表現するのは、怖いですか?
以前のわたしは、自分の思いを自由に表現することが
めちゃくちゃ怖かったのです。
幼いころから、人の思いや期待を自然に察知できて
目の前の人がどうしてほしいか、なんとなくわかってた。
・・・というか、みんなそうだと思ってた!!
だから、無意識に、いつの間にか・・・なんだけど
自分がほんとうに伝えたいこと
よりも、
目の前の人が、期待しているであろうこと
や
この場では、こう言ったほうが相手が喜びそうなこと
を発するのが、日常になってしまってた。
だって相手が喜んでくれるから、それはいいことなんだと思ってた。
けど
ねぇ。ゆきちゃんは、どう思うの?
と、聞かれたときに、思ったことがすっと出てこない。
えーと。この場では、なんて答えるのが正解なんだろうか?
と考えてから、口に出していた。
わたしは、こう思うの!
わたし、これ だいすき!!
わたし、それキライ!
そう、はっきりと言い切るのが怖くて
・・・だって、それは相手の期待とは違うことが多いから
笑ってごまかしたり、曖昧な表現ばかりしてきた。
今のわたしを知る人からはびっくりされるけど
わたしは無意識に、ほんの数年前までずっと
そんな表現をして生きてきた。
以前、☆この記事でも紹介した、森の歌姫Ranaちゃんは
ほんとうにピュアでのびやかな美しい声で、うたをうたう。
コズミック・ヴォイス・ヒーリングのグループワークで
聞いた、彼女の自己紹介。
子どものころ、カエルやお花やお空に向かってうたっていた
だいすきな歌が、音楽学校にいって「歌い方」をならったとたん
うたえなくなってしまったという。
それからいろんな経験を経て、やっぱりうたが好きだったんだ!と
自分自身に戻っていくんだけど、人の前でうたうのはずっと怖かったらしい。
わたしは、その話を聞きながら、涙が出た。
わたしも、上手には描けない・・・と思ってから、絵が描けなくなった。
いろんなことを考えすぎて、素直に表現できなくなった。
型にはまったことをするのが、どうしても楽しいと思えない
型にはまり切れない自分を、ずっとダメだと思ってきた。
誰かのせいじゃない。
自分で、自分の可能性をあきらめてしまってたんだ。
そして長い長い旅を終えて、やっと自分自身に戻ってきた。
これは、Ranaちゃんが持ってきてくれた楽器たち。
味わい深い表情で、自然と手に取ってみたくなる。
なんの合図もしなくても、みんな思い思いに手に取って
楽器をならして音色を楽しんでいる。
みんな、みーんな、笑顔!
夢中で、その音色に耳を澄ましている。
音を 楽しむ=音楽、そのもの。
心地よいと感じる音を出す。
自分という楽器を使って、声を出す。
誰もなにも指示しなくても、コントロールなんてしなくても、
自分の発する音を聞いて、響きを聞いて、
自然に調和が生まれる。
上手かどうか、合ってるかどうかなんて考えずに
心地よさをたよりに、声を響かせ、身体を揺らして
わたしたちは、自然とチューニングする力を持っている。
すごいすごい!!
なんて気持ちいい響き!
ずーっとこうしていたい。
あまりに心地よくて、あっという間の時間だったけど
それから、わたしは家に帰ってもずーっとうたを口ずさんでる。
目が覚めてから眠るまで、気づいたら、メロディーが湧いてくる。
あぁ。わたしってば、こんなにもうたうの好きだったんだ!!
表現への怖れを解き放って、自分自身を世界に差し出す。
思い切ってやってみたら、世界は、想像以上にやさしかった♡
ほんとうに、自分の好きなように表現していいんだなって、
またひとつ、自由の扉が開きました。
Ranaちゃんとコラボしたいなぁ♡
春になったら、久住の森deセラピーも実現するかもです♪
どうぞお楽しみに♡
■かねがえゆき 提供メニュー■
以前のわたしは、自分の思いを自由に表現することが
めちゃくちゃ怖かったのです。
幼いころから、人の思いや期待を自然に察知できて
目の前の人がどうしてほしいか、なんとなくわかってた。
・・・というか、みんなそうだと思ってた!!
だから、無意識に、いつの間にか・・・なんだけど
自分がほんとうに伝えたいこと
よりも、
目の前の人が、期待しているであろうこと
や
この場では、こう言ったほうが相手が喜びそうなこと
を発するのが、日常になってしまってた。
だって相手が喜んでくれるから、それはいいことなんだと思ってた。
けど
ねぇ。ゆきちゃんは、どう思うの?
と、聞かれたときに、思ったことがすっと出てこない。
えーと。この場では、なんて答えるのが正解なんだろうか?
と考えてから、口に出していた。
わたしは、こう思うの!
わたし、これ だいすき!!
わたし、それキライ!
そう、はっきりと言い切るのが怖くて
・・・だって、それは相手の期待とは違うことが多いから
笑ってごまかしたり、曖昧な表現ばかりしてきた。
今のわたしを知る人からはびっくりされるけど
わたしは無意識に、ほんの数年前までずっと
そんな表現をして生きてきた。
以前、☆この記事でも紹介した、森の歌姫Ranaちゃんは
ほんとうにピュアでのびやかな美しい声で、うたをうたう。
コズミック・ヴォイス・ヒーリングのグループワークで
聞いた、彼女の自己紹介。
子どものころ、カエルやお花やお空に向かってうたっていた
だいすきな歌が、音楽学校にいって「歌い方」をならったとたん
うたえなくなってしまったという。
それからいろんな経験を経て、やっぱりうたが好きだったんだ!と
自分自身に戻っていくんだけど、人の前でうたうのはずっと怖かったらしい。
わたしは、その話を聞きながら、涙が出た。
わたしも、上手には描けない・・・と思ってから、絵が描けなくなった。
いろんなことを考えすぎて、素直に表現できなくなった。
型にはまったことをするのが、どうしても楽しいと思えない
型にはまり切れない自分を、ずっとダメだと思ってきた。
誰かのせいじゃない。
自分で、自分の可能性をあきらめてしまってたんだ。
そして長い長い旅を終えて、やっと自分自身に戻ってきた。
これは、Ranaちゃんが持ってきてくれた楽器たち。
味わい深い表情で、自然と手に取ってみたくなる。
なんの合図もしなくても、みんな思い思いに手に取って
楽器をならして音色を楽しんでいる。
みんな、みーんな、笑顔!
夢中で、その音色に耳を澄ましている。
音を 楽しむ=音楽、そのもの。
心地よいと感じる音を出す。
自分という楽器を使って、声を出す。
誰もなにも指示しなくても、コントロールなんてしなくても、
自分の発する音を聞いて、響きを聞いて、
自然に調和が生まれる。
上手かどうか、合ってるかどうかなんて考えずに
心地よさをたよりに、声を響かせ、身体を揺らして
わたしたちは、自然とチューニングする力を持っている。
すごいすごい!!
なんて気持ちいい響き!
ずーっとこうしていたい。
あまりに心地よくて、あっという間の時間だったけど
それから、わたしは家に帰ってもずーっとうたを口ずさんでる。
目が覚めてから眠るまで、気づいたら、メロディーが湧いてくる。
あぁ。わたしってば、こんなにもうたうの好きだったんだ!!
表現への怖れを解き放って、自分自身を世界に差し出す。
思い切ってやってみたら、世界は、想像以上にやさしかった♡
ほんとうに、自分の好きなように表現していいんだなって、
またひとつ、自由の扉が開きました。
Ranaちゃんとコラボしたいなぁ♡
春になったら、久住の森deセラピーも実現するかもです♪
どうぞお楽しみに♡
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