それは実習での出来事だった。
僕は重度の知的障害者が入所する知的障害者更生施設に実習に行った。
自分で実習先が見つけられなかった事もあったが、学校から実習先に重度の知的障害者が入所する知的障害者更生施設を紹介された時は、即答で「それでお願いします」と答えてしまった。
僕にはある疑問があった。それまでの僕の人生の中で、確かにいろいろなマイノリティーの方々との出会いがあった。アイヌ民族、被爆者二世、在日韓国人、身体障害者、脳性まひの障害者、精神障害者、認知症の方(マイノリティーでは無いですが)等、そのほかにもたくさんの出会いがあり僕の人生は豊かになったと思っています。だから、手や足が無いくても僕と同じ人間だ。寝たきりであっても意志確認ができるのなら人間だよ。年取って認知症になっても当然その人は人間だ。そう考えることができた。
しかし、人間としての感情や人格を持って生まれたかどうかわからない人達を僕は人間として認識できるのだろうか、ぶちゃけた話、感覚的に犬や猫と区別がつくだろうかと感じていたからだ。
その疑問があったので即答してしまったのだ。
実習先の施設は「心のケア」に力を入れている事で全国的にも有名な施設で、いろいろなカウンセリングや心理療法を取りいれたケアを実践している。
その中で僕が参加させてもらったセクションは「抱っこ法」と言われる心理療法で、スキンシップを取りながらファシリテイテット・コミュニケーションで自閉症者の意志を探っていくと言うものだった。
そのセクションが始まって確か三人目の方で、最重度の自閉症者のAさんがその場に介護者に連れられて来た時、正直「エェ、この人、人間として生きている意識無いじゃないの?」心の中でそうつぶやいてしまった。
言葉が話せないのはもちろんだが、人間としての感情のある表情が全く無い、目線も何の意味も無く動いている。この人とコミュニケーションを交わすなんて出来るわけないだろうと思いながら、そのセクションは始まった。以下はAさんが僕たちと一緒に書いた文章です。
「かくのはいつもうれしいです。いっしょにいてくれるのがきもちいいです。
(いつもほといてしまう様になっている事を謝ると)
しかたない。めいわくをかけてもみんなやさしいんです。
(Aさんは迷惑なんてかけていないよ。と伝えると)
いや、ぼくたちはいろいろじぶんひとりじゃできないことばかりだから、めいわくかけていきてきて、ぼくはもうしわけないとおもっています。
まわりのひとは、そんなぼくにいつもあたたかくせっしてくれて、ぼくはかんしゃしていきています。
めいわくかけてないかしんぱいです。
(職員に、こういうふうにして欲しい事って有るかどうか聞くと)
いっぱいあります。でも、みんないしょうけんやっているのがわかるから、しかたないとおもっています。
(これだけは!というものを挙げるならばと聞くと)
めいわくかけているからいいにくいけど、ひとついうなら、もっとはなしがしたい。
こえもかけられないかんじで、それがつならない。
いっしょになにかしたいです。(楽しみたいという感じ)
そばにいてくれたらいろいろやりたいことがでてくるとおもうけど、
そばにいてもらえないと、なにもやるきにならない。
いっしょにいてほしいって、ぼくはいつもそうおもっています。
いやです。いやですけど、しかたないっていいきかせています。
ぼくのきもちをいって、みんなをいつもこまらせるのではないか、めいわくじゃないかってしんぱいです。
ぼくは、ぼくでいいのかじしんがなくなるときがあります。
そばにいてほしいときがあります。
たすけてほしいときがあります。
(そばにいて欲しい時にAさんは、Aさんなりにどうにかして伝えれる?と聞くと)
いえない。めいわくかけちゃいけない。めいわくかけたくないんです。
(逆にこちらから、思い当たるAさんが自分で無い時を言ってみると)
そうです。
いつもかんしゃしています。のんびりさせてくれてありがとう。」
セクションが終わったとき、とてつもなく衝撃が走った。この人たちは、感情は人として生を受けたにもかかわらず。他者とのコミュニケーションが取れない、体や脳で生まれた人達なんだ。
僕は3日も人と話さなかったら気が狂いそうになってくる。それが、この人たちは、生まれてから死ぬまでそんな状態で生きなければいけない運命を背負っている。
僕は、自分の事を、社会や人間の理不尽さを少しは感じれる奴だと自惚れていたが、この人たちに対して僕はなんと理不尽な人間だったんだろう。
涙があふれて止まらなかった。セクションが終わる時、Aさんは僕の頬の涙を拭こうと僕の頬に手を差し伸べてくれていた。