前回、久々に(半年ぶりくらい)
ブログ独白できたのは、
(現在は別に暮らしている)父の手術待ちで、
無機質な病棟で人々が行き交う中、
手持ち無沙汰だったからだ。

ここ半年、一人空虚になり
思案する事は多くても、
中々ブログを開く気には
なれないでいた。
(書き連ねるだけのブログ独白にも
それなりの、前向きな気力・精神が
必要だったということか。)

でも、病棟での待ち時間、
仕事をするでもなく、
休息を取れるわけでもない、
この非生産的な時間を
有効活用したい気持ちから、
今の停滞によどむ自分を
独白として記しておきたくなった。

なんだかまた(いつものごとくか)
前置きが長くなったけど、
つまりは、気持ちや行動なんて
何かのきっかけで
案外あっさり切り替える事が
できるんだなぁと再認識したという事。

何らかのきっかけ。

なんだか漠然とした表現だけど、
こと私自身の拒食症においては
その発生においても治療においても
重要なカギとなる。

例えば、拒食症の発症は、
私の場合、ダイエットの延長線上に、と
いうのではなく、
拒食症発症のきっかけが
ダイエットだったといえる。
思春期少女らしい想いから
始めたダイエットの成果で、
これまでにない満足感と充実感、優越感を
覚えてしまった。
それまでの潜在化していた抑圧や
不安や孤独感が解消されたかのような錯覚も。

多分、不安定な気持ちの代償行為として、
容易に何かに没頭しやすい精神状態
だったのだろう(もともとマニアックだったし…)。
ダイエットは拒食症という代償行為にはまる
きっかけだったのだ。

急性期が過ぎて、自分が納得し許可した
食物だけ摂るようになったのも、
何かのテレビで脳細胞の破綻などを観て、
急に怖くなったのがきっかけ。
脳細胞、つまり思考能力を維持する
程度の栄養は摂らないと!と、
それまでは断じて摂ってはならなかった
デザートヨーグルトやパン2個など
摂ることを許したりした。
(周囲からの指示は拒否していたので、
治療・治癒には向かわなかったけど。)

最近でいえば、去年の2月、
精神的にダメージの大きい事故を
おこした事も自己覚醒のきっかけ。
周囲の心配も身にしみた為、
それに報いるためにも
このままじゃいけない、と
初めて思えた。

時を同じくして、新刊の拒食症自叙伝の
ようなものを見かけて、
「同じように苦しんでいる人達もいる、
そしてこのままじゃどこまでいっても
充たされないんだ」、と思ったことも、
自己洞察のブログ独白を始めたきっかけ。

去年のきっかけからは、
多分しつこく独白していたと思うけど、
食べ物の噛み吐き(チューイングと
言われているけど)をピタっと止められ、
精神的に苦悩しようが停滞によどもうが、
今も再発していない。
全く、したいとも思わない。
噛み吐きのための時間を捻出しなくて
よくなったし、買い物もラクになった。
何より、見苦しいあの姿、あの残飯(?)を
処理する姿を晒していないだけでも、
社会人としては全う(まっとう)に
近づいたような気もする。

でも、それだけ。

炭水化物中心に食べてはいるが、
体重維持や種類・量制限は
頭のどこかにロックされている。

母からの抑圧・母への不信感、
逆に渇望、なども結局は解消されなかった。
自分の中だけで母を理解し、納得しようとしても、
それは解決にならないのだ。
拒食症においては(その他の病気でも同じか)、
周囲のカギとなる人達と話し合う事、理解し合う事、
支えあえる事が治療・治癒への大原則だから。

そして私はそれ以降
何ら前進させる事もできず
立ち止まったままになってしまった。

前回、周囲の拒食症への関わりを
拒否し続けてきた私だが、
専門の期間に心身をゆだねるのも
いいのかもしれない、
いや、その必要があるのかもしれない、
と連ねたが、これも停滞期に独白しながら
独白したことをきっかけに
思えた事だ。

拒食症の根治には、
先述の周囲の支援もそうだけど、
まずは自身が、
治したい!、治さないといけない!と
強く思う事が必須だ。

周囲に説得されても、
専門機関で治療を受けても、
自身が周囲の言う「普通」に戻る必要性を
感じていなければ、
その場しのぎの従順さやウソですり抜け、
結局、本人自身の症状も精神的問題も
解決されないからだ。

生命の危機を除けば、
無理やりの専門機関受診に
成果は期待できないと思う。
でも、受診が新たな出会いや気付き、
もしくは周囲(家族)の良い意識変換に
つながったりして(適切な支援の強化)、
本人の治療動機のきっかけになりうる
場合もあるので、
一概には言えないが。

だから、もう本当に、
10代でも20代でもない、
どんだけかかってんだ、って
感じだけど、
人にゆだねられる気持ちになれた今も
私にとっては大きなきっかけの時期。

父にも、久しぶりに
「もうちっと食べないとな…」
と言われたときも、
以前だったら、
「仕事しなくちゃいけないし、
食べているよ。体重も減ってないよ」などと
ごまかしたし、そう思い込んでもいたけど、
その時は、
「うん、ご飯とかフランスパンは
食べてるけど、外食でも何でも
食べれるわけじゃないからね。
もうちょっと食べられるようにして
いきたいとは思ってる」と、
すんなりといえた。

家族はわかっているけど、
話題にするのはタブーみたいな
ところがあったから、
他愛ないやり取りだけど、
パンドラの隙間を開いたような対話だった。

衝撃的なきっかけでも、
なんのことはないきっかけでも、
なんでもいい。

熟考しても、決心しても
乗り越えられなかった壁が
きっかけ一つで乗り越えられたりする。
案ずるより産むが易しの感覚だろうか。

私は停滞のよどみから、
少し顔を挙げられただけかもしれないけど。
気分的には少しラク。

私は今からこのきっかけを活かせるのだろうか。

歩みは遅すぎるが、
今までの人生、無駄に過ごしてきたとは
思っていない。
私なりの課題を抱えて働いてきたから。
これからも抱えていくのだ。あ~ぁ汗星空