぎた頃、テレビ鑑賞も終わって皆一斉にそれぞれの家へと帰っていく。


ミャンマー イーボンソン村の夜


ようやく静かになったところで寝る準備を始めるのかと思っていると、今度はトゥマナ一家のお父さん以外全員が外へ出て庭の薪を囲んで座り始めた。

大きな鍋が運ばれてきて中央に置かれると、お母さんたちが夕食の残り物やさらに具材を加えて「おじや」のようなものを作り始めたのだ。


「まだ寝なくて大丈夫かい?疲れてるんだから無理して合わせなくていいよ」


というようなことを言って気遣ってくれたけれど、僕が


「みんなと一緒にいたいんだ」


と告げると、


「そうかい。。じゃぁ座りな」


と言って薪を囲む席を一つ空けてわけてくれた。


ミャンマー イーボンソン村の夜


夜になり、外はだいぶ寒い。

それでも薪の火に手をかざし、皆が談笑しながらおじやの出来あがりを待っている時間、僕はずっと温かいものに包まれていた気がした。


出来あがったほくほくのおじやを一口、また一口と味わうたびに、幸せの香りが体中に広がっていく。


吐く息は白く、凍えそうな寒さのはずなのに、そんなことも忘れて僕は夜更けまでトゥマナ家の人々と語り合い、山あいの小さな村での一夜を過ごしたのだった。


ミャンマー イーボンソンの子供たち
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November 26, 2005

パラウン族の少女

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー カローの少女


その村はカローの町から連なる山々を抜け、歩いて3時間ほどかかる場所にある少数民族が暮らすとても小さな村だった。

僕とジョニーは始めのうち、ミャンマーの国の話やお互いの素性について話をしたり、ガイドらしく目の前に現われる景観や様々なものについて説明をしてもらったり、そして気がつくといつのまにかミャンマー人の女性と日本人の女性について、どこがいい、あそこがだめだ、などとくだらない男の談義で盛りあがるようになって、そんな調子で山々を抜けていった。


ところどころ休憩を入れ、水分補給をしながらゆっくりと進んでいった僕らであったが、ちょっとやそっとで気軽に着く場所ではない長い道のりに、次第に口数も減り、そのうち黙々と歩くようになっていた。


現地ガイドでこの道には慣れているはずだと思っていたジョニーも40過ぎのおやじの体力ではさすがにきついのか、数分ごとに


「おぉ・・、ちょっと待ってくれ。休憩、休憩・・」


と息切らせながらそう言って休むことが多くなっていた。


この辺の正直プロフェッショナルに欠ける部分は本来どうあるべきかは別にして、僕にとってはむしろ親近感があり、一緒にいて気楽で過ごしやすいものだった。


そしてもう一つ、ジョニーが疲れたにせよ、それが言葉の問題にせよ、あれこれと頑張って説明したり話しかけたりということをしないのは、これもまた僕にとって好都合だった。


見渡す限り山々の広がる景観は壮大で、空気は心の雑念まで浄化してくれるほど澄んでいた。


こうした場所ではあれこれと言葉を口にするよりも、黙って心と体でミャンマーの自然、その大いなる魂をいっぱいに感じている時間の方が僕は好きだったのだ。


そういう意味ではジョニーは僕にとって最高のパートナーだった。


途中の山沿いの細道ですれ違う民族の人々との挨拶、菜の花が一面に敷き詰められた彩り鮮やかな景観、次々と飽きさせない目的地までの道のりは僕にとってさほど辛いものでもなかった。


少し遠くに、山の斜面に沿うようにして集落が成っているのが見えた。


「おぉぉぉぉ・・」


こんな山奥に人々が生活しているという事実に思わず感嘆の声が漏れる。


最後の山を越え、少しずつ下っていくとしばらくして、さっきまで遠くに見えていたその集落に到着した。


「パラウン族だ。。」


とジョニーは言った。


お茶の栽培をしているのか、摘み取ったものを日干しにして何やら作業をしている女性、そのまわりでは子供たちがちょこまかと動き回っている。顔立ちが中国系ではあるが高地に住んでいて、常に澄んだ乾いた空気と寒冷な地域に身を置いているせいか、ほっぺがちょっと赤茶けたような、肌の見た目の質感もこれまでの子供たちとは少し違う気がした。


集落には学校もあり、こんな山奥の小さな村でも教育は行われていた。先生をやっているという女性たち3人に会ったがジョニーの話によると、彼女たちは地元ではなく大きな都市からこの村へ赴任してきて、この小さな学校で教壇に立っているのだという。


お茶と茶菓子でしばらく談笑した後、山の麓、一番下に位置する民家を訪れた。


大きな長屋の屋敷の中は広く、中は12畳ほどの部屋が6つほど繋がっていて、大きく見えるのは、敷居もなく全てが繋がっているせいだった。


ジョニーが何やら声をかけながら中へ入り、僕もその後をついておじゃまをする。


大人から子供までざっと30人ほどがその家の中では暮らしていた。


「ここでは、6つの家族が皆、一緒に生活をしているんだ」


そう聞いて、この家がやたらと長方形に長いことも部屋が一応線で区切られているわけも納得ができた。


この場所はトレッキングルートで立ち寄るお決まりの場所にもなっているようで、人々はスレてはいないものの、「訪れた観光客に織物を売る」という行為だけには慣れているようだった。


しばらく皆と戯れていた僕のところにも何か買わないか、と声はかかった。


ジョニーは


「買いたいものがあったら、買えばいいよ。なければ、無理する必要もない。。」


と言った。


僕はその言葉に従ったわけではないけれど、何も買わなかった。


これまでと違って「これはどうだ、あれはどうだ」と執拗に迫ってくる民族の人たちと違って、ただ子供たちと戯れるのを楽しんでいるだけの僕を笑いながら一緒になって楽しんでくれている時間がとても気持ちがよかった。


ミャンマー カロー パラウン族の家


1時間ほど経ち、ジョニーがそろそろ行こうと言った。


皆に別れを告げて家を出る。


山の麓、一番下まで下りてきた僕らは再び緩やかな傾斜で登っていく道を歩き始めた。



と、そこへ後ろをトコトコと付いて歩いてくる少女が1人。



さっきまで長屋の家にいた女の子の1人だった。


何だろうと思って近寄ってみると、少女は織物の布かばんを僕の前に左手をまっすぐにつき伸ばして出してきた。右手には女の子が運ぶにはちょっとばかり大変なほどたくさんの織物の詰まった大袋を持って。


「これ買って。。」


この子は家で僕が他の子供たちと笑いながら遊んでいるときも、1人笑顔を見せるわけでもなく黙ってこちらを見て座っていた。


「いくらなの?(笑)」


と試しに聞いた僕に彼女は笑いもせず、むしろちょっとうつむきかげんに答えた。


「4,000チャット・・」


「そっかぁ。。ごめんなぁ、お金ないんだ。またね。。」


僕はそう言って振り向き、また山道を歩き始めた。


しかし、すぐに帰っていくと思っていた少女はまた僕の後をトコトコついてくる。重そうな袋をなんとか持ち上げて、といった感じでふらふらしながら、そして何かつぶやきながら、後をついてくる。


「早く、おうち帰りなぁ。お母さんに怒られるよ。。」


日本語でそう言ったところで伝わるはずもないのだけれど、「ちょっと変わった子だな・・」などと思いながら僕はそう言ってさらに先へ歩く。


左へ折れる山道のカーブを曲がって姿が見えなくなった時、


「ちゃんと帰ったかな・・・」


と思って後ろを振り向くと、少しして、カーブから少女の姿がまた現われた。


「おいおい・・」


そう思って苦笑しながら僕がジョニーに


「ジョニー、まだあの子、着いてくるよ・・(苦笑)」


と言うと、少し前を歩いていたジョニーが後ろを振り返り、少女に向かって怒鳴りつけた。


「買わないんだから、早く家に帰れっ!!」


彼女は一瞬びくっとした感じで、歩くのをやめて立ち止まってしまった。


「そこまで怒鳴らなくても・・(苦笑)」


と思いながら、今にも泣いてしまいそうになっている少女を見てちょっと心が痛んだ。



そのまま再び歩き出した僕ら。



でもその時、僕の耳には、かすかな声が聞こえた。


それは小さな声で呟いた彼女の声。



「タッタァ・・・」



確かにそう聞こえた。


僕は少女が発したその言葉の意味を知っていた。


タッタァ、はビルマ語で「ばいばい」ってこと。


よけいな雑音など何一つない山奥の地で、清らかで澄んだ空気の流れに乗って少女のかすかな声が僕の耳に届いた。


僕は後ろを振り返った。


彼女はまだうつむきかげんだった顔を少し上げ、それから次に僕の顔を見てまた言った。


「タッタァ(ばいばい)。。」


僕も「たったぁ。。」とだけ返事だけをしてまた歩き出したのだが、それでも少女の声は止むどころか、距離が離れるにつれてどんどん大きくなってきた。


立ち止まってしまった自分から、離れていく僕との距離を埋めるように、なんとか声を届かせようと彼女は小さな体で精一杯の声を張り上げて叫ぶまでになっていた。


「たったぁぁぁぁ・・たったぁぁああ! たったあああ・・」


振り向くかどうかもわからない僕の背中に向かって彼女はずっと叫んでた。


ばいばーい・・、ばいばーい・・、って。


もうだいぶ遠く離れて、もう数十歩、足を進めたら声は完全に届かなくなるだろうという距離、それでも声を振り絞って叫んだ彼女の声が聞こえた時、僕はもう後ろに向かって走ってた。


少し前を歩いていたジョニーに走りながら言った。


「ジョニーっ!!先、行ってて!!」


僕は夢中で坂道をかけ下りていった。


それまで家でもほとんど声も発さず、ただ黙ってた女の子が一生懸命に叫んだのだ。精一杯の声で。


何も買わないよ、うちへ帰りな、って簡単にあしらうような僕に、彼女は何度も何度も「たったぁ!!たったぁ!!」って言い続けたのだ。


何のために?


自分は最高に嫌なやつだったはずなのに。



「届いたよ・・もう届いたから。たったぁ、なんて言わなくていいよ・・」



そう心の中で思いながら、僕は彼女のところへかけ寄って、息を切らせながら言った。


黙ってうつむいてしまった彼女に僕は言った。


「ごめん・・嘘ついてた。お金ないなんて。それ、4,000チャット?買うよ。買うから。。」


たった400円程度のもの・・。


本当に僕は嫌なやつだった。


なのに彼女はそんな嫌なやつが後ろを向いて歩き去ろうとしてるのに、もう姿さえ見えなくなろうとしてるのに、ずっと「たったぁ。たったぁ。」って言ってくれて。


僕はそんな少女の姿を無視してこの場所を去ることなんてできなかった。



もうだいぶ家からは遠く離れた山道の途中だった。


「さぁ、早くおうち帰りな。。」


彼女は伝わっているのかいないのか、やっぱりただ黙っていた。


僕は彼女から買ったワインレッド色の刺繍バッグを左手に握りしめ、彼女の頭を軽くぽんぽんとたたいて


「たったぁ。ばいばい。。」


と言い、再び歩き始めた。


静かに黙っていた彼女は、しばらくしてやっぱりまた同じように叫び始めた。


「たったあああ!!たったあああ!!」


僕は


「最後にしよう」


そう思って後ろを振り返った。


相変わらず笑顔こそないけれど、初めて、肩ごしの高さ、精一杯に手を振ってくれている、けなげな少女の姿がそこにはあった。


ミャンマー 道の途中
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