2017年8月13日

じいちゃんのお墓まいりにいきました。
霊園はお盆で大混雑でした。

お墓を建てたばかりなのに
お花を供える水差しには、すでに水苔が生えていて
びっくりしました
霊園の水道の蛇口には、よく上履きなんかを洗う
靴用のブラシが供えつけてあり、それでゴシゴシと
綺麗にしました。

お墓に手をあわせながら
1年前には
じいちゃんがまさかお墓に納まるとは
思ってもいなかったし、
じいちゃん自身も思いもしなかったよね?
とじいちゃんに問いかけました。

じいちゃんの墓石には「穏和」と刻まれています。
今はただただ、じいちゃんが安らかな気持ちでいることを願っています。

じいちゃんは、肺がんにかかるまで
家族にはまるで、病気知らずのように
振舞ってきましたが
実は子どもの頃には胃痙攣で豆腐ばかり食べて過し、
若い頃には酒を飲み過ぎて血を吐いた?らしいです。
成人したての頃に盲腸で手術、この時の輸血で
C型肝炎ウイルスに感染したようでした。
しかし、(正しい表現かわかりませんが)自分の体内
で抗体を作ってやり過ごしたようです。
40代で胃のポリープ切除、この時が一番不安そうに
していました。
そのあとぐらいに朝晩に胸が苦しくなり
冷汗をかき、顔が真っ青になることが続きました。
今思うと処方されていた薬から狭心症だったようです
60を過ぎると高血圧と高血糖でした。
高血圧の薬を飲んでいましたが、血糖値は治療レベル
にも関わらず何もしてなかったと思います。
その上、タバコの影響で肺気腫でもありました。

だから、じいちゃんのかかりつけ医も肺のレントゲンは慎重に診てくれていたはずですが、
じいちゃんの肺がんは思いのほか進行が速かったようです。
5月に健診を受け10月には末期の肺がんでした。

腰痛、食欲不振、頻尿、咳が出て
すごく体調が悪くなって受診し、その受診当日に家族が、がん告知を受けました。

最後の二週間は一切食事がとれず
点滴(栄養点滴ではなく)だけで命をつなぎ
セデーションで意識レベルが下がり
一旦呼吸が止まっても、自力で持ち直し
家族みんなと対面しました。
その時に「みんながいてくれて良かった」と涙した
じいちゃんを忘れません。

わたしは
実は病気がちだったのに家族を養い
最後まで命ある限り
強く生き抜いたじいちゃんを忘れずに
生きていこうと思います。

長文ぼけーすみません