「NHKは王家と書いて皇室を貶てる」
とかいう文句を見たこと有ります。

皇室って言葉は明治以降の概念。
帝国や皇国しかり。
天皇家なんて共産党用語。

平安時代のドラマで「皇室」を使ってないと言うなら、「時代考証はどうでも良い」「綺麗な色彩のが見たい」とか言ってる知事と同レベルですな。


ドラマでは「帝」は使っていました。
「竹取物語」でも「源氏物語」でも「帝(みかど)」は一般的でした。

ただ、引っ掛かったのは「鳥羽帝」「白河院」という呼び方の方でした。
これは死後の諡(おくりな)なんです。
現在の天皇陛下を「平成天皇」と呼べば失礼と分からない人には話は通じませんが。
在位中なら、「みかど」「御主上」「おかみ」「御今上」と呼ぶべきですな。

白河法皇についても、この呼び方は死後のもので、単純に「院」だけで良いわけです。
白河殿に住むのは最後の方で、確かまだ六条内裏にいた筈です。
故に「白河の院」と在所で言っても通じず。
むしろ「六条の院」の方が分かるでしょう。

ドラマで鳥羽天皇は早々に譲位させられ、こちらも鳥羽院となりました(死後の呼び方だが)。
院が2人いる場合は?
白河法皇の方を「本院」、鳥羽上皇の方を「新院」と呼びます。
後の話になりますが、崇徳上皇が讃岐に流された後、彼は存命中は「讃岐院」と呼ばれました。
崇徳院は死後の呼び方です。

まあこの辺が歴史オタクの自己満足で、「本院」「新院」で話が通じにくいなら、分かりやすい呼び名を使うのが「時代考証に縛られない」やり方でしょう。


あと、どうしても「王家」が許せない(王は中華皇帝の下という考えだが、日本じゃ親王宣下されない皇族が「王」なんですわな)なら、「天朝」なら有りかもしれません。
或いは「みかどの御一門」「御門」もですかな。

とかく、隠喩やら避忌やらで「直接名前を呼ばない」平安時代、「皇室」に該当する概念がほとんど無く、それを直接口にするのは憚られたという「歴史知識」は持っていて良いかと思いますな。



歴史考証に忠実とか言っても、足りない部分や、意図的に無視した方が良いものもあり、この辺の匙加減は兵庫県の井戸知事レベルじゃ分かんねえだろうな。





おまけ:この当時の日本は、中国の漢籍から言葉を借りたりしてます。
公家とかは「やまとことば」で記録を書くより、漢文の方をカッコイイ(上品)と見ていました。
「吾妻鏡」も漢文調です。

後に平清盛がなる「太政大臣」は中国風に「相国」、藤原頼長の左大臣は「左府」。
源頼朝関係で言えば、兵衛府関係の役職なら「武衛」、征夷大将軍の司令部は「幕府」で、そこの長は「幕下」、正二位の官位は「二品」と書かれています。

ドラマで「鳥羽帝(とばてい)」と言ったのは中国風読みで、口語として使ったかは不明(生前は鳥羽という廟号が無い以上、「てい」だけは使わないだろうが、死後はどうなのやら)。

また、名前による呪いを避ける為に、わざと音読みにする「避忌」も有りました。
「たいら」という苗字に対し、「へい」家と呼ぶのは避忌、もしくは「そっちの呼び方がカッコイイ」からですね。
後の徳川家も朝廷では「とくせん」と呼ばれてましたし(公家は「新田はん」だったようだが)、この辺の言葉遣いは面倒ですな。


基本、言葉は伝える為のものなので、史実や当時の風習に忠実にやり過ぎて、現代人に伝わらないなら本末転倒なとこが有りますから、この辺は融通利かせる部分ですね。





おまけの2:この時期までは、苗字読みが余り無いんです。
保元の乱で、後白河天皇に味方した有名な源氏は、源義朝、源義康、源頼政です。
源義康は、苗字で言うなら足利義康です。
源頼政は、苗字で言うなら多田頼政になります。

源義朝に従った武士は、平広常、平常胤がいますが、苗字または官職で呼ぶならそれぞれ、上総介広常、千葉介常胤になります。

一方で苗字も既に使われてはいて、平義明は普通に三浦義明、平景義・景親兄弟は大庭景義・大庭景親。
秩父平氏で対立関係にあったのは河越氏と畠山氏と、この辺は苗字で残っています。


公家の方も、後白河時代からは藤原○○よりも、「近衛」「九条」という苗字で呼ばれるようになります。


なもので、後白河時代初期(保元の乱)は「藤原」「源」「平」しかいないのに、後期(治承・寿永の乱)は様々な苗字が出て来る事になり、一気に登場人物が増えたように錯覚します。

しかし、「吾妻鏡」なんかはずっと源でまとめていたりして、頼朝に従った「源義兼」「源義範」って誰?、なんでやたら席次が高いの?となりがちですが、苗字で書くと足利義兼、山名義範と、室町時代に活躍する家の祖であり、何となく納得出来たりします。