解き放たれる深奥 | 続・エビで龍を釣る

続・エビで龍を釣る

旧ブログの続編です。あることないこと言いっぱなしですが、まじりっけなしに真剣です。
とっちらかった日々のあれこれをなけなしの言葉にして綴りたい。法螺や水増しや誇張も含めて等身大。
ここでも目指せ常温ビックバン!

ほんの数日前ですが、菊野克己さんという格闘家の方を知りました。

空手をベースに学び、現在は総合格闘技の試合にも出場されて目覚しい戦績を上げてらっしゃるようです。

いま、菊野さんは、沖縄の伝統武術、それは泊手と呼ばれたものらしいのですが、絶えて久しいと思われていた手(ティー)の技術をひっそりと受け継いでいたある人から、それを習っているらしいです。

型稽古主体で磨いた伝統武術の技がリングの上でどこまで通用するかというのは、ちょっと胸躍る想像ですね。

ルールが変われば勝者も変わる。それゆえ、どんな武術格闘技が最強かという問いは、ナンセンスではありますが、やはり古の技、それも体格やパワーの劣るものが振るう技が、近代的なトレーニングで鍛えた選手を制すというのは、やはりロマンです。

菊野さんが今教えを受けているという先生とは、僕の武術の師匠が、過去に交流をしたことがあるそうです。

すでに10年以上前のことで、その先生もまだお若かったということですが、うちの師匠によれば当時からとてつもない実力をお持ちだったそうです。

滅多に他流を褒めない(笑)師匠が、手放しで絶賛していたのですごく印象に残っています。

「世の中には化け物がいるんだって思ったよ」

技術交流の場において、小柄で軽妙な師匠は、スピードでなら勝ると素早い突きを連続で放ったものの、それらすべてを簡単にかわしただけでなく、打ち始めから終わりまでを、完全に視線で追っていたということです。

動体視力というレベルではなく、あり得ない眼球運動で、すべてを見切っておられたその先生に、うちの師匠はこんなやつとは戦えるかと本気で嫌になったらしいです(笑)



いつかこの身で体験してみたいものです。

それにしても、まだまだ歴史の影に埋もれている「本物」はありそうですね。

そして時代の趨勢でしょうか、埋もれた「本物」も、その秘匿を許されなくなってきたようです。さまざまな分野の秘伝や奥儀が公開されつつあります。

伝統の技術・文化というのは、生命のようなもので、あう意志を持ち、ひとつの環境で存続し難くなれば、新たな宿主を求めて自らの深部を解放するのかもしれません。