イーフー・トゥアンさんの『空間の経験』を久しぶりに読んだ。読み返しにもかかわらず私には鮮度の落ちない本だ。
こんな一節があった。東京の街はもちろん、北京の繁華街や胡同を歩いていて記憶の奥から不意に頭をもたげる一節である。いささか長いがここに書きとめておきたい。
都市は、昔から同じところにあるというだけで歴史的になるのではない。過去のいろいろな出来事
は、生きている伝統の一部と目されている歴史書、記念建造物、野外行列、聖俗両方の祝祭のなか
で記憶されていなければ、現代に影響をあたえることはできないのである。古い都市は、代々の市民
たちが場所のイメージを保持し再創造していくための手がかりとすることのできる様々な事実を豊か
に蓄えている。市民たちは、自分たちの過去に自信をもっているので、穏やかな口調で話をし、自分
たちの町に対して敬意を払う仕事を上品な方法で進めてゆくことができる。
反対に、北アメリカの辺境の開拓地に誕生したような新しい都市には尊重すべき過去がないために、
市の指導者たちは、事業を誘致し、誇りを高めようとして声高に話をするのである。あくどいまでの熱
狂的な宣伝をすることは、印象的なイメージをつくりだすために過去に用いられていたテクニックでも
あるし、現在でも、規模は小さくなっているが同じテクニックが用いられている。熱狂的な宣伝者は、
自分たちの都市の歴史や文化を自慢することはまずできなかったので、「もっとも中心に位置してい
る」「最大の」「もっとも高い」といった抽象的な幾何学的な卓越性を強調する傾向があった。このよう
な熱狂的な宣伝は、今日ではアメリカの伝統の一部になっており、ポップアート風の装いをまとって
実践されているのである。
本書は1988年、筑摩書房から出されたもの。原題は『Space and Place』である。私は1995年に読んだ。今から20年前ということになる。
日本や中国の「都市」についてあれこれ考えさせてくれる。
たとえば日本及び中国の「都市」が、上の「古い都市」に該当するものなのか、それとも「新しい都市」に当てはまるものなのか、考えることしばし。
いずれにしても私には私自身が思考停止しないための刺激を与えてくれる一冊になっている。
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