箱は空っぽになって 、もう何も新しい何かを入れる力もないようだったけど 、


底に一体化するようにかろうじて見つけたものは 、祝福だった 。


もともとパンドラの箱とは全く性質の違うもの(箱)だったとはいえ 、 


もはや必要なのは 、希望じゃない 。


底の声は 、祝福を望んでた 。










夕立 。神鳴り。

耳を傾ければ 、

神鳴りの音が 身体を 通過していく 。

雨の音も 通過していく 。

音は身体を 通過していく 。

私の身体自身の内側に 、神鳴りが鳴り響き、

雨が降り注ぎ 通過していく 。

雨鳴り止んだかな?蝉の声し始めた?と思う頃には、

気配から蝉の鳴き声が響きだし、

空が晴れていくのが 、

また通過していく 。

意識してなくても 、気づいてないつもりでも 、

あらゆる音や 現象は 、常に 身体の内側も通過していってるんだろうな 。








火の鳥の絵が、最近欲しい 。

口に、宝珠ならぬ水珠をくわえて上を向いて 、羽を広げてるのがいいな 。


あくまでイメージで何となく浮かんだものだけど、何で宝珠でなくて水の珠なのかなと思ったら、

その火の鳥はくちばしから水珠をこぼし、水珠はそのまま土に溶けてしまった。

火の鳥自身も、燃えることなく枯れて朽ちて地に還ってしまった。

あれあれ!?と思っていたら、土に還ったところから、新芽が出て開いた双葉から火の鳥が空に向かって飛び立っていった。

その姿は火の鳥のようではなかったかもしれない。なんだったら、植物の緑のようだったかも知れないけれど、火の鳥だと思った。


火の鳥っぽくないその様に、

もしかして火と水のバランスや

繋がりの再生の意味があるのではと思った。








あけましておめでとうございます。

今年は、新年の挨拶用に準備したい写真や挨拶文もあったのですが、物事の流れのほうの早さを前に、

以前から書きたかったけれどまとめきれずにいたことが、現れた(大げさですが、この表現がしっくりきます)ので、先ずはそちらを挨拶とさせていただきます。
おつきあいいただければ幸いです。

……………………………

羽根 ( は、と 、ね )

"は" と いう音には 、物事の先端という意味があるらしい 。

植物の先端にあるのは、葉(は) 。口の中の先端にあるのは、歯(は) 。刀の先端にあるのが刃(は) 。

"ね"という音には 、もと(元)という意味があるらしい 。
植物のもと(元)にあるのが、根 。争いや物事の、ね(根)となるというとき、ね(根)をもと(元)と言い換えることもできる 。山の頂上を高嶺(たか ね)などともいう。
余談になるけれど、山の頂上は山のね(嶺
)というのは、なるほど高い山の頂上も、もと(元)はそこから始まったというのに、山の根元(ねもと)は麓だと当たり前に思っていたことに気づく 。

" は ね " という音(おん)から 、その ことば を おもう 時 、

その " は ね" は 、もと(元、ね)からは先端(は)まで、 行き来できる"羽根" で 、
自由を象徴するような"はね"は 、そういう意味があるのではと思ってしまう。







(さんずい


・ある本の書評を読んだ。その書評を読んでから、その本の作者の名の一部にある "の文字に目が入ってはっとした 

(さんずい、水 去る 

   、水  去る だった 


鴨長明の、「ゆく川の水は絶えずしてされどもとの水にあらず」を思いだした 



・別の話し。 脈略なく泣きたくなることがある 

(さんずい、水) 立つ 

 泣くは   立つ  だった 

 そうか(そういうことか 、水の中に立つバランスをおもった 


余談。立つを変換しようとして、辰  出てきた 

   。竜は水と縁が深い 

来年は、辰年 。年女