やくみつるの必要性とは? | あっ!ポロリやん

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サラリーマン15年。ひょっとしたら、ぼくは、社会不適合者じゃないかと疑いはじめ、ブログを書いたらこうなった。

なかなか、発言が安易にしにくくなった時代。表現の自由というのが名ばかりで、大人の世界では

都合が悪いと、波風立てずにおさめてしまう。そんななれ合いの風潮が日本の国民性かもしれない。

言うと叩かれ、ずっと言われ、魔女狩りとまではいかないが徹底して、追い込まれてしまう。


これが現実の一旦かもしれない。だから発言は慎重にしなければならないし、何を言ったかよりも

誰が言ったかが時として重要になることがある。だから、有名になればなるほど、権力に近くなれば

なるほど、発言の一言一言に慎重と丁寧さが求められる。


当たり前ではある。

ただし、生きぐるしい世の中になっている。人は突っ込みや、チェック機能とかいって、


独善的な人を抑え込もうとしている風潮はある。一方で、揚げ足とりや、言葉遊びになって

しまいはないか。

だから、誰も言う人がいなくなって、そのうち、みんなが思考停止に陥り、右向け、右となった

時代がきたら、凄く恐ろしい気もしてならない。

だから、少々ハートの強い、歯に衣着せぬ人が必要であるのだ。

その人は少々のことで、叩かれようが書かれようが関係ないような気もする。

ちょっとは凹んだり、傷ついたりしてるはずだろうに、己の信念とあるべき正義を


徹底的に貫こうとしている人たちだろう。そんな人もいて、今の世のバランスが取れているかもしれないが、


どこかで、折り合いをつける必要がある気がする。

とにかく、この国の意思決定のスピードはちと遅い気がしてならない。

拙速な決断はよろしくないが、課題山積みのことをひとつづつ処理していく必要はあるからだ。

今後10年くらいでめどが立つことを祈ってやまない。そして、弁の立つ、目の上のたんこぶ的な

ひとの登場を待ちたい。