宮城から東日本大震災体験記 | ふるすいんぐ・ふるしょっと!!

皆様、ただいまです。大変ご心配をおかけしました。

予想より早く、パソコンが復旧できました。



2011年3月11日 午後2:46

マグニチュード9.0、震度6強(当地域)の地震が宮城県沖で発生。

東北地方の太平洋側を中心に甚大な被害をもたらした今回の「東日本大震災」。



今回の災害にあたり、皆様からのメッセージやコメントにどれほど励まされたことか・・正直書き表せません。


アメンバーさんの、「うさちゃん&とらくん 」さん、「kouki 」さんを中心に、「mirohi 」さん、「バーディー刑事 」さん、「Lは左 」さん、その他、大勢の方々にブログを通じて呼びかけて頂いていたことを知り、本当に涙が止まりませんでした。

※ここに記載できなかった方々、大変申し訳ありません。


ブログを始めて間もなく、まして名前や素性・顔も知らない上に、いつも馬鹿な記事ばかり書いてる自分に、これほどまでにご心配やご声援を頂けたこと、“出会い”や“繋がり”の素晴らしさに身が震える思いです。


今回、読者登録してくださった方々、メッセージをくださった方々、コメントをくださった方々、後ほど必ず伺わせて頂きますので、今暫くの失礼、ご理解ください。

そしてこれからも変わらないお付き合いを願えれば、ありがたいです。


皆様、本当に本当にありがとうございました。



今回の大震災・・自分の苦労自慢をする気はありません。


皆さんには、自分が宮城という被災地にいることによって発信できる状況を見て、天災の驚異や、今後起こりうるであろう災害に対しての認識を今一度、再確認して頂ければとの思いから、自分が住む地域の被害状況を載せることにしました。

 ふるすいんぐ・ふるしょっと! !   ふるすいんぐ・ふるしょっと! !
宮城は地震王国です。

30数年前の「宮城県沖地震」でも甚大な被害がでました。

ここ数年、「いつそれに匹敵する地震がきてもおかしくない」、という情報が県民にあったにもかかわらずの今回の被害規模。

いつしか災害に対する認識や備えが希薄だったことも自分自身否定できません。

皆様には、こういった思いをされませんよう、起きてしまった災害に対しては最小限の被害で済みますよう、自分の拙いブログを通して考えていただければありがたく思います。




自分の高校時代からの友人が亡くなりました・・。


隣に住む後輩は、両親と奥さん、子供二人が津波で亡くなり、一人きりになりました・・。


その他、多くの知人たちが命を落としました・・・。


“平穏な日常”というものが、どれだけありがたいものかを身をもって知りました。

電気やガスの重要さ・・・水や食料の有り難さ・・・家族や友人の大切さ・・・そして・・人を思いやり助け合うことの素晴らしさを・・・。

               ふるすいんぐ・ふるしょっと! !

ニュースでご存知の通り、いまだ被災地では何万人もの方々が、避難所生活を余儀なくされており、余震や原発問題、ライフラインの復旧作業や物資不足なども含め、完全復興にはほど遠い状態です。

国内のみならず世界中の方々から協力を頂いてる今、自分たちも甘えることなく、現況を好転させるべく復興に向け努力をしなければなりません。



被災の中においては、明るいニュースもありました。(遺族の方々には恐縮ですが)

避難所や病院で、多くの命も誕生しております。亡くなられた方々の分まで健やかに育ってほしいと・・。

今回の東日本大震災、決して「天罰」などではありませんから。


政府や行政、自治体、マスコミ関連の方々には、可能な限りの正確な情報と対応を切に願います。



被災地域外の皆様には、計画停電をはじめ、義援金や援助物資の協力、海外も含めた救助隊員の方々の活躍、ボランティアに従事くださっている方々の献身的な活動、その他今回の震災に関わってくださっているすべての方々へ、心から感謝致します。





最後に・・

今回の震災にあたり、ご家族や友人・知人を亡くされた方々へ、故人の心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

また、行方不明者の生存を信じて待っている方々、避難所で不便な生活を強いられている方々、原発の影響で避難を余儀なくされた福島の方々、一昨日の静岡での地震で被災にあわれた方々(うさちゃん、大丈夫でしょうか?)へ、お見舞い申し上げるとともに、一人でも多くの尊い命が救われ、一日も早く平穏な日常を取り戻すことができますよう、お互いに努力・協力して頑張っていきましょう。




     

                  “不安な思い”や“抱えた悲しみ”に優劣はありません・・


                       “命の尊さ”に順番や重さもありません・・





              この試練を乗り越えたとき、必ずや明るく輝ける未来がくることを胸に・・

       

      そして今回の災害によって流された涙が、いつか“笑顔”という花を育て、咲かすことを信じて・・桜**        

          


                                                    2011/3/17 TK