参加しなかった回のBeトレ
『劣等感の克服』のDVDを昨日、やっと見ました。

ぢんさんのセミナーに2日連続で
参加してきたあとの昨日に見たということは

これもきっと、タイミングメッセージ。

その2日間に
ひとつだけ、もやもやを抱えて
帰ってきたわたしに気づきをもらえました。

あなたの
ほんとうはしあわせでありたいをサポートします
心屋流カウンセラー知房直美(ちぼうなおみ)です♪

ただいま
です♪


『どうせ、愛されてる』


わたしは親から愛されてること
ちゃんと知ってました。

それでも
うちの親はとっても厳しかったです。


わたしが言うこと聞かないとき
わたしがやっちゃいけないことをしたとき

おしりをひん剥かれ腫れ上がるほど叩かれたり
手足を押さえ込まれて「やいと」をされたり

家から締め出されて鍵をかけられ
「出て行け」と「帰ってこなくていい」と言われたり

家庭訪問で先生に
「悪いことしたら叩いてやってください」
と”悪い子前提”で言われたりもしました。


全部『おまえのため』と言われてましたし
『お前が可愛くないから怒るんじゃない』
って言われて叱られたあとで抱きしめてもらえました

だから
おかあさんはわたしを愛してると知ってました。

なのにわたしはずっとしんどかったんです。


『劣等感を克服する』での
羽林ゆずさんのお話によると

こどもは小さければ小さいほど
好きとか嫌いという分け方
いいか悪いか正しいか間違ってるか
二者択一の関わりかたや考え方しかできないそうです。


小さすぎたわたしは叱られるたびに

『おまえのため』
『お前が可愛くないから怒るんじゃない』

そういう母は『愛するひと』(正しい)で
そう言われながら叱られるわたしは
『愛されないひと』(間違ってるから)と

そんな過程で
どうせ、愛されてると思いながら

わたしが間違うから

『愛されないひとなんだ』
だから『ダメなんだ』『悪い子なんだ』と
思い込んでしまったみたいです


それが歪んで歪んで
おかあさんは愛してくれてるのに
わたしは愛されないことばっかりする

おかあさんがかわいそう!

の根っこの根っこはこれだったのかも知れない。


その証拠集めが
母の生き方だったり母に言われた言葉だったりで

その前提はわたしのせいで。


なので、おかあさんのために
『愛されるわたし』でいたいために
正解探しをして生きてきたので苦しかった。

間違うたびに
だから愛されないわたしが強化された



どうせ愛されてるがわかっているのに
どうせ愛されてるがわかってきだしたのに

それでもしんどいのは

「ありかた」という『Be』でなくて
「やりかた」や「愛されかた」という『Do』
前提を置いているのかも知れません。

どうせ愛されてるという前提でなく
どうせ愛されてると思うような『Do』に。

『Do』前提を置くと

じぶんや他人の
間違ってるか正しいかという
言葉や行動ありきになってしまって

どうせ愛されてるは
そもそもじぶんの前提ではなく評価次第になる

それでは前提は揺れて当然なのですね



結果や証拠は集めなくても前提についてくる

どうせ愛されてるんだから

どんどん間違っていい
どんどん失敗していい

ぢんさんにそう言われてたのに
それでも結果や証拠に囚われていて

どうせ愛されてるを疑うわたしでした。


「やりかた」が違うのと
「ありかた」が違うは=じゃない

それが自分らしさ。そのひとらしさ。

わたしはわたしだから素晴らしい

そう思うことをただ決心したら
わたしだからという理由で
東京からわざわざわたしの個人セッションを
受けにきてくださるというお申し込がありました。

どうもありがとう♪



もうわたしは
わたしはわたしだから素晴らしい
周りの雑音に左右されずに、素直に受け入れて

この前提ありきで安心して
悩んだり、迷ったり、間違ったりしたいと思います




今日は大阪でのオープンカウンセリングです

そんな証拠は探さなくてもたくさんあるよ
「ない」と思ってるだけで「ある」んだよ♪

どうせ、愛されてるから。

そんな気づきを得るきっかけになれば
いいなーって思っています

お越しくださるみなさま
お気を付けてお越し下さいませ♪