神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

11 庵谷トンネル(P14)

 

 
 細入村の中央に屏風のように立つ庵谷峠は南北の交通を妨げ、生活圏も猪谷地区と楡原地区に分かれていた。そこに昭和二八年(一九五三)一〇月からトンネル工事が始まった。長さ九七一メートルの直線のトンネルで貫くもので、庵谷側は前田建設が片掛側は佐藤工業によってなされ、昭和三二年(一九五七)五月に完成した。当時の日本では長さが五番目のトンネルだった。
 付帯工事に一年を要し昭和三三年(一九五八)からは交通は一変した。四〇分の峠越えがわずか二~三分で通れるようになったのである。新トンネルの完成で、今はコンクリートで入口が塞がれ、その上に瓦礫が載って今は見ることができない。
「細入村史」

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

10 新庵谷大橋(P13)

 



 昭和六十年(一九八五)から国道四一号線庵谷トンネル口に、延長一七七メートルの緩いカーブを描く大橋の建設が始まった。この橋は昭和六二年(一九八七)に完成し、新庵谷大橋と命名された。この箇所は、以前はトンネルの出口で大きく急カーブしており、危険な場所であった。新庵谷大橋の完成によって、四一号線の難所が一つ解消したことになる。
「細入村史」

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

 

9 フェーン現象と大火(P12)
  
 昭和二二年(一九四七)四月一日、国鉄踏切より下の家二五戸が焼失した。原因は高山線の汽車から燃焼中の石炭が転がり落ち茅葺き屋根に火がついたことによる。フェーンの南風が大谷川から吹いていて火勢を強め大火になった。国鉄から見舞金を受け、その後この辺りは新築家屋が並び建った。                  
「細入村史」参照

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

 

8 庵谷小学校跡(プール付近)(P11)

 

 

 
 赤座家で寺子屋が開かれていたが、明治一一年(一八七八)に楡原小の分校となり、明治二〇年(一八八七)に簡易小学校として独立した。明治二七年(一八九四)に尋常小学校となり、明治三四年に再び楡原小の分校となり、大正一二年(一九二三)に楡原小に統合した。         
「細入村史」

『庵谷の史跡・見学ポイント』

 

7 旧役場跡(浅野宅)(P10)

 

 


 

 細入村が明治二二年(一八八九)に発足し、平成元年(一九八九)四月一日に百周年を迎えた。役場が明治二二年(一八八九)から昭和一一年(一九三六)まで現在の浅野豊一宅にあったが、高山線の駅が庵谷にできなかったことから、交通の便と広い土地を考えて楡原に移転した。    「細入村史」