わたしは耳かきが好きである。
好きだからしょっちゅうする、んではない。
好きだからこそ、1年に数度楽しむんである。
耳くそが大きければ大きいほど悦びは大きい。
耳の聞こえが悪くなるほど溜めておくのが一番いい。
なーに、体に悪いことはありません。
耳の奥でがさごそ音をたてるまで臥薪嘗胆すべきであります。
目くそ鼻くそ耳くそ等々、クソを排出するのは快感である。
屁も大量であるのがのぞましい。
げっぷも何度も出るほうがうれしい。
・・・おれは呑気症だからな。
フロイトの<肛門愛>は、しつけの問題ではなく、排出のエロスだと考えられる。
バクテリアから人間まで、代謝する生命体は、獲物を取ると同じにカスを排出することも同様に快感とせねばならないはずだ。腔腸動物であった時代を思い起こせ。
<肛門愛>とは、口腔の食欲と同列に扱うべきであるとおもう。
「異教徒」とかヘイト・スピーチとか民族主義とかの排外主義は、乳児期の「サディズム的肛門愛期」(フロイト)の快感に根拠をもっている、とすれば、うーん、この官能、これはやっかいだ。
早く大人になってほしい。
近ごろ軟便でのう、肛門をむりむりと通過する便に久しいのである。ああいとしのA感覚よ。