ほんとうは、福岡の海が よかった。
青く澄んだ海に、沈みたかった。
「大丈夫ですか」
不意に、そんな声がした。背後からか、上からか、わからずに。
「あ、大丈夫です。すみません」
反射で謝り、頭を下げた。
「家はどこですか」
その人は言った。
わたしの「家」は、もう、ない。 今現在の、家、は。
「品川シーサイド、です」
居候先である、姉の家の場所を、答えていた。
「帰りましょう。 家に、帰りましょう」
その人が言った。
何を、言われているのか、わからずに。
「あ、の」
涙がこぼれた。
「帰りましょう」
その人が、私の手を引いた。
酔って ふわふわした頭で、数歩 歩いて、振り返る。
残りのワインが入ったコンビニ袋が、歩道の端でぽつんと、風になびいていた。
「お酒は僕が始末しときますから」
手をひかれて、涙があふれた。
助けて、くれるのか。
見ず知らずの私を、この人は、助けてくれるのか。
大都会、トーキョー。
自転車に乗った警察官が、何人もの人が、私の後ろを通り過ぎて行ったというのに。
この人は、助けてくれるのか。
「失礼します」
一声のあと、抱きしめられた。
「大丈夫。 大丈夫です。
僕もね、同じ経験あります。だから、大丈夫です。
この先、必ず、いいことありますから。生きててよかったって、思えるときが来ます」
私はその人に、すがった。
助けて。助けて。
声を上げて泣いた。
その人は、鈴木さん、と名乗った。
手をひかれて、タクシー乗り場まで、並んで歩いた。
―― 鈴木さんは 何歳ですか。
―― 34です。
―― 私は、29です。鈴木さんは、いくつのとき、希望が 見えるように、なりましたか。
―― 僕は、まだ、真っ暗です。
その答えは、私への配慮だったのかもしれない。
それでも、わたしはひとりじゃないのだと、思えた。
鈴木さんがくれた言葉を、いまでも、おぼえている。
―― つないだ手が、あったかいでしょう。生きてるんですよ。
―― カバンに、イヤホン入ってますね。音楽を、聞くんでしょう。誰が好きですか。
* * *
鈴木さんが助けてくれた あのときから ずいぶん経ちました。
泣きながら 揺れながら
生きてて良かった、って
はっきり思える日は、まだ ないけれど、
それでも 満開の桜の下で、お弁当を 食べました。
空がきれいで、日差しがあたたかくて、嬉しいなと、思いました。
同僚との話が おもしろくて、 たくさん 笑いました。
鈴木さん。
世界は 今日も 綺麗です。
―― つないだ手が、あったかいでしょう。生きてるんですよ。
―― カバンに、イヤホン入ってますね。音楽を、聞くんでしょう。誰が好きですか。
* * *
鈴木さんが助けてくれた あのときから ずいぶん経ちました。
泣きながら 揺れながら
生きてて良かった、って
はっきり思える日は、まだ ないけれど、
それでも 満開の桜の下で、お弁当を 食べました。
空がきれいで、日差しがあたたかくて、嬉しいなと、思いました。
同僚との話が おもしろくて、 たくさん 笑いました。
鈴木さん。
世界は 今日も 綺麗です。